自分しかできないこと≠スキルの不等式
ボーっとしていたら、大変です。
少し前、大手企業の賃上げが、大きく取り上げられていました。しかし、それで「経済は良くなっている」なんていう人がいたら、かなり能天気な方なのではないかと思います。そんな一部企業の賃上げなんて、何の意味もないくらいの物価高が始まってきています。
こんな勉強になる動画があったので、貼っておきます。
賃金だけではありません。こうして私たちは、資産までをも失いつつある状況なのかもしれません。誘導手法が、ほぼお注射のときと同じようにもみえますが、引っかかる人は、引っかかっていくのでしょう。
そうした厳しい世界、何とか生き残っていく必要があります。社会の大部分を構成する労働者の立場からしてみたら、「自分のスキルを磨かなきゃ!」、「スキルアップして、労働市場で勝ち残ろう」といった考え方をする人も多いことでしょう。
それで、こういうものを一所懸命、読み漁ったりするのでしょうか。
まぁ、やりたい人はやっててください。まずは、徹底的にやってみるのがいいと思います。ただし、必ずしもその先に出口があるとは言えないということを知ることも重要です。
スキルは否定しません。しかし、これからの時代、より重要なのは、自分しかできない仕事をすることです。自分しかできない仕事をしていれば、自ずと周りから評価され、感謝され、それが自らをも助ける仕事になっていきます。
ここで見逃してはならないのが、「自分しかできないこと=スキル」ではないという点です。ここが、とても重要です。
正直、スキルなんてものは、いくら磨いたところでキリがありません。専門性を突き詰めていったら、ずっと上があります。その競争に入っていって、常に自分が上にいなければ、スキルで勝負する世界では勝てないのです。それをどこまでやりますか?って話です。
例えば私の場合、ITの仕事をしています。だから、ITの知識は使っています。しかし、ITのスキルだけで考えたら、私は業界のなかで、ほぼビリに近いです。私ごときがITの専門家を名乗ってしまったら、他の方々に申し訳がたちません。それくらいのレベルです。
ITの知識はツールに過ぎません。ツールにこだわりすぎても、本末転倒です。あくまでも、ツールであるITの知識を活かして、自分しかできない仕事をしているだけです。それが、私自身を救ってくれているのです。
うーーん?そしたら、自分しかできない仕事っていったい何???
ちょっと話が変わります。
私は今、河口湖で農業をやっています。今年で3年目です。1年目は1人で田んぼを2枚やりました。正直、かなりシンドイ思いをしました。キツかったです。
2年目の昨年は、少し人数が増えて、3人で田んぼ3枚をやりました。ちょっと楽にできたように思います。
そして3年目の今年は・・・約8人で田んぼ4枚をやることになりました。正直、夢のような体制です。圧倒的に楽です。
この日は、田んぼの畔切りの作業でした。
私が、刈払機で畔上部の草を刈っていたら・・・
草刈りが終わった頃には、ほぼ畔切りが終わっていました。以前だったら、ありえませんっ!!!!
この日は、有志が3人ほど集まって、一緒に作業をしてくれました。それぞれ、平日にはお仕事があります。だから、いつもはバラバラです。しかしこの日、そのメンバーたちが河口湖に集まって、一緒に畔切りをしてくれたのです。その有志たちのおかげで、とても効率的に作業を終えることができました。
このとき、それぞれのメンバーがしていたことこそが、「自分しかできない仕事」になります。
「は?河口湖で畔切り?誰でもできるじゃん」と思う人・・・甘い!!!!
違うのです。この視点が重要なのです。
あの日、あの場所、あの田んぼで、装備を用意して、畔切りの作業ができたのは、あのメンバーしかいませんでした。そこらへんに歩いている人に頼んだってできません。事前に事務所で声をかけたって、その日、河口湖に集まってくれる人なんていなかったのです。
そういう意味で、その日、その時、その場所で、その作業をしてくれることが、その瞬間、彼らにとって「自分しかできない仕事」だったわけです。つまり、自分しかできない仕事というのは、スキルだけの問題ではなく、時間や場所、環境までをも込みで、その瞬間、その人にしかできない仕事だということです。
「うん?そうは言ったって、こんな仕事、お金をもらえないんだから、意味ないじゃん???」
それも違うのです・・・まずは、自分自身がそうした視点をもつことが重要です。
そのような視点で眺めてみると、例えば職場でも、それぞれが、すべての瞬間で、(本人がそう思っているかどうかにかかわらず)その人しかできない仕事をしていることに気付きます。
どんなにヘッポコ部長でも、部長という肩書があって、その日、その場所にいるからこそできる仕事があるのであり、その中身がどんなにヘッポコであっても、それはそのヘッポコ部長にしかできない仕事、というふうにみえてくるわけです。
そして、仮にそのヘッポコ部長の仕事が混乱を招くものだとしたら、それを解決するという前向きな仕事が同時に生まれていることにも気付くはずです。当然、その場にいるのが自分だけで、その解決が自分にしかできないものだったとしたら、それこそが自分にしかできない仕事になります。
そのように、自分しかできない仕事というのは、あなたがその時、その場所、その立場でいることから、既に生まれているということになります。
言い方を変えると、自分しかできない仕事の意味を知ると、スキル云々よりも、「今、あなたがどこにいるか?」の方が重要かもしれないということになるのです。
そう考えたとき、自分しかできない仕事をするために最も重要なことは、端的に、環境づくりということになります。そして、せっかくならば、その「自分しかできない仕事」は、ヘッポコ部長の後始末などではなく、良質なものにしていきたいと考えて当然です。
そのためには、どんな人たちと付き合って、どんな職場で、どんな人たちと仕事をして、どんな人たちと遊ぶか・・・それがより良質な「自分しかできない仕事」を生み出すポイントにもなるわけです。
この環境作りがうまくいくと、ポジティブな循環が生まれてきます。
当然です。自分は「自分しかできない仕事」をするので、その達成感や満足感で満たされます。同時に、周りからも感謝されます。
周囲の人たちも、(自分にはできない)その人しかできない仕事をしてくれるわけですから、ありがたいに決まっています。自ずと、周囲の人たちに対する感謝の念が生まれてきます。
そう、感謝の循環が生まれるのです。そんな状況で、仕事がなくなるはずがありません。
労働市場で生き残る?スキルアップしなきゃいけない?
はい、やっててください(笑)。
私は、そんなスキルばかりを磨いて、バリバリ仕事をするぞ!と息巻いている人たちよりも、河口湖まできて、私と一緒に、その人しかできない仕事をしてくれるような人々と繋がっていきたいですし、そのことが結果的に、良い仕事ができる基盤になっていくと思います。
その時、その瞬間、自分がいる場所、環境、触れ合う人々を感じ取り、そのなかから自分しかできない仕事が何かを理解し、同時に周りの人たちが、その人しかできない仕事をしていることに気付けたら、必要なスキルは、まったく別なものになるかもしれませんよ?
・・・で、これは全くの蛇足ですが、去年、お土産の付録のようについていた麦を撒いてみたら、こんなに立派に育ちました。
小麦だそうです。
お土産屋さんに、「これ撒いたら、芽出ますかね?」と聞いたとき、お土産屋さんの主人が怪訝そうな顔をして「ん???どうかな・・・?」と話されていましたが、こんなこともあるんですねぇ。
小難しい話もあります。それらから目を背けろというわけではないです。
ただ、こういうどうでもよさそうなことを楽しみながら、生きていくのもいいんじゃないでしょうかね。