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ロッキミマスの誕生前夜ーYouTubeチャンネル【ロッキミマス】の誕生その1

 本日(2024年9月16日)、ロッキミマスの10本目のYouTube動画が公開された。

 7月15日の最初の投稿から毎週更新を掲げて約2か月が経った。実際に毎週更新が継続できているのもありがたいことだが、チャンネル登録者数も9月14日にようやく100人に到達した。

 まだまだ収益化には程遠いし、出演者の多さを考えれば、宣伝が不足しているのも明らかだ。しかし最初のマイルストーンとして100人という数字は大切にしたいし、これまでに登録してくださった視聴者の方々にまずは感謝したい。

 私は10本目にしてようやくザ・カンボジーヤの出演回がアップできることに安堵している。このチャンネルの立ち上げには、ザ・カンボジーヤの柴助ロボが大きく関わっていたからだ。

 ロッキミマスは私が初めて立ち上げから関わったYouTubeチャンネルで、そのメンバーは、出演者から裏方まで、すべてタイタンの学校6期生だけで構成されている。本稿ではこのロッキミマスがどうやって企画され、公開されるに至ったか、その誕生までの軌跡を私の視点から記していきたい。 

 なお、以下の文章は今後、有料化する可能性がある。そのつもりでお早めに読んでいただきたい。

はじまりの夜

 タイタンの学校6期の全日程が終わり、修了式が行われた4月6日(2024年)、芸人コース・一般コース合同で打ち上げが開かれた。そして場所を変えて二次会があり、さらにお金のない芸人たちの希望で三次会は近所の公園で静かに続けることになった。

 私は学校をやり切ったという思いと同時に、これからあの退屈な日常に戻っていくのかと、夢から覚めるような空しさを感じていた。学校にいる間は全力で取り組んで、その途中で作家になるという漠然とした目標を口に出して、会社を辞める決意をした。ただ具体的な今後のことは何も決めていなかった。

 時間も遅くなり、そろそろみんなとお別れしようかと思っていると、ザ・ダッチライフ(現ザ・カンボジーヤ)の柴助ロボくんから声をかけられた。

「与太ガラスさん、いまこの人たちと、みんなで動画撮ろうって話してたんですよ」

 そこには一般コースの佐藤亮さんと第1セバスチャンさんがいた(ロッキミマス公開名)。佐藤さんはアニメーション作家や映像編集を生業としている方で、第1セバスチャンは作曲もできて音響に精通している方だ。学校に通っていた一年間、授業後によく飲みに行っていたメンバーで、気心が知れていた。この二人が機材と編集を担当するというのだ。

「与太ガラスさん、企画考えたりできますか?」

 インフラが揃っているところに企画を出してだなんて!こんなにありがたい状況はない。私は二つ返事で食いついて、企画も台本も全部やると申し出た。すると同じく一般コースのごめんなさきさんも話に加わってきた(ロッキミマス公開名)。この方の素性は謎に包まれているが、いつも授業に遅刻してきて、常にノートパソコンを携帯している忙しい人という印象だった。

 そこから「あんなこといいな、できたらいいな」な提案が各々から出されて、取り留めのない話が続くことになる。お酒が入ってワイワイ盛り上がって空想ばかりが膨らんで、現実には何も始まらないというのが世の常で、ここにいるのは、いま決めなければもう二度と会うことはないメンバーである。

 いま居る5人のスケジュールを確認して、この日に会って話し合いの場を設けよう、と決めたのが一週間後の4月14日だった。始めるのはYouTubeチャンネル。それだけ決めて、この日までにチャンネルコンセプトやら企画やらの案を考えて、各自持ち寄ることになった。

 絶望のままにトボトボ歩くと思っていた帰り道、新しい何かが始まる予感を携えて、私の心はヒリヒリしていた。

 最後の夜だと思っていたあの夜は、はじまりの夜になった。

その2につづく

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