No.212,物事の中心にいると見えるものも見えなくなる
はじめに
政治評論家や学者が政治家を批評するのをみていていつも感じることがある。
評論家が批評する。
学者が科学的根拠を示して提案する。
だが政治はそうそう動かない。
思うに、政治家は政治(組織や社会)の中心にいる人たちで、評論家や学者はその周辺にいる人たち。
立ち位置が全く違うため、分かり合えない部分が批評につながる。
個人的には評論家や学者が政治家になったり、
政治家が評論家や学者になることで今よりは広い視野が持てるだろう。
周辺人(マージナル・マン)
社会学に【周辺人(マージナル・マン)】という概念があります。
周辺人とは「完全には融合しない二つの社会あるいは二つの文化のマージン(境界にあるさま)に住み、必然的に内的動揺と強烈な自意識を経験する」(R・バーク、1928)
つまり、どっちつかずの根なし草のような存在。
確立した所属がないため不安定な心理状態に置かれる。
周辺人(マージナル・マン)の相対的な概念は中心人(セントラル・マン)です。
例えるとすれば、政治家が中心人(セントラル・マン)で評論家や学者、民衆が周辺人(マージナル・マン)だろう。
特定な所属もなく複数の社会や組織にいる(周辺)ことは心理的葛藤を生む。
しかし、そういったネガティブな反面、
複数の周辺にいるからこそ、ある特定の社会や組織を客観的視点でみれる。
事実、世界的な芸術家や思想家、学者などはユダヤ人が多いことからわかるだろう。
周辺人(マージナル・マン)
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中心人(セントラル・マン)
の行き来はクリティカル・シンキング(批判的思考)やメタ認知が高まることが予想される。
中心に居続けることは「木を見て森を見ず」
周辺に居続けることは「森を見て木を見ず」
中心人(セントラル・マン)と周辺人(マージナル・マン)の合意形成にはイメージ+実践が重要だろう。
最後まで読んでいただきありがとうございます(^^♪
参考文献
倉橋重史(1980)「マージナル・マンの問題」『桃山学院大学社会学論集』第13巻、第2号、pp347-370
西川一廉(2002)『職務満足の心理学的研究』勁草書房