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自分自身が全人類???

幼い頃の悩みは、死ぬのがたまらなく怖かったということです。以前、これについては、記事にしたこともあります。

私は、幼少のころから、とにかく死ぬのが怖かったです。おそらく幼稚園くらいのときだと思います。夜になって床に入って考えることは、いつも「死んだら、どうなるんだろう?」ということでした。
私は生まれてくるとき、ものすごい難産だったようで、最後、頭を器具で掴んで引っ張り出したという話を聞いています。そのせいで、生まれたときには、頭のカタチが歪んでいたそうです。ものすごい危険な状態だっため、幼いながらも死を意識するようになったのかもしれません。

「最強なのは「命知らず」」より引用

夜、寝る前、よく死ぬことを考えたりする幼稚園児でした。夜の暗い空間のなかで、ついつい「死ぬ」とか、「宇宙」とかを考え始めて、怖くてたまらなくなるのです。死んだら永遠に「無」になってしまうとか、ありえない恐怖です。

それなのに周りの大人たちは、平気な顔をして生きています。

大人死の恐怖を感じないのか・・・すごいな」

幼心に、そんなことを思ったりもしました
※自分が大人になってみて気づいたことは、ほとんどの大人が「死の恐怖」と向き合っているわけでもなく、生きている意味についても、必ずしも答えを持ち合わせているわけではないということでしたが、今回、その話はしません。

その時、よく思ったのが、「今、生きているすべての人の人生を体験できたら、満足して死ねるかもしれない」ということでした。

例えば当時、世界人口は45億人とかそういうレベルだったと思います。一人当たり20年だとしても900億年、50年くらいで計算すれば2000億年を超えます。それくらいの人生を経験したら、けっして永遠とは言えないまでも、十分に生きたとことを実感して、満足して死ねるかもしれないと思ったのでした。

バカですよねぇ・・・けど、怖くてたまらない私は、いろいろと解決策をひねり出そうとしていて、苦し紛れにひっそりとそんなことを考える幼稚園児(小学生?)でした。

その後、大人になるにつれ、世の中には悲惨な死に方をしてしまう人もいるし、生活苦から悪いことに手を染めてしまう人もいるし、悲喜こもごも、いろんな人生があることを知りました。そして、「あー、自分はもう、自分一人の人生でいいかなー」などと思うようになったのです。

なので、とくに不幸なニュースがあったりするたびに、あらためて「自分は自分の人生をきちんと生きていこう」などと思ったりするのでした。

そんな私にとって、この動画のお話はグイグイと引き寄せられる内容です。

A:じゃあ、僕はもう何回生まれ変わってるんだ?
B:そりゃもう沢山さ。本当に沢山。そして色々な人生にね。次は確か、君が言う中世時代あたりかな。
A:ちょっと待ってくれよ。僕は過去に飛ばされるのか?
(中略)
A:でも待てよ。時間がバラバラで生まれ変わるのなら、自分と出会ったこともあるかもしれないじゃないか。
B:そう、よくあることだよ。けど、お互いの存在は自分の人生のことしか認識していないから、そこで気づくことはない
A:じゃあ、いったい何のために?
B:存在の意味か。ベタな質問だね。
A:けど、聞く必要は十分にあると思う。
B:存在の意味、そしてこの世界を私が作り出した理由。それは君を成長させるため
A:人類のことか?人間に成長してほしいのか?
B:いや、君だけ。私は、この世界のすべてを君一人のために作った。人生を重ねることによって、君は成長し、さらに壮大で完璧な知性となっていく。
A:僕だけ?他の人々は?
B:他はいないこの世界には君と私の二人しか存在しない
A:でも、世界中の人々は・・・?
B:全て君だよ。全員、君の生まれ変わり
A:待てよ、全人類が僕だと言いたいのか?
B:やっと分かってきたね
A:今まで生きてきた人間が、みんな俺?

一人の人間が、全人類の人生を経験しているというのです。

こんな話がしっくりくるだなんて、アホなことだと笑われてもしょうがないです。でも、私が幼い頃から考えていたことが、そのまま言い当てられている気がして、とても不思議な気分がします。


そして、何となくですが、ここに宇宙の真理が含まれているように感じるのです。

とくにこの話の結論・・・「俺が神だということか?」に通じる点も、まさに私が、普段申し述べていることと同じです。

最近、よく「覚醒」とか、「目覚め」とか、そういう言葉を耳にします。政治のシステムに気づくとか、DSがなんちゃらとか、そのあたりのレベルで「覚醒」とか「目覚め」とかいうのではなく、せっかくならば、「あ、この世界は自分が作ったんだな?」くらいの次元で「覚醒」や「目覚め」という言葉を使えたら、いいのではないかと思うのでした。

「創造神としての自覚」より引用

この世界は、自分が作ったんだと思えるくらい、自分のなかの神性に気づけるかどうかは、大変重要です。

ただ、あらためて言っておきたいのですが、これは私だけが「神」だと言っているわけではありません

みんな、それぞれにチャンスがあります。みんなそれぞれが「神」になりうる存在なのです。ポイントは、自分自身を「神」であると認識することができるかどうかです。

こんな世界です。

「どう考えてもアイツが悪い!
「どんな事情があるとしても、あんなことは許せない!
極悪非道な連中だ、信じられない!」

いろんなことを思うことでしょう。

でも、そんな悪い人たちであっても、神であるあなたが作った「この世界」のなかでは、そこに一人のキャラとして参加して、人生を楽しんでくれているプレイヤーさんかもしれません。そうだとしたら、ある意味、「この世界」を作ったあなたにとってのお客さんです。

動画にあるような言い方をすれば、そんな悪い人たちにしたって、自分自身かもしれないということでもあります。

どうでしょう?宇宙観、少し変わってきますでしょうか


いずれにしても、気づくための材料は、意外と目の前にゴロゴロしているように思います。気づけるか気づけないかは、あなた次第・・・ですかね?


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