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私がどうしても切りたかったもの。

先日、40歳の誕生日を迎えました。

誕生日の前後で、誕生日旅行を妻が企画。
Facebookでも投稿したように
姉家族とも合流し、貴重な2日間を過ごすことができました。

その誕生日旅行から遡ること2週間。
誕生日旅行の日程は決まっていましたが、
旅行の行先はまだ決まっていませんでした。

誕生日旅行の場所やホテルの予約は、誕生日の当事者がするという
いささか矛盾も感じながら笑

でも、結果として
自分が決める事が出来て心から良かったと思っています!
その理由は、この後を読んでいただければ納得してもらえるかと。


旅行の行先は「京都」に決まり、ホテルを梅小路駅近くの
新しいホテルにしました。

京都に行くと決めてから、どうしても行きたい場所が1つだけありました。
それは、「縁切り神社」。( *´艸`)


安井金毘羅宮

関西の縁切り神社として有名な「安井金比羅宮」は、観光地として人気の東山の街中にあります。風情溢れる祇園の繁華街からも近く、街歩きの途中にも立ち寄りたいお社(やしろ)です。“悪縁を断ち切り、良縁を結ぶ”神社として、参拝する人が後を絶たないパワースポットの一つです。

るるぶweb

でも、なかなかそこに行ってみたいと切り出すことが出来ず、
名前が名前なんでね。

行ってみたい気持ち半分、まあ、子供をつれて神社に行くのも
なんだしタイミングが合えば、その時は「行きなさい」と神様からの指示が
あるか!ぐらいの軽い気持ちで過ごそうと心に決めました。

1日目は京都水族館へ行ったり、お寿司を食べに行ったりと何事もなく
誕生日のめでたく有難い時間が過ぎていきました。

2日目は滋賀の澤井おばあちゃんのところへ訪問する予定に決まり
ますます、わざわざ縁切り神社を旅程に組み込むのもなと
半ば諦めかけていました。

しかし、おばあちゃん宅で京弁当を食べようという話になり、
姉が行きたいと調べていた京弁当屋さんへ寄ってから滋賀へ向かう
ことになりました。

そのお店をグーグルマップで調べると、、、

なんと!!!
そのお店が、縁切り神社のすぐ近くだったのです。( ^^) _U~~

これはもう「行きなさい」というお告げだと解釈し
家族にも姉にも相談して、参拝をすることにしました!!

ここからが、本題です。
縁切り神社に行きたいと伝えたところ、
姉からも妻からも、
「何と縁を切りたいの?」「縁を切りたい人でもいるの?」と質問されました。逆に色々怪しまれました( 一一)

正直、縁を切りたい人も、事柄もな~にもありません。
私の周りの方々、安心してください。

というのも、私の目の前の現実は、私が作り出したくて現れているもので
好きな人も嫌いな人もそうでない人も含めて自分が勝手に自分の人生に登場させた人だと私は考えています。なので、縁を切るも何も、自分が登場させたくて自分の人生に現れてもらったのに、自分で縁を切るとか、なんだか
滑稽だなと思ったりもするのです。(これはあくまでも私固有の価値観です…)

それでも、なんだか惹かれるんです。
なんだか、呼ばれている気がしたのです。
安井金毘羅宮に。

不思議なもんですね。
胸騒ぎはちゃんと素直に胸騒ぎを聴いてあげる事が大切です。

穴から出てくる私

縁を切る儀式に
石の中に空いている穴をくぐって奥へ行き
また、穴をくぐって出てくるという
その石を通り過ぎる事で、悪縁を断ち、良縁を結ぶという意味合いがあるそうなのですが、、、

まぁ~びっくりするぐらい、穴が窮屈で抜けられないのです。
順番待ちしていた時に見ていた誰よりも時間がかかりました笑
見えない何かを背負っていたのかもと想像するぐらい。

無事、穴を通り過ぎ、本宮でお参りをし
安井金毘羅宮を後にしました。

安井金毘羅宮を後にしてからも
自分の頭の中でグルグルと
「私は何と縁を切りたかったのか」を考え続けていました。
考え続けていたというより、頭から離れなかったという方が正しいかもしれません。

ようやく、これだ!!と答えにたどり着いたのは
京都から帰って3日後の事でした。

私が縁を切りたかったもの。。。

それは、

他でもない「私自身」だったのです。

別に悲観しているわけでも、自分を責めている訳でも
メンタルが落ちている訳でもありません。

私の持論として、人の成長は延長線上に伸び行くものではないと考えています。成長するには、「私」というカセット毎取り換える必要があるのです。

私の頭の中にあるイジェクトボタンを押して、
「田中一成(上)」というカセットを取り出し、
「田中一成(中)」というカセットを挿入する。

そんな風に、これまで積み上げてきた「田中一成」を卒業したかったのだと胎落ちしました。

サヨナラ。私。
アリガトウ。私。
じゃあね、私。

縁切り神社の一件から
頭がすっきりしたのか、「田中一成(中)」が挿入されたので
また、新しい人生を生き始めた気がしています。

これまで気になっていたことが全然気にならなくなり
これまでダサいと思っていたことがかっこよくも思えてきて
「今」に高いエネルギーを注げるようになりました。

描けることは描いて
描けない事は無理して描かず宇宙に委ねる。
そんな塩梅がちょうど良いかなとも思っています。

ダラダラでしまりない文にお付き合い下さり
ありがとうございました。(*´ω`*)

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