泣いてない
朝から泣いてしまった。
涙というのは感傷や自己憐憫の類と同義であって、本当に悲しい時には使用したくない。少なくとも私の場合はそうだ。今朝は少なからず自分が憐れで泣けてきたので、まあ使用方法としては誤りではない。
年末あたりから親たちの状況がぐいぐいと進み、ひとりで走っている感覚を全身で味わってきた。第三波なるものがざぶんと押し寄せ、自分の個展もどうなるのか、焦りとも不安ともつかないものに揉まれてきた。
しかし世には友というものが存在していて、こんな不出来な人間にも、さりげなく暖かな気持ちを授けてくれた。友と呼ぶには遠い人も、それであれはどうなりましたか大丈夫ですか、と書いたメールを送ってくれた。
一人じゃない。ああ
頼みになる人は、いる。
かたや老親たちの頼りなさは容赦なく増していく。父が立てなくなったという母からの電話がかかり、どれだけ遠くにいても(といっても海の向こうなら電話も来ないだろうが)そこでどんなにやるべきことを抱えていても、呼び戻される。
夜はもうヘトヘトで、眠ることも出来ない。いや、こどものようにぐずぐずと夜更かしをした末、倒れるように眠る。するとまた夜半、あるいは未明に父の寝む階下から声がして起こされる。壁を指でなぞり、階段を降りる。
翌朝は、父はそんなこともすっかり忘れているのか、今日は京都で仕事だと言いながら起きてくる。悪くなかったご機嫌は昼には崩れ、母からどうしたらいいかわからないと電話がくる。授業中、鞄の中のスマホに5回の着信。日が傾くと、また電話が鳴る。きょうは帰ってくれるの?と聞く声。帰らなかったことは無いのに。買い物をして、帰って、料理をする。片付けをする。トイレや着替えを見守り、薬を塗る。
おやすみ、またあした、という時だけお互いに少しほっとしている。つかの間。
父も母もそれぞれの苦しさがあり、私の時間や仕事など枕の中身ほどの軽さしかない。電話が鳴る度に肩や胸の骨が粉々になるような感覚を味わうが、それらを押しのけ、または小脇に抱えて、歩む。時だけが道連れ。
震災から十年、とメディアは囂しい。こうして家族が生きていること、どうにかこうにか日常が続いていること。そう、それを肯定して持ち堪える。友からの手紙を抱いてもちこたえる。まだまだ、これくらいのこと。
涙なんて。