No,147.遺伝のお話「遺伝が全てだという決定論の方へ」
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序論
以前、こんなことがあった。
「東大に入るやつは親も頭がいい、遺伝で決まっとる」
『そうなんですか?親が大卒ではない又は東大以外なのに東大入った人もいますよ?』と返えしたら、
「いや、それでも遺伝じゃ」と言い張る。
個人的には吐きそうになる。
少し辛辣なことを言えば、自らが納得できない現状を端的に遺伝のせいにしているだけ。つまり、「不満足の満足」にすぎない。フロイトの言うところの「原因論」が歪みまくった究極的な原因論(決定論)だなと。
※原因論の問題点は有名な「嫌われる勇気」に書いてあります
そもそも本人の努力はどこ行ったんだってことになる。
厳密に言えば少なくとも環境と遺伝の相互作用(ちなみに肉体的な身長などは除く)。
環境と遺伝の相互作用
ラットの実験でも賢い(迷路から餌を見つける時間が早い)ラットも軋轢な環境では成績が下がり、逆に賢くないラットもいい環境を与えると賢いラットと同じように賢くなる。
また、双生児(女性)を対象の研究で、アルコール飲量の分析も紹介されている。
それによると「遺伝要因・共有環境要因(親などの共有スペースなどの家庭)・非共有環境要因(友達や学校生活などの家庭以外)の影響割合は、それぞれ、遺伝要因21% ・共有環境要因39% ・非共有環境要因40% となっている。
日常生活で我々が感じている親子の類似性は、大まかにいうと遺伝要因と共有環境要因の和であるから、
例えば『A さんが飲んだくれなのは家系だ』という印象は、 60% (21% + 39% )ということになる。
しかし遺伝によって規定されているのはわずかに21% であり、酒飲みの家族から隔離したり、禁アルコール教育をする余地が79% (39% + 40)もある。
さいごに
遺伝が右の手、環境が左の手、鳴った音が結果だとすれば、
両手を打ち合ったとき 「右の手が鳴ったか左の手が鳴ったか」 と問うようなものである(Bischof ,1954)。
よもやま話に付き合っていただきありがとうございます( *´艸`)