みんユルクロニクル#11 『思索と構築Ⅰ:みんなそこにいた』
※前回までのお話はこちら。みんユルクロニクル#10『COME ON EVERYBODY』
Roll Camera!
2020年5月25日 月曜日 11:00
ある種の祭りのような状況から一夜明け、ぼくを待っていたのは通常業務だった。この日から3日間ほど、MV(ミュージックビデオ)の編集のために編集室に篭ることになっていた。最終的に完成するとこうなることになる、こちらの仕事はこちらの仕事で、お祭りのようになることが決定していて、奇しくもこの週は祭りを掛け持つような形になっていた。そもそもぼくの通常業務は、一年中学園祭の準備と本番をわーわー繰り返しているような、ビューティフルドリーマー的側面があるのだが。この時は仕事で外出すること自体が久しぶりだった。
あらかじめ、ちーかまさんとは仕上げの段取りを相談してあった。ここから映像と音を並行作業で仕上げて行くことになるのだが、ぼくのスケジュールの都合もあり、先にちーかまさんに音を仮組みしてもらい、それを貰ってから映像を編集し、さらにそれをちーかまさんに返して音をアジャストする、というキャッチボール方式で進めることにさせてもらった。
この時点ではボールはちーかまさんにあった。スピードスターのちーかまさんとはいえ、まあ冷静に考えて、200人近い人たちの歌を重ねて1曲にミックスする、という音楽制作作業は簡単ではないはずだ。ここから数日、ぼくのみんユルタスクは静かだったが(別件では大わらわだったけど)おそらくちーかまさんは音楽ソフトを前に、孤独な戦いを繰り広げていたのだと思う。そちらにも確実にドラマがあったはずなので、いつの日かちーかまさんの口から語って頂く日を楽しみにしている。
こんなんなってる人に面白い話がないはずがない。間違いない。
緊急事態宣言が解除されたこの日、世の中の雰囲気は、少しずつではあるが兆しが見え始めたかのように明るく感じられていた。この時点では、未だに全体の作業量が見えていなかったので、みんユルの公開日は決まっていなかった。というよりも決められないでいた。できるだけ早く、とは思っていたのだが、ここはクオリティ重視でいかせてもらうつもりだった。
ぼくの仕事上、ざっくり「編集」と一言で呼ばれる作業は、大きく2つのプロセスで成り立つ。撮影素材を選び、切ったり貼ったり順番を入れ替えたりしてして一本の映像につなぐ、「仮編集」とか「オフライン編集」と呼ばれる作業と、タイトルを入れたり合成したりエフェクトをかけたりする「本編集」「オンライン編集」作業である。基本、この2つの作業が、本来の意味での編集作業を指す。この他に、色をいじる「カラコレ」「グレーディング」と、音をいじる「MA」という作業も広義に編集に含まれることもある。まあ、撮影後の後処理全般をざっくり「編集」と呼んでいるのだ。
みんユルの仕上げ作業で次に行わなければならないタスクは、このオフライン編集だった。そして、この日行なっていた別件MVの作業も同じくオフライン編集だ。
オフライン編集は、古くはフィルムやテープに直接ハサミを入れ、切ったり貼ったりするアナログな作業だったが、ぼくが仕事をはじめたころにはとっくにデジタル化されていた。当時はavidというソフトが主流で、基本的には編集室と呼ばれるハコに入って作業するのが当たり前だった。編集室ではavidを操るエディターの横に並んで座り、この画切って、ケツ伸ばして、このカットの別テイク見せて、とか指示を出しながら作業を進める。
しかし、ここ数年はAdobe Premiereが台頭し、ほぼavidに取って変わってしまった。Premiereはイラレ、フォトショなどと共にAdobe Criative Cloudのひとつなので、ぼくのPCにも入っている。正確にいうとその前にFinal Cutの時代が少しだけあったのたが、なぜかAppleがやめてしまった。Premiereはそこまでマシンスペックを要求されることがなく、手軽なので、最近はエディターのノートPCを使って作業し、会議室などで試写を行うことが多くなり、編集室で作業する機会は減ってきた。
とは言え、大量の映像素材を扱う編集では、ノートPCでは限界もある。この日の作業は(コロナのせいもあるが)本当にひさしぶりの編集室作業だった。
朝、家を出る際には、まだ最後のけもの便は到着していなかった。予想通り最大の応募数となった最終日のデータの取りまとめは簡単ではない。どちらにせよ今日のところは作業できないので、獣さんを急がせる必要はない。
おれはPCをカバンに突っ込むと、(充電の完璧な)自転車に跨って、曇り空の下、渋谷の編集室へと向かった。今にも雨が降り出しそうな天気だった。おれはヨーロッパ人並みに傘を差すのが嫌いなので、少々の雨なら自転車で出かけてしまう。
この日、おれはみんユルのことは忘れ、あくまでも仕事に集中するつもりだった。この日のオフラインエディターとは彼がまだ新人のころからの長い付き合いで、これまでに何本の作品を一緒に仕上げたかわからない。年は下だが、気心の知れた間柄だった。
長く仕事をしていると、段々とスタイルが確立されていくのだが、おれはどちらかというと比較的オフラインエディターを固定したいタイプだ。例えばカメラマンなどは作品の内容や狙うトーンに合わせて毎回様々な方にオファーをするのだが、反対にオフラインエディターはほぼ2〜3人に固定している。撮影ではカメラマンの個性に頼りたい場面が多く、編集ではこちらの意図を汲んでほしいケースが多い、といったところだろうか。もちろんカメラマンが意図を汲んでくれないわけでも、エディターに個性がないわけでもないのだけど。
