冬の木
いつからか木の梢を見上げるのが好きになった。通りすがりの公園や道端で、足を止めては首が痛くなるほどに木を見上げる。
毎冬受診する健康診断の帰り道は、大きな公園の中を通る。公園の入口には集合住宅があり、その間の緩やかな坂を木々を見上げながら下る。やがて道もないひらけた一帯に出ると、木々の足下に天然のウッドチップが敷き詰められ、その艶消しの表面に木洩れ日が光る。幼稚園や児童公園を横目に、冬の木たちをたどりながら歩く。いつも人気は少なく、ただ晴れた空と冬の木々がある。鳥の声、風の音。
欅や桜、榎。名を知った木も知らぬ木も、多くは葉を落とし何もつけない枝先を空に広げている。その細やかなレースのような広がりに目を凝らす。
白い幹の鈴懸の木には毎年あいさつする。枝先に鈴が下がり、ことしも変わらぬ美しい立ち姿で佇んでいる。その滑らかな木肌に見惚れ、銀杏の孤高をねぎらい、桜の枝に蕾の形を探す。見えないけれど、細い樺細工の奥では、きっと花の仕度が始まっている。欅の梢もまだ紅くはない。芽吹きはまだ先だ。もう少し。
公園の出口にさしかかると、そこに樟の大木がある。常緑を誇るそれはさわさわと木の葉の音を聞かせ、梢をゆったりとわたしの前に垂れ、空の青をより青く見せてそこに立つ。
見上げる木々には過去も未来もない。ただ生きている木の控えめな温みがあり、冬という季節の象徴のように厳かだ。
短い断食をして、血液を検査用に提供し、洞になった身体に梢の残像を詰める。公園を出たら、それを磨き、翻訳し、表現しよう。また次の冬まで。
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