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#17 「社会的マイノリティになる:なぜアメリカに来たのか」

こんにちは。
isseeeyyyyです。

タイトルには語弊があるかもしれませんが、今年の2020年秋でアメリカに来てまる4年、そして5年目の一年を迎える中で、
本日は僕がなぜアメリカに来たのか、というテーマで考えてみたい。

全てはどこから始まったのか、どんどん遡っていくとどこがきっかけでアメリカに来たいと思ったのかも正直わからない。
でも僕の生まれたところから大きく言えば始まっているんでしょう、そしてこれはこれからの人生のテーマでもある。

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僕の人生のテーマの根本は「平等」とは何かを追い求めることなのかもしれない。
いくら奨学金をいただいてもアメリカに留学できる家庭はそれなりに豊か。
誰が考えたってわかることです。
僕は自分の家庭が収入的なことに関して中より上であることを自覚しているし、お金に関しては厳しく育ってきたけれども、ヴァイオリンを習える家庭が決してお金に困っている家庭ではないことなど、普通に考えたらわかることです。でも、僕は小さい頃からその境遇が嫌で嫌で仕方なかった。

大阪の阪神高速を境にして、職安の建物がそびえる西成のあいりんの街と、それとは対照的に開発が進んで若者が遊びまわっている天王寺の街を、車で通るたびに見つめては疑問に思い、そして猛烈に怖かった。
なんで、台湾人や在日韓国人の同級生が日本人の名前を別に持って生活しなければいけないのか、全く理解できなかった。台湾人の両親を持つ同級生の彼が6年間、一言も学校で話さなかったことも。

あいりん職安

大学に入って、ネパールでの植林活動ボランティアに参加したり、ベトナムの孤児院でボランティアさせてもらったり、東日本大震災の復興支援ボランティアで岩手県に何回通っても、決して自分が彼らの立場になることはできず、そして僕は日本という、災害も経験しない豊かさに囲まれて生活している事実は変わらない。海外のどこに行っても日本という豊かな国から来た、何も失っていない大阪から来た幸せな少年という目で見られる。アジアを旅して現地の人に「現地人みたいだね」と言われて嬉しかったのはそこにも関係があるのかもしれません。

ネパールやベトナムに行って、学校に行けない子供達や親に捨てられた子供達と接して、彼らの何かを学びたいという生きる力にびっくりして、自分が恥ずかしくなったのは一生忘れません。
そして自分と違う境遇で生まれ育った彼らを「かわいそう」としか見れない自分に対してとてつもなく腹が立って、嫌いで仕方がなかった。なぜそういう風にしか考えられないのか、ひたすら問い続けました。
そしてネパールとベトナムにそれぞれ1ヶ月ずついた大学2年の夏の終わりに達した結論は、
「自分は無意識に人を差別している」
ということに気づいたこと、そして無意識に人をかわいそうとしか見れない僕自身を理解するには、
「僕自身が差別される立場にならないといけない」
ということでした。

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英語は中学の時からなんとなく好きで、気がつけばある程度は話せるようになっていたけれど、僕のアメリカに行きたいという気持ちを決定づけたある出来事がありました。
当時、英語ラジオをリスニングの練習も兼ねてずっと聞いていて、ある日偶然聞いたニュースの一つに白人警官が無実の黒人を撃ち殺した、そして何も刑事罰に問われないというものがあったんです。
出来事として理解はできた。でも人種が違う人が同じ社会で暮らしている中で、なぜそんな事件が起こるのか、頭で理解できても感覚として全くわからなかった。どうしても理解したいと思った結果、人種のるつぼと呼ばれるアメリカに行くことで少しでも自分を理解すること、そして社会を理解することができるのではないかと思い、アメリカに行くべくTOEFLの勉強をはじめました。

アメリカの大学は星の数ほどあって、その中でどのエリアの大学に願書を送るのかはとても重要な選択でした。
あえて白人の多いエリア、そして自分がマイノリティとして存在できる場所と学校を優先的にピックアップして願書を出した結果、80%が白人でクリスチャン、海外からの留学生は3000人中たったの100人ほどという田舎の小さな学校に行くことになりました。

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街を歩けば中国人の留学生と思われる。
ミシガン州から出たこともない学生達は、僕が日本から来たと言うと最初こそ「すごいね」「日本は好きだよ」というものの、英語がネイティブでない僕を完全に見下して、相手にされない。挙げ句の果てに教授からも差別される。トランプが当選した際には、僕たち留学生へのヘイトもあった。
そんな経験を3年間して、自分が社会のマイノリティとして存在することの辛さや、どうしようもない無力感を突きつけられました。
あぁ、社会の中で存在が否定される感覚ってこういうことなんだと。

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日本は単一人種国家で、違いが違いとして見えにくい社会だけれども、アメリカではそれば見える分、衝突も大きいし、議論になるからある意味いいと思う。
一方で日本は姿、形として見えないから問題としても見えにくい肌の色が同じだから、中身まで同じだと勘違いしてしまう。
でも日本でもその見えない差別に苦しんでいる人がたくさんいる。僕はそういう人を理解できる、理解できなくても理解しようとする気持ちを持って生きたいと思っている。
真の意味で全ての人の命の重さが「平等」であるべきだし、それが実現できる社会生きている限りは目指す覚悟でいる。

世界に出て、勝手に理解した気になるのもそれはそれでいい。
でも今思うのは、僕は日本という国を、人々を理解したくて海外に出たんだなということ。

震災後に東北で出会った人々の言葉の重さ、同じ日本にいるのに理解して挙げれない悔しさ。
震災という特殊な出来事がなくても、今の日本には理解されないという苦しみを持って生きている人がたくさんいる。
そういう人のそばに少しでも寄り添ってあげれるなら、世界はもっとよくなるはず。

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ネパールに行って、ベトナムに行って、震災のボランティアをして、今アメリカにいるからじゃあ境遇の違う人や差別される人の気持ちがわかります、なんて言うつもりはそうそうない。
結局人のことを100%理解することなんて不可能だから。でも人の気持ちを理解しようとする姿勢は取り続けることはできると自信を持って言える。

アメリカに来た理由は「差別されたいから」だけでもないのだが、それも立派な目的の一つ。
僕が思う真の平等をこれからの人生を通して発信できる人でありたい。社会を良くする人とはなんなのか、人生を通して考えて行動していきたい。

僕はよく理想論者と昔から言われます。まるで現実味がないと。
でも僕は、「理想なくして現実はない」と言いたい。理想がなければどこに向かうのか、まるで分からない。
理想を語らずして、最初の一歩目はありません。

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これからも人生のテーマとして少しずつ考えてアップデートしていきたいと思います。

それでは今日はこの辺で。
ほなまた。


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