自由意志がない?・・・うまくいくっ!
私たちには自由意志などというものはなく、脳の電気信号によって、ただ動かされているだけという面白い動画がありました。
なかなかに興味深い内容です。
私たちは、日々、いろいろな決断をしながら生きています。それらの決断は、私たち自身が、自らの意志で下していると考えたいものです。
当然です。自分で決めているのです。
しかし、この動画では、そうではないというわけです。
上のたとえ話でいえば、お寿司の盛り合わせを目の前にして、何から食べるかというのは、自分の自由意志に基づいて決められているのではなく、脳から発せられる電気信号の結果として、「サーモンから食べよう」という決断を下しているということです。
これが本当だとすると、人間の思考は、脳の電気信号を操作することで、完全に乗っ取ることができるということになります。身体操作という意味ではありません。通常、私たちがあると思っている意志や思考ですら、他者によってコントロールされうるということです。
そうなったら、洗脳どころではないです。
そして、唯物論万歳ということにもなりえます。脳内の電気信号という物質的な現象を制御することさえできれば、あなたがどうしたいなどという精神活動だって、自由に操ることができるわけです。
こんなことを言われてしまうかもしれません・・・ヤバいです。
でも逆に、それならそれでいいんじゃない?という気にもなります。この動画の後半で語られていますが、仮にそうだとすると、私たちの考えや行動は、完全に物理法則に支配されることになります。
それは、唯物論者たちによって操作されてしまうという意味ではありません。例えば、脳内にチップを埋め込まれて、それが唯物論者たちに制御されるようになってしまったら、そういう事態も考えられなくはないです。
しかし、「意志の物理法則による支配」については、もっと広く、大きく捉えるべきです。
物理法則というのは、水が高いところから低いところに流れていくようなものです。つまり、とても当たり前のものなのです。
そう考えると、私たちの思考ですらも、それくらい当たり前のことが起こっているだけということにもなります。
物理的現象だけでなく、自由意志だと思われている私たちのひとつひとつの決断は、すべてこの宇宙の物理法則に則った当たり前の結果として捉えられることになります。そして、脳がどのような電気信号を送るかは、物質の状態から、常に予見されるということでもあり、予め決定づけられているともいえるわけです。
当たり前のこと???決定づけられている?どういうこと?と思われるかもしれません。それは、こういうことです。
要は、この宇宙ができたときから、この宇宙で起こるすべての物語は、当たり前のことの集積として決定づけられているし、結末も決まっているのではないかということです。
このことは、ブロック宇宙論などにも通じる考え方です。
結末が決まっているなんてつまらない?
そう思われれるかもしれません。しかし、そんなに残念がることもないでしょう。
結末が決まっているからといって、映画を観ないというのも、もったいない限りです。映画が始まったのなら、それを楽しく観ていくというのは、大いにアリのはずです。せっかく、この宇宙に生を受けたのです。決まった結末であるとしても、その過程を大いに楽しんだらいいのではないでしょうか。
結末がみえないという人は、自分なりにストーリーを考えて、生きてみるのも手だと思います。それこそ、自分次第です。
私は、この宇宙の結末は、けっして悪いものではないと思います。物理法則に沿って生きるのみ・・・きっと、うまくいきますよ。
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