エディターというのはなかなか不思議な職業だ。多くの場合、ディレクター席はエディター席の隣にあって、おれとエディターは横に並んで座り、2人で会話しながら編集を作り上げていく。ただし、指示通りにただ作業するだけのオペレーターになってしまってはわざわざ仕事をお願いする意味がない。おれのPCにもPremiereが入っているぐらいなので、それなら1人でやった方がコストがかからない。
このあたり、人によってかなり意見ややり方の分かれるところではあるのだが、おれはわざわざエディターを立てる以上は、まずはお任せで編集してもらいたい派だ。それには編集のセンスとか意思、美学みたいなものが必要なだけではなく、こちらの演出意図ややりたいことを汲み取るスキルが必須だし、こちらの説明を理解するコミュニケーション能力も重要だ。
いつかoomiさんが登場したシーンでも書いたのだが、こちらの意図を察して皆まで聞かずとも能動的に動ける勘のよさが必要不可欠な職業なのだ。
「このカットのケツちょっと切って」という指示に対し、5フレ切るのか2フレ切るのかは、もはや関係性の領域だと思っている。(1フレ=1フレームは、1秒30コマベースだと1/30秒)
フィーリングの合わないエディターと仕事をすると、フラストレーションが溜まり、自分でやった方が早い、ということになってしまう。ついでに言うと付きっきりの作業になるので、ある程度馬鹿話も出来るぐらいの間柄でないと、息も詰まる。つまり、なにが言いたいかというと、こちらとしては信頼出来るエディターはかけがえのない存在なのだ、ということだ。向こうはどうか知らないけど。
3日間ある編集の初日なので、この日は普段はいるはずの制作部もおらず、完全に2人だけの作業だった。基本的にみんユルの編集は自分のノートPCでちくちく進めるつもりだったのだが、せっかく編集のプロと一緒にいるのだ。時間的な余裕もあり、おれは何気なくみんユルの編集について聞いてみた。
isomix:「いま、自主制作でこういうのやっててさ」
Editor:「すげー!みんなでユルネバっつうんすか?面白いっすね!」
isomix:「で、このあと、おれが自分のPremiereでオフラインやるんだけどさ、この編集、お前だったらどうやる?」
Editor:「うーん、200近く素材あるんすよね?」
isomix:「そう。普通のPVだったらさあ、リップ合わせてレイヤー重ねんじゃん?これと同じに」
それはまさにこの日にやっている編集方法と同じやり方だった。複数のカメラで撮った素材を、音楽と口パクに合わせて重ね、使いたい部分でスイッチングする。基本的にはKIMIKA Special ver.の時にやってたのと同じ方法だ。ただし、この時はKIMIKA Special ver.素材だけだったが、みんユルは200素材近くある。エディターは少し考えてから答えた。
Editor:「まあでも、今日と基本同じやり方するかなあ。確かにレイヤーすげーことになるんで最初めっちゃ大変ですけど、やっぱ一回全部リップ合わせた方が後が楽だと思うんすよね。」
isomix:「えっマジ?でも200近くレイヤー重ねることになるじゃん。そんなん組めんの?」
Editor:「あ、Premiereってタイムラインのレイヤー数に制限ないんで、理論上は無限に増やせるんすよ。つーか今日もそうやってます」
この日の編集は、とても人数の多いグループのMV編集だった。
isomix:「あ!そっか」
Editor:「今、レイヤーこんな感じっす」
isomix:「うわ。すげーことなってる!じゃこれ、おれのPCでも出来るんだ」
Editor:「あーそれはたぶんマシンスペック的に無理っす。並べること自体は出来ますけど、重すぎて動かないっす」
isomix:「まじかー!そうすると、部分部分で編集して、書き出してくしかないってこと?」
Editor:「うーん、そっすね。けどそれだと全体が俯瞰で見れなくなっちゃうんで、あんまいいやり方じゃないっすけどね」
isomix:「あーまあ、そうか。想像で補ってくかんじにはなるよなー」
Editor:「編集して書き出して、その書き出したやつでまた編集してになっちゃうんで、めっちゃ大変っすよ」
isomix:「うーん。そっか。そうだよなー」
Editor:「ちなみに、それっていつまでに仕上げるんすか?」
isomix:「いや、期限とかはないんだけどね。待ってる人はたくさんいる」
Editor:「なら、この仕事終わった後でいいならレイヤー組みやりましょっか?俺のマシンならいけるんで」
isomix:「えっ!うそマジで!?」
Editor:「俺、スケジュール空いてるんで」
isomix:「うそお!…けどやってくれたら超助かるかも」
Editor:「いっすよ。基本は今日の作業とやり方一緒なんで」
isomix:「わー!マジよろしくお願いしまっす!!」
よろしくお願いしてしまいました。
ありがたいことに編集をバックアップしてもらえることになり、ずっと心にのしかかっていたテクニカル面での不安が一気に解消された。これで演出面に集中できる。
とても気が楽になり、この日の演出はビシっと冴え渡った(と思う)。MVの進捗にも満足しつつ、とにかくこの日は気分良く仕事を終えると、代官山を颯爽と突っ切って帰った。雨、降ってたけど。
夜になって、ついにけもの便が届いた。ここまで時間がかかるということは、獣さんの苦労は並大抵ではなかったはず。ありがとうございます!と心で呟きつつ、実際の作業は明日以降に持ち越した。結局、最終日に届いた映像は、計85素材。さあ、これで、ついに全員分の映像が出揃った。
Spinnin'!!
