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掌編小説「未来の記憶」1000字
優作が目を覚ますと、ベッドの脇でうたた寝をする千佳子が見えた。病室の窓から差し込む夕日が千佳子の寝顔を明るく照らしている。優作はこの顔をずっと見ていたいと思ったが、彼女のためにはそうも言っていられない。
「また来てたのか? ダメじゃないか」
その声に千佳子はゆっくりと目を開けた。
「優作さん、起きてたの? 大丈夫? どこか痛いところは?」
千佳子は矢継ぎ早に質問してくる。痛いと言えば全身痛い。優作の体は病に冒されていた。
「そんなことはいいんだ。君はこんなところにいるべきじゃない。病人のことなんか放っておいて、自分の成すべきことをやるんだ」
千佳子は天才だ。小学生の年齢で大学の博士課程を修了し、そのまま研究員になった。そして毎日のように新しい発見をしている。
「なんてことを言うの、いまの私にはあなたとの時間しか必要ないわ」
千佳子は優作を愛していた。それは優作もまた同じだ。彼女はどこまでも素直でひたむきで、優作がその才能に嫉妬することすらないほど完璧な人間だ。でも、だからこそ、すぐにこの世からいなくなる自分なんかに時間を使う必要はないと、優作は考えていた。
そして何を言っても最後までそばにいてくれるということも、優作にはわかっていた。
「ねえ、なんで私が天才なのか、教えてあげるわ」
「なんだよそれ、自分から天才って言うなんて、珍しいな」
そう、千佳子はどこまでも謙虚で、自身の天才性をひけらかすような性格ではなかった。
「私にはね、未来の記憶があるの」
「未来の記憶?」
どこまでも実直な千佳子は冗談が苦手だ。
「そう、未来の記憶。私はこれからくる未来を知っているから、それに向かって進めばいいの。新しい発見も、あり得ないような発明も、すべて記憶に沿ってやるだけでできてしまうのよ」
「なるほど。それはズルいな。人生イージーモードってやつだ」
優作は千佳子の冗談に乗ってやることにした。
「だからね……、私には、あなたと歩む……未来の記憶が見えているのよ」
千佳子が声を詰まらせる。
「大きな庭のある家で……、あなたと、三人の子どもたちと……、たくさん笑って暮らしてるのよ……だから、だから……!」
千佳子は言いながら泣き崩れた。その姿を見ながら、優作はまぶたが重くなっていくのを堪えていた。
「そうか。じゃあ俺は、安心して寝られるな。そんな未来が待っているなら……」
優作はゆっくりとまぶたを閉じた。そのとき、一粒の涙が頬を伝って落ちた。