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専門家には要注意

的外れなコンサルさんと、気の毒なクライアントさんがいます。

的外れなコンサルさんは、専門用語を多用しながら、聞きなれない新しい概念を説明しつつ、「つまり、こういうことなんです(ドヤァ)」というプレゼンをしてきます。

一方で、何が何だか分からない気の毒なクライアントさんは、とにかく自分たちが知らないことを教えてくれているのだから、相手は立派なコンサルさんなんだろうと信じ込んでしまい、一所懸命、何かを拾おうとします。でも、ろくなものが出てきません

世の中、結構そんなので溢れかえっているように思います。見栄えばっかりに惑わされて、本質を外しているため、実際には中身がスッカスカだったりするのです。

端的にいうと、本当に優秀なコンサルさんは、クライアントさんの話をよく聞きます。クライアントさんの問題の所在を明らかにできなければ、解決策もみえてきません。だから、本当に優秀なコンサルさんというのは、とても聞き上手なのです。

したがって、初めてコンサルさんに会って、優秀でない場合はすぐに分かります

クライアントさんのことを何も知らないうちから、一方的に知識をひけらかしながら、「こうすればいい」などという話を始めるコンサルさんは、だいたい的外れで、勘違いをしているコンサルさんです。それは雑談レベルでも、すぐに判断できます
※しかし、本質が見抜けないクライアントさんは、それを聞いて、「すごいかも」と思い込んでしまうところが大きな落とし穴です。

クライアントさんが抱える問題の所在は、十分なヒアリングを通じて明らかになります。そこから専門知識を活かして、ようやく解決策を立てられるのです。そして、その具体的な実行計画を、クライアントさんに分かりやすく説明しいきます。そうすることで、クライアントさんはすんなり理解できますし、すぐに行動に移すことができます。クライアントさんが、理解に苦しむなどということはありません

これが、優秀なコンサルさんのお仕事です。

このことは、例えばお医者さんも一緒です。

良いお医者さんは、患者さんの言うことにきちんと耳を傾けます

患者が「お腹が痛い」と言っているのに、その訴えをまったく聞かず、「とにかく、この頭痛薬は最高だよ?きっとお腹痛いのも治っちゃうよ?」と言って、ただただ「最高の頭痛薬」を出し続けるような医者が、優秀なわけがありません。それでも「お腹が痛い」と訴え続ける患者に対して、ちょっと上から目線で、「うん?本当はお腹なんて痛くないでしょ?私の頭痛薬は最高なんだよ?分かってないなぁ(ニンマリ)」なんてありえません。

しかし、小さなビジネスの場では、割とそんな会話が平然と行われたりするのです。呆れずにはいられません

クライアントさんの方も、お気の毒です。

コンサルさんが、何やらカッコよさげなことを言うので、それらしく価値があるように聞こえます。さらに、自分たちには専門知識がないという後ろめたさも手伝って、「これを咀嚼できないのは、きっと無知な自分たちのせいだ」と思ってしまうのです。もっと言えば、クライアントさんが理解できないことにつけ込んで、本来ならば、反省しなければいけないはずのコンサルさんの方が、「私が言ってること、分からないんですか?困っちゃうなぁ」などとマウントまで取ってくるとなったら、もう目も当てられません

本来、クライアントさんの立場からしたら、そんな的外れなコンサルさんの話は、さっさと切り上げて、別のことを考えなければなりません時間の無駄です。

でも、クライアントさんとしても、自信が持てないため、「もしかしたら、そのコンサルさんにも価値があるのかも?」と思考を続けてしまうことで、なかなかそれができないのです。



もう・・・皆さん、複雑に考えすぎです!!!


物事の本質などというのは、もっとシンプルです。端的に言えば、そのクライアントさんが何をすればいいか分からないという時点で、そのコンサルさんの提案はアウトなのです。

コンサルさんもクライアントさんも、双方とも気づかなければなりません

相手の話を聞かないまま、ただ専門用語満載で、もっともらしい提案をするコンサルさんも、ワケが分からないまま、どうしたらいいかハッキリしない提案をされ続けるクライアントさんも、あれこれ複雑に考えたところで、ろくなことにはなりません



複雑系の世界は、要注意です。

今の世の中、そうやっていろいろと考えなければならない、複雑系の沼にハマり込んでしまって、本質からだいぶ外れた専門分野や専門用語・専門家の量産を許してしまってきています。

論理的思考が悪いわけではありません。しかし、複雑系の世界を限りなく論理・計算で読み解こうとすると、キリがない状況になってしまうのです。

例えば、上記のようなジェンダー問題も、「男と女」というシンプルなテーマに対して、あれこれ複雑怪奇な論理が展開され始めました。正直、大混乱です。本質からも外れているし、全体を蝕む議論であることに気付かれないまま、増殖を続けています。

ここで私が、「本質から外れている」というのは、小さな一部の正義ばかりに目を奪われて、全体最適を阻害しているにもかかわらず、それが全体のためだと信じ切っている部分についてです。

人間が、小さな一部の正義のために、どんなヒドイことをしてしまうかについては、こちらの動画をあらためてご紹介しておきます。

人々は多大な苦しみを伴っても、どうにか善良でありたいと思っている。
善良であることに、人間は囚われていると言ってもいい。

複雑系の論理思考の沼にはまって、「木を見て森を見ず」の迷子状態になっていることに、本人たちは気付けません。さらに、そうした議論は放っておくと、いくらでも複雑化します。そして、勝手に専門性を帯びていくのです。

迷子状態になりながら、進んで物事を複雑化しておいて、その複雑さゆえに専門家しか分からない世界を誕生させているわけです。そんな専門性と専門家をありがたがる世界・・・勘弁してください(苦笑)。

ジェンダーに関する問題については、このあたりの記事に簡単にまとめているので、ここでは論じません

いずれにしても、論じれば論じるほど「賢そうにみえる」というのは分かります。そして、その議論は、論じるほどに複雑性が増してくるので、自ずと専門的な話になってきます。専門的な事象を論じることができる人にとっては、物事の本質が何かよりも、論じることができるということ自体に、自分自身の価値を見出すことができる気持ちよさも出てきます。

そこが、専門家としての存在意義にもなります。

しかし、「本当にそれは賢いのか?」という点は、常に疑っていかなければなりません本質からズレていることが、多々あるのです。そんな専門家を妄信してしまうと、時間を無駄にするだけでなく、高い勉強代を払わされることにもなりかねません。

私たちの身の周りには、的外れなコンサルさんたちがたくさんいます複雑系の世界で、オバケのように進化した専門家たちがウヨウヨしていて、あちこちでカッコよさげにもっともらしい提案をしているのです。

でも、それって本当にあってる???

世の中の専門家と呼ばれる人たちには、注意が必要です。


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