二極化の果てにある細分化
新型コロナのワクチンを巡っては、徐々に問題視する人たちも増え始めたようで、社会は二極化に向かっていると感じている人も多いと思います。
ただ、問題はワクチンだけではありません。今後、あらゆるところで二極化は進行していくと考えるべきでしょう。
この記事自体は、読み込む必要はないですが、「歴史的なパンデミックにより、世界中の人々が同時多発的に今までは当然だったことが当たり前ではなくなり、あらゆることが二極化する格差社会がやってきた」というのは、その通りだろうと思います。
世界の二極化なんて、ワクチンに対するスタンスだけに留まりません。あらゆることが二極化していくのだろうということです。
あらゆることが二極化??それってどういうこと?
それは例えば、こういうことです。
いろいろなテーマによって、二極化されてしまった場合、いくつもの軸で二つに分けられるわけですから、複数のテーマがあればあるほど、どんどんと細分化されるというのは、まさにその通りです。
例えばですが、2020年アメリカ大統領選で、選挙不正を問題視する人たちが一定数いました。メディアでは、「頭のおかしいトランプ支持者」として扱われていました。私も、そちらに属していたわけです。
しかし、そんな「頭のおかしいトランプ支持者」であっても、今般のワクチンには何の疑問を抱かない人も大勢います。ロシア・ウクライナ問題に関しては、可哀そうなウクライナを必死で応援している人もいます。
結局、バラバラなのです。「トランプ支持者」で群れてもしょうがありません(そもそも、私は選挙不正は指摘しますが、トランプ支持者ではないです)。
二極化構造の重ね合わせによって、結局のところ「信じられるのは自分だけ」ということになるのは、避けられないことです。
何やら反ワクチンの旗振り役だと思われていた宮沢先生の行動が、多くの方に問題視されているようです・・・が、正直、どうでもいいことです。
どの先生が何を言っていて、その先生のことを信じているとか、信じていないとか、裏切られたとか・・・本質はそこにはないはずです。最終的には、自分自身がどう思うかであり、何を信じるかというだけの問題です。
仮にこの先生の行動によって、嫌な気分になったり、怒りの感情がこみあげてくるとしたら、自分の考えが、その先生に依存していたということの表れでしょう。
もちろん、それが悪いことだとはいいません。そういう依存も、ときには必要だと思います。しかし、そんな先生に依存していたって、自分のためにはならないということには、気付いていく必要があります。
その先生に限りません。他の誰でも関係なく、最終的には自分が「こう思う」、「こう信じる」というものがあればいいだけのことです。
先日も記事にした通り、専門家などというのは使ってナンボです。
「主」はあくまでも自分なのですから、「主」である自分が、使っているはずの専門家に振り回されるなんてどうかしています。
誰が何と言おうと、「自分はこう思う」を貫いていけばいいだけです。
※自分たちがそうである以上、「ワクチンは効果がある」と信じて、接種をする人、接種を進める人たちに対しても、ギャーギャー言うことはありません。そっちはそっち、こっちはこっちです。
ただし2023年以降、自分が「こう思う」、「こう信じる」ということを貫いていくこと自体が、ますます難しくなってきそうです。
例えば、こちらの動画にある通り、ディープフェイクによる情報操作がされてしまったら、何が真実で、何が虚偽なのかを見分けることは、極めて難しくなってくるでしょう。
そういう意味では、ワクチンの問題なんて本当に簡単でした。楽勝です。判断するための材料が、これでもかというくらい揃っていました。
しかし、これからは、どんどんとレベルが上がってきます。自分が「こう思う」と信じるに足る根拠を集めるのだって、簡単ではありません。何らかのショッキングな動画をみたとしても、それが作られたものかどうか、よく吟味していかないと判断がつきません。本当に難しいです。
それでも、最後まで生き抜くつもりでいってみましょう。
まだまだ、ゲームは始まったばかりです。このゲームにはラスボスがいます。コントローラを握っているのは、自分自身です。
是非、最後までいったりましょう。
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