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シンプルなヨガのすゝめ。

私のヨガは日常生活の中にある。日常生活のほんの一部にヨガがある。
ヨガだけが別物になったり主体となったりするのではなく、日常生活と同一線上にヨガがある。
私も皆さんと一緒で、炊事や洗濯、掃除などをしながら毎日を生きているし、気分が良い日もあれば悪い日もあり、体調が良い日もあれば悪い日もあり、そうやって穏やかな日、晴れている日、曇っている日、雨が降ったり風が強く吹いて荒れている日(笑)を同じように過ごしている。
ただ私の場合、ヨガに費やす時間が人よりも少し長いのだと思う。いつも何かあってもヨガに関連付けて考えてしまうし、自分が前述のどんな天気の日であってもヨガをする。でも、ただそれだけで、日常の過ごし方は本当に皆さんと一緒なのである。

ヨガは「特別な何か」でも何でもない。ヨガを「特別な何か」とか「特別なイベントや行事」と捉えてしまうと、その特別感を味わうためだけのものとなってしまう。
そして、日常生活からは大きくかけ離れていく。
もちろん、私もときにはその特別感を味わうためにヨガをすることもあるけれど、大概その特別感には「賞味期限」が決まっていて、その賞味期限を軸に物事が進んでいくものだから、とりあえず期限内に飲み込んでしまおうという「こなし感」や「しのぎ感」が出てくる。
でも、ヨガで本当に大切なことは、賞味期限なんて関係なくて、与えられたものを一つ一つ丁寧に手に取り試してみて、何度も何度も咀嚼(そしゃく)して自分の身体に馴染ませ、沁み込ませ、血や肉となるまでそれを続けることだ。
例えば、アーサナで脚を前後や左右に180°開いたり、身体を弓のようにたくさん反らせてドロップバックをしたり、首に足を引っかけたり…私はこれらを「お祭りアーサナ」と呼んでいるのだが、こんな曲芸のようなことはしなくていい。
お祭りアーサナも楽しいことは知っている。私も一時期、お祭りアーサナばかり練習していたときもあった。でも、お祭りが楽しいのは一時(いっとき)だけだ。
お祭りのときだけ、そしてその後も前述の「何度も何度も咀嚼(そしゃく)して自分の身体に馴染ませ、沁み込ませ、血や肉となるまでそれを続ける」ことができないのであれば、やらない方がマシと言っても過言ではないと最近はそう強く思うよう、考えが変化した。
毎日毎日繰り返し食べても決して飽きることのないシンプルなご飯とみそ汁のように、アーサナも毎日毎日繰り返し行なえるものを吟味して、自分の身体に馴染み、沁み込み、血や肉となるまで淡々と粛々と練習を続け、そしてヨガが終わったら普段の日常生活に戻っていく、それが一番健康的だし、現代人に合っていると思うし、ずっとずっとヨガを楽しみ続けられると思う。
アーサナには特別感も、お祭りも必要ないということである。

このように考えが変化したことのきっかけは、やはり2023年の9月にインドにいったことに尽きる。
そしてそこで出会った方々からの影響を大いに受けている。

インドでのヨガはとてもシンプルだった。
ここでのヨガは、身体を動かすアーサナ(ポーズ)以外のヨガも含まれていて事前に多少の知識やテクニックを身につけておく必要はあるのだが、どれも万人が行えるし、ずっと一生続けられるシンプルなものだった。
一行にはヨガを始めたばかりという方もいらっしゃったのだが、ビギナーでも熟練者でもどんな方でもヨガの醍醐味を味わえるものだった。
そして何より、ここでのヨガはシンプルな暮らしとともにあった。
水道や電気などの生活インフラは注意をしながら使用する必要があったけれど、その資源を上手に工夫すれば使用することができた。手洗いながらも洗濯をする、水シャワーを浴びる、ティッシュは流せないけれど用を足す、ほうきで部屋の掃除をする、扇風機の風を浴びる・・・気付けば不自由さをあまり感じずいつも通りに生活することができた。
それは、私の場合、昔の昭和の時代の日本や一人暮らしのときの自分の生活も必要最小限のシンプルなもので過ごしていたから、インドでもすんなりと違和感なく過ごすことができたのだと思う。
モノや条件が揃っていなくてもなんとかなるし十分で、もしかしたら日本での生活ではなくてもいいものも多分に含まれているのかもしれない、そんなことに改めて気付かされたのである。

インドでシンプルさを知ったら、それ以降、何事もシンプルであることをやめられなくなった。
私とって、シンプルには快適さや安心感があるのだ。
だから、当ヨガ教室のレッスンにご参加いただく皆さんにも、日常生活とともにシンプルにヨガを嗜(たしな)んでほしい、そう願いながらいつもレッスンを行っている。
例えばアーサナは、老若男女どんな方でも毎日(できれば一生)続けられるシンプルだけどちゃんと効果的で、レッスンが終わった後には快適さや安心感が生まれるような、心身ともに健康でいられるものをこれからも研究し続けながら、皆さんにお伝えしていく所存である。

ヨガはとてもシンプルである。
世の中には様々なヨガがあるけれど、その根本は私の調べによればシンプルであるということに尽きる。
だから、何も気負う必要はないし、何も飾らなくていい。
もし、何かを背負っていたらそっと脇に置いておき、いつも通りのご自分のまま、できるだけシンプルにヨガをお楽しみいただきたい。そう思う今日この頃である。

▼おまけ(過去記事3つ:インドで見て聞いて体験してきたもの)




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磯崎佐智子(Sachiko Isozaki)
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