神への畏怖と「後ろめたさ」
神社に行って、神様にお願いごとをする人たち、多いと思います。神社に行ったら、さまざまなお願い事が書かれた絵馬をみることができます。それらひとつひとつの願い事を叶えてくれるかどうかは分かりませんが、神様ってのは、すごい存在です。
ただ、神様は願いを叶えてくれるだけの存在ではありません。まったく逆の側面として、とても恐ろしい存在でもあります。
「神を畏怖する」なんて言葉があります。神様というのは、元来、恐ろしい存在でもあるのです。
例えば、学問の神様として知られる菅原道真の天神様の話などは、とても有名です。
菅原道真は、「学問に優れていた、すごーい」というだけで、天神様になったわけではありません。藤原氏の陰謀によって、大宰府に流され、失意のなか没した藤原道長の祟りが、当時の朝廷によって大いに恐れられたからです。その祟りを鎮めるために菅原道真を天神様として祀り、今の天神信仰に繋がったということです。
偉大な神様というのは、それだけ大きな祟りを起こすだけの力があり、祀る側はそれを大いに恐れて、盛大に祀るのです。
出雲大社にしても、興味深い話があります。
天照大神に国を譲れと迫られた大国主大神は、国を譲る条件として、出雲大社を作るように言ったといいます。神話でどう語られていたかは別にしても、実際、出雲大社はとてつもなく大きなものだったことが判明しています。
これだけ大きなものを作ったのは、もちろん、それまで国を治めていた大国主大神が偉大だったからという言い方はできます。しかし同時に、国を譲れと迫った(国を奪った)天照大神側が、出雲・大国主大神の祟りを恐れたとも考えられるわけです。国を奪ったわけですから、恐れて当然ですし、その祟りを鎮めたいと願うのは、至極、当然ではないかと思います。
つまり、国を奪った側の権力者には、出雲・大国主大神に対する「後ろめたさ」があったということです。
そんな構図を頭に思い描きながらみてみると、なかなかに面白い動画があったので、紹介しておきます。
そもそも、聖徳太子というのは、実在していなかったのではないか?という話が語られたうえで、その聖徳太子の怨霊を閉じ込めるために、法隆寺が建てられたというストーリーが展開されています。
実在していなかったのに、その聖徳太子の怨霊ってどういうこと???
不思議に思われるかもしれませんが、その答えは、ここにあるのだと思います。
つまり、聖徳太子というのは、記紀(日本書紀・古事記)によって悪者に仕立て上げられた蘇我氏に関して、その実績や功績の辻褄合わせをするために作り上げられたキャラクターであるということです。
実在はしていなかったとはいえ、まったくいなかったわけではないのです。そこには、モデルとなる人物がいたということです。そのモデルとなった人物こそが、のちの歴史書・記紀(古事記&日本書紀)で悪者に仕立て上げられた蘇我氏だということです。
そうなると法隆寺は、藤原氏が「偉大な聖徳太子」のために建立した寺などという単純なものではなく、その裏返しとして、大いに畏怖すべき「祟る蘇我氏」の怒りを鎮めるために作ったとも考えられるわけです。
逆を言えば、蘇我氏には祟るだけの理由があり、法隆寺を建立した藤原氏には、それだけの「後ろめたさ」があったということです。
そう考えたら、蘇我氏の無念に思いを馳せずにはいられません。天皇を巡る歴史は、なかなか一筋縄ではいかないということです。
翻って、今の日本の国体(国のあり方)について考えます。
今の皇室について、天照大神から続く「万世一系」などと言います。けれども、それ本当?古事記・日本書紀って、そんなにマルっと信じて大丈夫なの?と思わずにはいられません。
私は、日本という国が大好きです。日本人としての誇りも持っています。愛国心もありますから、こうして日本という国の成り立ちについても、真正面から向き合いたいと考えています。
日本には天皇がいて、その存在によって、日本という国がひとつにまとまっているという考え方はあっていいと思います。けれども、それが絶対であると考える必要はないでしょう。
今や、天皇がいるというその仕組みすら、外国勢力によって利用されている可能性があります。
そう考えたら、天皇を絶対視することの方が、危険である可能性すらあります。
私は、今の日本を考えるうえで、天皇そのものよりも、今の時代に至るまでの長きに渡り、天皇を存続させてきた日本人全体の方が、より高い価値があるし、素晴らしいものをもっているのではないかと思っています。
私たちには、何の「後ろめたさ」もありません。一切の権威や権力とは、無縁の私たちには関係のないことです。
関係ないからこそ、日本の国体を考えるうえで、本当に価値あるものは何なのか、タブーなしに考えてみていいのだと思います。