知的探究心
知的探求心についてつらつらと書いてみる。
哲学者である中島義道は
「何かに対してそれでいいのかなって疑う、これを哲学というんです。暗黙のままに信じる。これを宗教といいます。」
と述べたが、本当にそうだなと思う。
これでいいのかと疑うということは、他に信じること(真実)があるのではないのかということから喚起される。
主観的には、宗教が間違いで哲学が正しいとは思わないし、どちらかと言えば信じる、信じないは本人次第でそれでよければいいだろう。
しかしそのまま鵜呑みをするよりは検証などをする科学的なものの方が信憑性は高いかもしれない。
山岡(1995)は、「このような「信じる」行為の能動性と力強さが必然的に感動をもたらすのは、自らが「生きる」ことへのコミットメント(commitment)のエネルギー がそうさせるのであろう。」と述べている。
「暗黙のまま信じる」ということは自らが信じるものではなく他者が信じているものを信じていることに過ぎない。
つまり他人の人生を歩んでいるに過ぎない。
自分の人生は自分のもので一度きり。
生まれ変わるにしても今の自分は一度きり。