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没頭こそ、最強。

今月で会社を辞める人がいて、僕はその人の後任としてこの4月から客先に常駐している。その引継ぎや実務の指導を(テレワークではなく)直接行う必要があるため、僕とその先輩だけはリモートワークをしていない。

自社も原則リモートになったため、毎日その先輩と普段は人口密度が高いオフィスで過ごしている。いつもは狭いと思う場所も二人しかいないと、前途洋々ベンチャー企業気分なオフィスである。
たまに上司が来ることもあり、僕らしかいないためその時はお昼を奢ってくれたりする。この間は、お店ではじめて鰻を食べた。何を血迷ったか、自分以外は大盛りを頼んだにもかかわらず、普通盛りを頼んでしまった。自分を可愛げのない後輩だと思いながらも、ほおばった鰻は格別だった。

緊急事態宣言が出た頃から、SNSによる受動ストレスが尋常ではなかった。そのため、思い切ってTwitterを消した。LINEも通知を切った。一概にはいえないが、別に緊急事態宣言があろうとなかろうと一人ひとりがやるべきことは変わらない。なにかを煽る必要もないし、不安がる必要もない。だって、みんな不安なのだから。
希望がないうつ発言が苦手だ。どうしようと悩んだところで事態は収束しないし、「腹くくれよ」と思ってしまう。ところが僕を一層面倒くさい人間にさせているのが、元気があり余った態度をしている人を見るのも嫌なのだ。空元気といえばいいか、無理してる感じが垣間見えてしまうと「いや無理すんなよ」とさえ思ってしまう。団結も煽るものじゃない。

丁度いい塩梅が全く見つからない。もっとこう、こうなったらこうなったでみんなの日常が見たい。むしろこうなってなくとも、僕はだれかの日常を覗きたいからSNSをやっているところがある。「自分へのご褒美」としてなにかをたべる人、その心意気がかわいい。「日曜のお昼から缶ビールを開けてしまった」とか「今週のジャンプめっちゃ面白い」ぐらいでもいい。別に「自転車のサドルに鳥のフンついてた」とか「恋人がかまってくれない」とか、ちょっぴりかなしいことでもいい。あなたの日常だったら、なんでもいい。

Twitterを消している間なにが一番たのしかったかって、仕事だった。仕事をしている時間は没頭できるからすきだ。悲観的にならなくて済む。いい意味で余白がないのだ。今の自分は仕事で覚えるべきことがたくさんあるが故にやりがいがあるという面もあるが、それを差し引いても、きっとたのしい。

すきな芸人、オードリー若林のエッセイにこんな言葉がある。

 そんな自分が、唯一ネガティブな時間から逃れられる人生の隠しコマンド、それが”没頭”である。
 僕のようなネイティブ・ネガティブが人生を生き抜くには、没頭できる仕事や趣味は命綱と同等の価値がある。
 先ほど紹介した、”肯定ノート”に日々書き連ねていくことで、自分がハマれることに敏感になっていった。
 それで、ゴルフを始めたり、キューバに行ってみたいと思う自分の心にも気づくことができた。

僕も没頭できることを考えた。読書、映画、漫画、お笑い……。つくづくコンテンツに生かされてしまっている。これも自分らしくていいのだが、昔からすきな没頭できること、それはココアを入れることだった。

中学生の頃からこの作業がすきだ。小鍋をひとつ取り出し、その中に少量のココアパウダーと牛乳を入れる。真っ白な液体に浮かぶまばらなココアの粉たち。弱火で温めながら、ココアのだまが残らないように丁寧に牛乳をかき混ぜる。このだまを溶かしていく作業がココアを入れる、ひとつ目の没頭。
ふたつ目の没頭、それは味の調整だ。最近は楽をして砂糖入りのものを使っているが、当時は純ココアだったため、ここに砂糖を追加していた。少しずつ牛乳、ココアパウダー、砂糖を入れる。このココアパウダーと砂糖の調合が難しく、甘ったるい味にしてしまった日もあれば、その反省を生かしてビターな味わいになる日もあった。この頃合いを探るのが毎日すきだった。
没頭はこころにいい。無駄なものをなくして、目の前に集中する。これが大切で、これを味わうために僕はおもむろにココアを入れ始める。

これをやれば自分は没頭できる、その数を増やしていきたい。
どうにもならない。正解がない。そんな胸を掻きむしる思いにふたをするには、没頭が特効薬だ。

頂いたお金によってよもぎは、喫茶店でコーヒーだけでなくチーズケーキも頼めるようになります。