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短編小説「老いぼれロッカー」1700字

 都心から少し外れた街にある老舗のイベントスペースには、満員の観客がひしめいていた。客席後方の調整室からその光景を眺めながら、私は背筋を正した。

 司会者がゲストを呼び込むと、私も含めたその場にいる全員が壇上に釘付けになる。ロックミュージシャン滝口ミストが登壇した。

「こんな老いぼれを見に集まってくれてありがとう。みなさま、最高の夜を」

 このトークイベントの構成台本のオファーをいただいたとき、ゲストの名前を見て私は二つ返事で了承した。滝口ミストに関われる、こんなチャンスは二度とないと思った。誰にも渡したくない仕事だった。

 私は自分の中にある滝口ミストの知識を総動員して、さらに当時の音楽雑誌を読み漁って肉付けして、イベントMCと何度もやり取りをしながら構成台本を書き上げた。リアルタイムで滝口ミストの伝説を知らない世代にもついていけるように、かと言って昔からのファンも飽きさせないように、さまざまな想定質問を織り交ぜた。

 イベントは大いに盛り上がり、終演後、私は滝口ミストの楽屋に挨拶に行った。構成作家は台本を書くまでで仕事は終わっているので、イベント当日に現場に来ないこともある。しかし今日だけはどうしても来なければならないと思っていた。

「はじめまして、今回構成を担当した橋本光太郎と申します。本日はありがとうございました」

「ああ、お疲れ様。いい夜だったよ」

 この一言にミスト節が詰まっている。

「実は滝口さんに感謝を伝えたくてお邪魔しました」

「はは、こんな老いぼれをおだてても何も出ないよ」

 この人は、事あるごとに自分を“老いぼれ”と表現する。ロッカーは若くしてこの世を去るものという美学を常に心に持っていて、自分は死ねなかった男だとずっと言い続けているのだ。

「私、滝口さんの『レイトシティスクラップ』をずっと聴いていて」

「あのラジオか。ありがとね」

 そう言ってくる人は山ほどいるだろう。『レイトシティスクラップ』は伝統のある深夜ラジオ番組で、その枠は50年を超える歴史を持つ。滝口ミストが木曜1時を担当していたのはもう20年も前の話だ。当時のミストは31歳。

「その番組で、自分が人生に絶望して悩んでいることを投稿したことがあるんです」

 滝口ミストは黙って私の話を聞いていた。当時の私は高校を卒業してすぐに就職した会社を辞め、アルバイトで食いつないでいる時期だった。何をやっても楽しくなくて、生きていても仕方がないと思っていた。どうしようもない男のしょうもない悩みだった。

 その泥水で書き殴ったような文章に、滝口ミストはこんな言葉で返したのだ。

『俺はね、今でも悔しいと思いながら生きてるよ。なんで死ねなかったんだろう、なんでこんな歳になっても音楽やってるんだろうって。すぐにでもここのブースの窓を突き破って飛び降りたいと思ってるよ。でもそうしないのは、生きるしかないからなんだよな』

 決して激しいわけではなく、高揚していることもない。それに、何を解決するわけでもない言葉だった。でもその言葉は私の前の方から入ってきて、胸の中にストンと収まった。そして私の身体の内側をじんわりと温かくした。その言葉には確かな温もりがあったのだ。

「私はそのとき、あなたの言葉に救われました。今日、構成作家としてこのイベントに関わることができたので、それだけを伝えたくて」

 私はオタクっぽい早口をなんとか抑えながらしゃべった。

「ごめんね、全然覚えてないや」

 その言葉はミストの口からポンッと音を立てて出た気がした。当たり前だ。私にとっては人生を変えるような言葉でも、この人にとっては些細な会話で、そうやって無自覚にたくさんの人を救ってきたのだろう。

「不思議だな」

 ミストは私の目を見て、優しく微笑んだ。

「こうして君のような人から感謝の言葉を伝えられると、自分の人生が肯定されたような気分になるよ」

 直接感謝を伝えられただけで満足だったのに、そんな言葉までくれるなんて。リップサービスかもしれない。もしかしたらこんな経験も山ほどあって、ファンから言われるたびに返している言葉かもしれない。

「いえ、そんな恐れ多いです。私はただあなたのファンで……」

「ファンの言葉だからだよ。君の言葉には温度があった。それはちゃんと俺のココに伝わってきたよ」

 そう言うと滝口ミストは、自分の胸を拳でトントンと叩いた。スターすぎる。

「長生きもしてみるもんだな」

 そう言うと滝口ミストは、膝に手をついて立ち上がり、笑いながら楽屋から去って行った。その後ろ姿を、私は胸に手を当てながら見送り続けた。

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