何が怖いかを考えよう
変異株、ますます拡大の様相を呈しています。国境管理の強化とか、いろいろ大変そうですよね。
でも、今のところ、オミクロンって軽症で済むという話だったように思うのです。
そう。あくまでも、「今のところ」ではありますが、軽症か無症状って言ってます。
この騒ぎは茶番なので、あんまり真面目にツッコむつもりはありません。でも、さすがにこの段階で、この騒ぎはちょっとやりすぎじゃないのかと思わずにはいられません。大の立派な大人たちが、こんな茶番に大慌てするのも滑稽だし、こんな雑な茶番をしたり顔で仕掛けてる人間がいると思ったら、それもそれで滑稽です。
個人的には、ワクチン接種者の免疫低下が指摘されてもいるので、コロナを怖がって、ワクチンを接種してしまった人は、弱毒ウイルスに対しても、警戒する必要があるかもしれないと思ったりしています。
オミクロンの報道をみて怖がる人は、既にワクチンを接種してしまっている人である可能性も高いわけですし、そういう人たちは警戒しないといけないのかもしれません。そういう意味では、元々コロナを恐れている人たちは、引き続き「正しく怖がっている」のかもしれません。
けれども、本当にそれでいいのか?という気がしてならないのです。
それと冒頭の記事の写真、ひどくないですか?
こんな写真と一緒に報道されたら、そりゃビビる人はビビると思います。けど、この写真、オミクロンと関係ないですよ?
2021年4月にサンパウロで撮影って・・・この文脈でこの写真を使うというところに、マスメディアの「煽り屋」としての本質を見る気がします。「仕事ってのは、こうやるんだよ」という、メディアエリートの鼻息交じりの自慢声が聞こえてきそうです。
人間、それぞれ何が怖いというのは、違って当然だと思います。しかし、何が何だかよくわからないまま、その怖いものに振り回されてしまったら、その恐怖心を、こういう人たちに利用されて、いろいろと痛い目に遭うのではないかと思うのです。
現実から目を背けろと言っているわけではありません。むしろ、その逆です。ちゃんと調べて、なぜそれが怖いのかを考えてみる必要があると思うわけです。
私なんかにしたら、こっちの方がよっぽど怖いです。
生活が格段に楽になった?そ・・・そうですね。
こんな極小チップを作れたことは、人類の偉大なる発展の証だし、それによって面倒くさい手間を省けるようになったのは、事実でしょう。
けれども、これをどう使うか?という点で、とても心配になります。
こんな記事もありました。
これがもはや生き物なのか、そうでないのかすらよく分かりません。よく分からないけど、とにかくすごい技術だと思います。人類の叡智はそこまできたのか?と感嘆せざるを得ません。
ところで、それが体内での作業に利用できる可能性があるというのですが・・・それって大丈夫?と思います。
こうしたミクロ技術が、これからの管理社会に与える影響を考えると、とてもではないですが、「生活が楽になった」などと手放しでは喜べません。
結局、技術などというものは、それそのものでは何の効果も生みません。人が介在し、それを使うことによって、はじめて効果が発揮されるわけです。問題は、その人がどう使うかという点です。
私自身、できれば性善説で世界を捉えていきたいと思って生きてきました。しかし、近年の世界情勢、社会現象を見るにつけ、巨悪がはびこっていることを否定できなくなりました。とてもではないですが、性善説を前提に、世界を捉えることはできないわけです。
思考停止してしまうわけにはいきません。
そう考えたら、こうした素晴らしいと思える科学技術に対しては、いちいち「怖い」と思って、警戒しておく必要があるわけです。
オミクロン???えっ、そんなの怖がってるの?もっと怖がるべきことって、ほかのところにあるでしょ?
えっ?便利になった?そこで喜んでるの?
ほぇぇぇ、意味わかんない。
ま・・・いっか。
それでも一応、言っておきます。何が本当に怖いのか、よーく考えよう。