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この美しい「4次元世界」

物質の最小単位である量子は「粒であり、波である」という記事を書いたことがあります。

この量子の振る舞いはとても不思議なため、この世界を単純に3次元空間+1次元(時間)の4次元では説明できないとされています。4次元どころか9~11次元まであるというのが、今日の最先端の科学で言われていることです。

この問題を解決するためのひとつの考え方として、多世界解釈論というのがあります。

先ほどの箱の例でいうと、箱を開けた瞬間、世界は「右の箱に粒子が入っている」世界と、「左の箱に粒子が入っている」世界に分かれるというものです。そんなバカな!と思うかもしれませんが、そのように解釈することで、量子が揺らぐ曖昧な世界を説明できるようになるのです。
そして、そうすると自分という存在自体が、「右の箱に粒子が入っている」ことを観察した自分と、「左の箱に粒子が入っている」ことを観察した自分に分かれることになります。自分自身が分かれる?さらに不思議なことになりますが、多世界解釈論によるとそういうことになります。
※「この世界のはなし(3)~多世界解釈論~」より引用

量子というのはゆらぎがあり、誰も観測していなければ、波の状態になっています。しかし、誰かがこれを観測すると、それは粒として確認されます。この粒として観測されるとき、そのゆらぎのなか、どこで観測されるのかというのが、いろいろなケースが考えられるため、そのケースごとに「ひとつの世界」が分岐して成立するというのが多世界解釈論です。

とても不思議ですが、興味深い話だと思います。

しかし、この多世界解釈論には、いくつかの問題が指摘されています。例えば、こういう記事がありました。

重なりあった可能性は収縮することなく、そのままずっと可能性として残っていく
そして観測者は、シュレディンガー方程式によって選択されたどれかの世界の中の記憶に属していくのだ。
これは簡単にいえば、広大な宇宙の中に無数の可能性があって、観測者は方程式に従って選ばれた可能性を進んでいくイメージだ。
※Back to the past「多世界解釈の勘違い」より引用

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これによると、「多世界解釈」とはいうけれど、実際に世界(宇宙)が無数に生まれるのではなく、無数の可能性のなかで「ひとつの世界(宇宙)」を選択して進んでいるに過ぎないという意見です。

こんなのもあります。

「なぜこの世界なのか」をエヴェレットの多世界解釈は説明することが出来ない。(多意識解釈も同じく)
たとえば全ての世界の自分に意識があると仮定しよう。
では「この自分」が「この世界」にいる理由は何なのか?
世界が分岐するまで完全に同じはずだったのにある地点から意識が分裂し、ここに到達した理由は何か。
この理論は決定論であるにも関わらず意識を持ち出すとこのように妙な事になる。
この解釈の弱点は意識の存在といえるだろう。
※宇宙の謎を哲学的に深く考察しているサイト「「エヴェレットの多世界解釈」の利点と問題点」より引用

ここでは、他の世界(宇宙)にいる自分は、自分の意識から分裂しているわけで、それを果たして「自分」と呼べるのか?という点を問題にしています。

いろいろありますよね。科学の最先端の話なんですが、こういう哲学的なテーマになってしまうところも、実に面白いところです。

さてさて、そんな感じですが、私なりにはそんな問題が指摘されいてる多世界解釈論であっても、実際のところ、この世界(宇宙)以外にも無数の世界(宇宙)があるのではないかと思っています。

何故か?

だって、9~11次元あると言われているんですよ?

時間まで含めても4次元とされる世界よりも、さらに高い次元が存在するのであれば、4次元世界が無数にあることの方が、断然自然だと思うのです。

部屋(3次元空間)があったら、どれだけの面(2次元空間)が存在するでしょう?壁があって、箪笥があって、ベッドがあって、書類があって、カバンがあって・・・そこには、大小含めてたくさんの面があります。いや、むしろ面だらけです。

それらは重なっていたり、場合によっては交差するようなものもあると思います。それらはずっとそのままなわけではなく、現れたり無くなったりということもあります。重なっていない何も置かれていないテーブルのようなきれいな面もあれば、くしゃくしゃなビニールのような面もあるでしょう。

きっと高次元に存在する無数の4次元世界もそんな感じなのではないでしょうか。他の4次元世界と重なったり、交差してしまったりしてしまうようなグチャグチャな4次元世界もあれば、まっさらできれいな4次元世界もあると思うのです。

例えば、他の4次元世界とも交差(相互作用・干渉)してしまうようなグチャグチャな4次元世界では、幽霊が頻発するとか、みんなが超能力みたいなものを使いまくって崩壊しちゃうとか、タイムトラベルが横行してて「親殺しのパラドックス」で消滅しちゃうとか・・・とにかくそういうグチャグチャなことが起こっているかもしれません。グチャグチャなので、現れては消えてを繰り返すような不安定なものとも考えられます。

もしかしたら、私たちがみている「夢」や「妄想」の世界は、そういう類のものである可能性すらあります。「夢」や「妄想」は、単なる精神活動ではなく、実際に別の4次元世界(宇宙)を生み出し、その後すぐに消滅しているだけのものかもしれません。

それくらい、別の4次元世界(宇宙)というのは、グチャグチャで不安定なものとして、高次元世界に無数に存在すると考えてもいいのではないかと思うのです。

しかし逆に、今私たちが現実に生きている4次元世界といったらどうでしょう?

幽霊が多発するわけでもなく、みんなが超能力を使いまくるわけでもなく、タイムトラベルが横行しているわけでもありません(笑)。

不思議なことなんて、そんなに起こっていないと言えます(多分、「ちょっと不思議ね?」くらい?)。ところかまわず、あちこちに幽霊が出るとか、そんな「グチャグチャなこと」は起こっていないのです。

つまりそれは、それだけこの世界が「まっさらで美しい」ということではないでしょうか。

ということで、この世界は魔法のような奇跡が、簡単にポンポンと起こるようにはできていないのです。少し残念に思われるかもしれません。しかし、そういう部分にこそ、この世界(宇宙)の美しさがあるのではないかと思います。

奇跡は、ないわけではないのです。

この美しい「4次元世界」では、奇跡は目に見えにくいところで起こるようになっている・・・んじゃないかな?



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