ヨガのセルフプラクティス(自主練習)を続けたことによる変化の記録
最近、自宅でのヨガのセルフプラクティス(自主練習)に勤しんでいる。
スタジオに出向いて複数人で受けるグループレッスンも、その場にいるメンバーのエネルギーやレッスンの空気感や緊張感を感じることができたり、とったことがないアーサナが出題されたりととても練習になるのだが、自宅で一人しんみりと練習するのもまたとても練習になる。
マントラを唱える、伝統的な方法で太陽礼拝をする、一人でアーサナの研修をする、プロップスを使ってみる、プラーナヤーマや瞑想をしてみるなど、一人だからこそ自分のペースで心ゆくまで何度でも練習することができるので気に入っている。
自宅でのセルフプラクティスは孤独で地味なのだが、続けることによって確実にアーサナに変化が起きる。静かな環境の中で意識や感覚が研ぎ澄まされて自分だけの世界に没頭でき、体の隅々にまで呼吸やエネルギーが満たされるのを感じられたり、普段よりもより伸びや広がり、力強さを味わうことができる。
一方で、セルフプラクティスでは否応なしに自分に対峙することになるので、心や記憶が邪魔をして時々集中力を欠いてしまったり、家族や宅急便屋さんが来て練習が中断してしまうことが悪い面だと感じているのだが(悪い面ではあるが、メンタルトレーニングの一種と捉えて良い面へと変換するよう努めている)、しかしながら、スタジオの練習も一長一短で、短にフォーカスをすると、スタジオでレッスンを受けたことだけに満足してしまったり(中身のない練習)、スタジオの練習だけでは柔軟性や筋力の向上に時間がかかるし、そして何より課題や苦手を克服できない。
私は、前述の中でも特にスタジオで課題や苦手と感じて思い通りにとることができなかったアーサナを自宅で「復習&練習」するようにしている。
自宅で復習してみて弱点を洗い出し、家で何度も練習、必要があればパーツ別の柔軟 or 筋力トレーニングを行い、次のスタジオでの練習に活かす、をひたすら繰り返す。
次いつスタジオのレッスンでそのアーサナが出てくるかはわからないけれど、課題を発見したらなるべく早いうちに自宅で復習&練習する方が良いと思う。記憶や感覚が鮮明なうちに、まさに「鉄は熱いうちに打て」だ。時間が経てば経つほど記憶や感覚は薄れてしまう。
特に、私は課題や苦手を克服できなくても「まぁ、いいや」などという怠惰な気持ちになってしまう傾向にあることを過去の経験から自覚しているため、その格言を強く肝に銘じている。
復習&練習を繰り返していたら、当たり前なのだが、練習量が自然と増えた。
また、ごく自然な流れで復習を目的としない練習もするようになり、朝夕のヨガが基本となった。
そのおかげか、柔軟性や筋力が向上していることを如実に実感することが以前よりも増えた。
そして何より、苦手なアーサナを苦手と思わなくなった。
そして、これらに加えてさらに、自信とは似て非なるものなのだが、どっしりと揺るがない自分を信じる気持ちが芽生え始めてきていることに気付いた。
それはアーサナ中、自分の身体との会話から派生してきたものだ。
呼吸の心地よさ、足裏の感覚、太ももや腹筋などの筋肉の収縮具合、余分な力みや緊張がないか、関節の最大可動域、エネルギーの流れなどを
とこちらから身体に問いかけると、
と身体が応答してくれるので、私は
とそれらの様子を受け入れ、すっかり安心して自分のアーサナの型の中で寛ぐ。
もちろん、「押忍、今日はこんなんっす(-_-メ)」という日もあれば、「・・・(-_-)zzz」という日もあるので、いつも良い調子とは限らないのだが、そんな対話を繰り返しているうちに、その日の自分の身体を受け入れ、味わい、楽しむのが私のヨガの楽しみ方となった。
もう何にも囚われずに、自分の身体だけに意識を向けて、ヨガを楽しんでいる。