『サキャ格言集』岩波書店 【読書日記】
サキャは1182年チベットに生まれた高僧。
その格言集なので硬い書物と思われるだろうが、結構読みやすい。一項4句の定型文のリズムも気楽に読み進められる。少々引用させていただく。
目次はこんな感じ。〇〇の考察というタイトルが個人的には好感触。
Ⅰ章 賢者についての考察
Ⅱ章 貴人についての考察
Ⅲ章 愚者についての考察
Ⅳ章 賢愚混交についての考察
Ⅴ章 悪行についての考察
Ⅵ章 本性についての考察
Ⅶ章 不相応についての考察
Ⅷ章 行為についての考察
Ⅸ章 教法についての考察
解説
Ⅰ章 賢者についての考察より
一番最初の格言。いかにも格言。
「太鼓はばちで叩かなければ」
と読んだところで、賢者がばちで叩かれているところを空想し、ちょっと可笑しくなった。読み進めると分かるが、「理」と「喩え」が連続してるので、脳内で可笑しなブレンドがまま起こる。
箴言や格言から始まる考察が知性を深める、こうした学び方は遠い昔の話、という現代だが、ときにはそうした学び方に還ることも大切と思う。
「波止場の哲学者」と呼ばれたエリック・ホッファーは沖仲仕をやりながら思いついた箴言をノートに書きとめ、後日時間をとって考察に費やした。こうした学び方をした人に強靭な知性を感じるのは私だけだろうか。
Ⅱ章 貴人についての考察より
切羽詰まるとすぐに必要なものだけが心に浮かんでくる。
しかしどうしてこれが貴人についての考察なのか、ちょっと分からない。
賢者がつまり貴人ということか?
貴人の存在に気がつくのは存外難しいということだろうか?
Ⅲ章 愚者についての考察より
愚者としては悔しくもあるが、自虐的に笑っておこう。
さすがに嫌な言われようだ。でも笑っておこう。
「尻尾のない老犬」というのがどういう意味をなすのか、民俗学的に気になる。
「ある島では甲状腺腫」とはなんなのか?これも民俗学的に解かないと分からない。
また尻尾だ。尻尾がなんなのだろう?民俗学的に‥‥
人は「目の当たりにした」ことでも誰かに聞かないと判断出来ないことがある。自立した人間になりたいものだ。
Ⅳ章 賢愚混交についての考察より
まさにクソミソ。こういう皮肉とユーモアがこの格言集の面白さだと思う。整体を創始した野口晴哉氏にも通じる皮肉とユーモアだ。
教えること。導くこと。
とても美しい格言。風情がある。
Ⅴ章 悪行についての考察より
この老犬を空想してしまう。ちょっと生理的嫌悪感が湧き上がる。
骨髄に栄養価を感じるのは家畜や狩猟が身近な時代だからだろう。
Ⅵ章 本性についての考察より
水⇒雲⇒雷鳴
これが負の意味合いに向かっているという意外性。
このテンポに私はついていけなかったが、もう一度読み直したら追いついた。
毒と薬が紙一重であるのは、この時代の平均的な感性であったのだろうか。現代では別物となったが、日本も半世紀くらいさかのぼると紙一重ではなかろうか。
Ⅶ章 不相応についての考察より
たしかに水は炎にはならない。ここ面白いと思うのは少数派だろうか。
そんなふうに怒る人がいるし、そんなふうに怒ってしまったことがある。気をつけよう。
Ⅷ章 行為についての考察より
これも毒と薬の喩えだ。
昨今は「ブーメラン」と言うらしい。
いやそれだとちょっと軽いかな。もう少し重く受け止めておく。
敵と思った途端に痛いところを突こうとする愚かさか。
Ⅸ章 教法についての考察より
身体を苦しみの器にしてしまうか、福徳の器にしていくのか。
整体の目指すところと同じであろう。
解説より
サキャ・パンディタは称号、「サキャの大学者」の意。1182年チベットのサキャで生まれた。
13世紀前半。モンゴルの台頭があり、チベットにもその鉾先が向けられた。この危機に対し、チベットを代表してサキャ・パンディタがモンゴルに派遣された。1244年、すでに63歳にしてサキャはモンゴルへ旅立った。以後1251年に亡くなるまで、モンゴルの宮廷でチベットの保護につとめた。
原文は七音節の句を基本単位として四句で構成。
チベット語の韻文のもっとも古典的な形式で書かれている。
サキャの政治家としての生き様にも思いを馳せながら読むと、また深い含蓄を感じられる。個人的には野口晴哉とエリック・ホッファーを思わされる格言集だった。
岩波文庫では初めてのチベット文学とのこと。訳者 今枝由郎氏に感謝。
図書館で借りた本には、2002年1刷、2009年4刷とある。結構読まれているようだ。
今枝由郎=訳『サキャ格言集』岩波書店