「合気」を取り入れた生き方
武力、武術、武器の「武」は、「弋(ほこ)を止める」という字であるというのは、別の記事でも書いた通りです。
相手を倒したり、打ちのめしたりするのが、本来の「武」なのではなく、相手に戦わせない、剣を抜かせないというのが、本来の「武」なのだろうと考えています。したがって、本当の意味での「武」があるところには戦争はないし、暴力は生まれないし、お互いが尊重し合って、平和的に過ごすことができるということだと思うのです。
そんな「武」の精神が、合気道には宿っていると考えているので、たびたび、合気道についての紹介をさせていただいています。
ただ、コチラの動画では、石森先生が「合気道ではなく合気柔術」ということで、説明をされています。
この説明によると、合気道が物理的動作であるのに対し、合気柔術は非物理的動作とのことです。
この説明に基づくならば、私が言いたいことは、どちらかというと合気柔術ということになります。単に物理的に相手をどう制するかではなく、既に精神的な部分で、決着がついているというところです。
ただ、合気道でも同じようなことが言われているような気がしてなりません。こちらの動画で言われていること、少々長いですが、大事な要素が詰まっている気がするので、ちょっと書き出しておきます。
合気道というくらいですから、やはりみえない「気」を扱っており、それは非物理的動作をも含んでいるように思います。
長々と書き出してしまいましたが、ここでとくに取り上げたいのは、以下2つのポイントです。
1.気を繋げて「和」を生む
動画中、安藤先生が「そこに一つの和が生まれるという。それはこっちが、吸い取ってしまっているから。相手がもう頑張る気が無くなっちゃう」とおっしゃっています。向かい合った相手との間に「和が生まれる」ということは、向かい合った相手を倒すべき「敵」として認識しないということです。
相対する相手を「敵」として認識しないなんて、難しいことかもしれません。例えば、それが自分を殺しにかかろうとしている相手だとしたら、それこそ大変です。「やらなければやられてしまう」状況とも言えます。そんな相手との間に「和が生まれる」なんて、なかなか考えられることではありません。
けれども、そこにこそ合気の真髄があるわけです。そして、難しいことかもしれませんが、私たち日本人は、意外とそういうことが得意のようにも思います。
また、これを実践するうえで、非常に大切なことは、常日頃から、自分が誰かに「殺してやろう」なんて思われないような生き方をすることです。媚びへつらうとか、迎合するとかいうことではありません。「お天道さまに恥じない生き方」と言った方が、誤解がない表現でしょうか。つまり、堂々とした生き方です。
そんな生き方を通じて、合気を実践することで、相手を傷つけるのではなく、自分を攻撃しようとする人間を寄せつけず、そこに「和」を生むことができるということです。
2.下っ腹の力を鍛える
これは不思議なことなのですが、いろんなことに通じるものだと思います。
例えば、下っ腹といったら、真っ先に頭に浮かぶのが「丹田」というやつです。
気を集めて煉るのだそうです。こういう話、苦手な方も多いかもしれません。けれども、私は何かあると思います。
実際、私が実践している腹式呼吸をするときにも、この下っ腹(丹田)はとてもよく使っているように感じています。
腹式呼吸をするときには、できるだけ全身の力を抜いて、下っ腹(丹田)にだけ力を入れるのです。そうすることで、全身がリラックスして、体中の新陳代謝があがるだけでなく、しっかりと余計なものを排出してくれているように感じるのです。
「力を抜いて、下っ腹(丹田)を鍛える」
コレ、上の動画で安藤先生が、合気道の極意として語られていることと、ほとんど同じです。したがって腹式呼吸には、ただの健康法ということ以上に、何か合気的な生き方にも通じる、不思議な力があるように思うわけです。
これについては、仮面ライダーカブト・天道総司も同じことを言っています。
ほら、やっぱり何かありますって・・・。
え?嘘くさい???そうですかねぇ。
でもま、とにかく、普通に生きているだけでは出口がなさそうだと感じているようなら、騙されたと思って、ちょっと合気的な要素を取り入れた生き方をしてみてはどうでしょう。何か変わるかもしれませんよ?