自宅でヨガを楽しむために必要なこと
最近、新型コロナウィルス感染症の流行や、猛烈に暑い日が続くので、自然と家に居る時間が増え、そして以前にも増して自宅でヨガの練習をする時間が増えた方もいらっしゃると思う。私もそのうちの1人である。
自宅での練習のいいところ
自宅での練習のいいところは、練習内容や強度をコントロールできるところに尽きると思う。
太陽礼拝等でアクティブに身体を動かして汗をかく、ボルスターやブロック等のプロップスに身を委ねてリラックスして心身を開放する、呼吸を整える等、そのときの自分の身体や心の声を聞いて練習を行える。
また、他人に気を遣う必要がないので、着古したウェアを着ても、ノーメイクで髪がボサボサでもOKなのもいいところだ(笑)。
さらに、最近ではオンラインでヨガのレッスンを受講するという選択肢が増えたので、練習方法のバリエーションが実に豊富にある。
私の場合、家での練習では、その日の体調に合わせて自分のためにシークエンスを考えてポーズをとってみたり、レッスンで提供する内容を考えたり、オンラインでレッスンを受けたりと、内容は様々だ。
自分が一番落ち着く場所や格好でアーサナの練習に没頭することによって、心も身体も思考(脳)もスッキリし、仕事や家事もはかどるようになった。生活全体に良い循環が起きている。
練習計画を立てる
家でヨガをするとなると、1日のスケジュールにヨガの練習を行う時間をどう組み込むかがかなり重要だ。
なぜならば、家には誘惑が多いからだ。テレビ、インターネット、食べもの、ベッドなどの誘惑に負け、練習できなかったこと数知れず。
また、家族がいれば家族のスケジュールに影響を受けない時間を選ぶ必要が出てくる。
誘惑に打ち勝ち、自分だけのヨガの練習時間を確保するためには、綿密な練習計画を立てる必要があるのだ。
私は週に一度、主に土日に、一週間の練習スケジュールを立てている。仕事や家事などの固定スケジュールを事前にリストアップしておき、空いている時間帯にポコポコとヨガの練習時間を組み込んでいく。(これがパズルのようで面白い。)
ちなみに、スケジュール管理には、Googleカレンダーを愛用中である。シンプルで使い勝手が良くて、色付けができたり、リマインドをかけることができたりするので便利である。
練習スケジュールを立てる際には、理想と現実がかけ離れた「願望の塊」でもまったくもって構わない。ひとまず、練習できたらいいなという時間をすべて書き出しておく。
最初は、スケジュール通り練習ができないこともあると思う。
また、想定外の予定が入り、まったく練習ができないこともあるかもしれない。
それでも、スケジュール通り練習できなかった自分を決して責めてはいけない。最初からすべてをうまく進行させようという気持ちは持たないこと、トライアンドエラーを繰り返すこと、失敗することを折り込んでおくこと、これが非常に重要である。
失敗を繰り返すうちに、その失敗にパターンがあることに気が付くかもしれない。それに気が付いたら修正すればいいだけのことである。
とはいえ、スケジュール通り練習できなかった日は、夜寝る前やスキマ時間に「ひとつだけ練習」がオススメだ。この「ひとつだけ練習」については、後日別の記事で詳しく述べるので参考にされたい。
アーサナの練習では、アライメントと練習頻度に気を付ける
自宅でアーサナを練習するのであれば、特にアライメント(アーサナ(ポーズの意)をとる際、筋肉や骨などの身体の部位の配置をその人にとって正確な位置に整えること)と練習頻度に気を付けるべきだ。
アライメントと練習頻度に気を付ける理由は、ケガをしないため、一生ずっと練習できるぐらいの身体でい続けるためだ。
自分にとって正しいアライメントが身につくまでは、できればスタジオやスクールに出向いて、またはオンラインで先生に見てもらいながらの練習をお勧めする。
そして、練習頻度にも気を付けたい。日々の練習によって筋肉や関節は意外と疲労しているようで、私は最近、「弾発股(だんぱつこ:股関節を動かした際に、大殿筋や大腿筋膜張筋/腸脛靭帯が大転子に引っかかってポキッと音が鳴る)」が頻繁に起きるようになってしまった。
特に、トリコナーサナ(三角のポーズ)をすると、必ずといっていいほどポキッや低い音でボックン(←本当にこんな音)と鳴る。
痛みは全くなく、身体はいたって健康であるのだが、弾発股の原因は、股関節のオーバーユース(使い過ぎ)らしい。
それゆえに、弾発股になってからは、今日は朝・明日は夜等と練習と練習の間の時間を空けたり、思い切ってアーサナの練習を休んでヨガ以外のことで身体を動かしてみたりするようになった。
最初は、練習をしないとなんだか不安だな…なんて思っていたのだけれど、練習頻度の調整は練習のひとつであると気付き、考えを改めた。
最後に、とあるトレーナーの方が「関節は消耗品である」とおっしゃっていたことを思い出したので、改めてこのことを肝に銘じてこの記事を終える。