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それでいいのかい

書き初めをするようになって数年経つ。
正月二日、心にさだめた漢字一文字を半紙に書く。
去年は潤、ことしは充と書いた。

新年二日はまだ空気も心持ちも澄んでいる。紙と墨と時間の許す限り書いて、気に入った一枚を自室に貼る。書くのはいわばその年のテーマで、絵の個展をするにも、もっとこまごまとした物事の判断にも、その一字をよりどころとする。これがわりあいに心地よいので、続いてきた。


テーマとは即ち願望、日常の裏返しでもある。
日々がカサカサだから潤、すかすかだから充と書く。潤うよう、充ちるよう毎日を過ごす。
問題は一年がそれなりに長いということだ。年初に伸びた背筋もやがてまるくなる。朝開いた花の香りが夕べには変化しているように、揺らがぬはずの拠り所も、半年も経つとやや効果が薄らいでくる。

そこで昨年からは、二度目の書き初めをすることにした。年が半分過ぎたところで、もう一度同じ一字を書く。もうじきその日がくる。


記憶力は弱いが忘れられない言葉がある。かつて新聞の一隅で出会った彫刻家・仏師の西村公朝さんのことば。
公朝さんが木彫を専攻する学生であった頃、制作途中の作品に向かう背後に、指導教官が立つ。そして言う。
「いま私は手に鉈を持っている。一振りすれば、それが君の遺作になるんだよ。それでいいのかい?」

絵を描く。
絹に描くのは準備に時間がかかるから、水彩紙に描く。それでいいのかい。家のあの部屋を片付けたいけれど、きょうは無理。たぶん明日も。それでいいのかい。
大切なあの人からの、期限のない頼まれごと。せわしくも重要ではない締め切りが、その上にどんどん積み重なって、見えなくなりそうだ。それでいいのかい。

時間がある時、いつか、は永遠に来ないことはわかっている。早く起きて玄関先の掃除をしたらどんなに気分がいいだろう。始めたい勉強を今始めて習慣化できたら、少し先の人生が違うかも知れない。
絹に描くのは難しいが得るものも多い。容易い絵だけ描いてどうする。じきに人生が終わる。


書き初めのおまじないも、みな、自分次第。片付かない部屋で半紙の束を手にとる。滑らかで、重たい。

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