毎日が奇跡とは?
私、スピ系が割と苦手です。「毎日が奇跡♪」みたいなのも、よく分かりません。ちょっと意地悪な私には、「昨日も、今日も、明日も・・・同じ一日ですけど?」みたいにも思えてしまうので、そうしたスピ系の人とは、ちょっと噛み合わない気がしていたりします。
ただ最近、「自分は創造神」という意識でみてみると、ちょっと世界が違ってみえるようになってきました。
この記事でも取り上げたシティーズスカイラインというゲームは、本当によくできていると思います。
このゲームのなかでは、たくさんの人々が生活を営んでいます。もちろん、設定といえば設定です。あくまでも、ゲームのなかでの話なので、人々が生活を営んでいると言っても、そのなかで本当に人間が生きているわけではありません。
でも、私たちが実在していると思い込んでいるこの現実世界にしたって、本当は仮想現実であるなんて話は、あちこちで聞かれます。
つまり、この現実世界にしても、シティーズスカイラインとさして変わらない、一種のゲームのようなものかもしれないということです。
そう思えたら・・・例えば、目の前にあるマグカップをみているだけでも、「よくできてるなぁ」などと感心してしまうのです。
シティーズスカイラインの場合、そこにある物体は、あくまでもコンピューターゲームのなかのモノなので、コンピューターの処理能力の問題などもあり、ある程度、単純化せざるをえない部分が出てきます。
例えば、線路には継ぎ目がありません。電車の近くからみてみると、比較的、線路は単純な構造になっているのが分かります。
電柱も、リアルに描かれてはいますが、同じパターンの電柱は、どれもまったく同じ形、色なので、それらを区別することはできません。
さらにプレイを続けていると、設置したはずの自動販売機が、空中に浮かんでしまっていたりという奇妙なことが起こったりもします。そういうアクシデントに気付いたときは、ひとつひとつプレイヤーが直してあげないといけません。
それらは、コンピューターならではのバグというやつです。どうしようもありません。
一方で、私たちが住んでいる現実世界では、ほとんどそのようなことが起こりません。
※幽霊が出るとか、超能力を使える人がいる?みたいな程度でしょう。
今、私の目の前にはマグカップがあります。じーっと近くで見つめれば、それなりに細かい傷もみえます。カクカクしていません。曲線も見事です。ロゴマークが入っていて、あちこちに傷がついています。それらがフワフワと消えたり、場所が変わったりすることもありません。
当たり前?そう、当たり前です(笑)。
ただし、その理由が、「現実世界なんだから、コンピューターの仮想現実とは違うのは当たり前だろ」というのは、ちょっと違うかもしれません。
何故なら、この現実世界にしたって、本質的な意味においては、コンピューターによる仮想現実と、そう大差がないかもしれないと考えることもできるからです。
以前、こんな記事を書いたことがあります。
このとき、私自身、頭でそのような理解をしていました。
しかし最近、「創造主としての自覚」を持つに至って、「うん?なんか俺、すごいの作ったんじゃね?」などという実感を伴うようになったのです。この宇宙の美しさ(仮想現実としてのとてつもない出来栄え)に気づいてしまった感覚です。
例えば、街で電柱をみかけます。
一本一本、どれも違うのです。錆があったり、汚れがついていたり・・・当たり前のことです。しかし、そんな何の変哲もない当たり前のことについて、シティーズスカイラインと比べてみると、「うぉぉ、すげー作り込まれてるじゃん」みたいに感じてしまったりするわけです。
ビョーキ???
あー、そう思われても仕方ないです(笑)。でも、そんな感じです。
何の変哲もないことでも、「何だかやたらとよくできてるなぁ」と思わざるをえないのです。バグを起こさず、何の変哲もないようにみせつつ、誰にも不思議がられず、精巧な現実世界として存在している「この宇宙」が、とてつもない出来栄えだと思わずにはいられません。
「毎日が奇跡♪」
あー、そういう意味ね?それなら分かるわ・・・。
そっかぁ、そういうことだなぁ・・・。