2020年5月26日 火曜日
PV編集2日目。30度を超える暑い一日。この日も自転車で渋谷へ向かう。祐天寺の我が家から渋谷までは、かなり起伏がある道のりなのだか、おれの(充電のパーフェクトな)電動自転車なら屁でもない。暑さも、風切って走ればそれほどのことはない。爽やかに中目黒を駆け抜け、ほぼ通勤路と化した道のりを行く。槍ヶ崎から八幡通りを突っ切り、渋谷へ。
この日はエディターが作業している時間が長く、かなり待ち時間があったので、その時間を利用して、素材をざっと見通すことが出来た。
みんユルの編集において、この素材をじっくり見るという時間がとれたことは、とても有意義だったと思う。普段は撮影時に自分で演出しているので、当然現場ですべてのテイクを見ているのだが、みんユルの場合は違う。
すべての素材がお任せの撮影になっているので、ファイルを開いて再生してみるまで中身がわからない。まあ、素材を見る、というプロセス自体は当たり前と言えば当たり前なのだが、時間に追われた普段の業務では、なかなか見るだけという時間は取りづらいのだ。その後の編集作業のことを考え、なんとなく把握できればよし、と、ついつい流し見になってしまいがちになる。しかし、みんユルの場合は流し見が通用しないのだ。
例えば、人によっては最初旗を振っていたかと思えば、最後にクラッカーを鳴らしている画が一瞬だけ入っていたりする。静かに歌っていた人が最後は踊り狂っていたりする。気を許すと、思っても見なかった行動や、トリッキーな動きをしていらっしゃる方がたくさんいるので、最初から最後まで見逃せないのだ。人数的に一人当たりの登場はとても短くなってしまうので、せっかくなら一番オイシイ、最高な部分を使いたい。それを発見するのに、この待ち時間は非常に重要だった。…と書きましたが、いや待て、俺の最高は使われてたところじゃなかった!私のベストショットを使ってくれなかった!と思われる参加者の方もいらっしゃるかと思います。このへんに関しては、この後の話で細かく解説していこうかと思っております。
一人一人の素材を見て行く作業は、なんというか、宝探しのようなものだった。青赤メガネを装着する瞬間、とか、ビールをかかげる瞬間、ねこが逃げる瞬間など、見逃してしまいそうないい一瞬がたくさん隠れている。それに巡り合った時は、お宝を見つけたような気分になる。さてさて、これをどう料理しますかね。
作戦を考える時間もたっぷりあった。KIMIKA Special ver.を作ったときに考えた、参加者の映像「だけ」でつなぐプランは、やはり勝算がありそうだと思った。言葉やイメージカットに頼る必要はない。なにせ、物理的に使いきれない量の魅力的な瞬間がそこにあるのだ。あとは、正しいタイミングで、然るべき画をつないでいけばいい…と、まあ言葉で言うのは簡単なのだが、もっともプリミティブで、もっとも逃げ場がなく、もっとも力量が試される編集プランだった。
早くつなぎ始めたい衝動にかられつつ、この日は素材を眺めるだけに終始した。いや、もちろん仕事もしながらなんだけど。さいわいにして、本業の編集は順調に進み、いい感じになりつつあった。編集がいい感じに進んでいるときほど気が楽なことはない。編集がうまくいかず、追い込まれていく時の恐怖感たるや。
Ready!! and...
2020年5月27日 水曜日
PV編集3日目。この日もよく晴れていた。
この日はFC東京がついに全体練習を再開した日だけあって、Twitterのタイムラインは明るい雰囲気だった。FC東京サポーターがほとんどを占めるおれのタイムラインは、どんなニュースより、チームの明るいニュースがある日が一番華やぐ。
この日は、夜までに一旦MVの編集を仕上げて試写に投げなくてはいけなかっため、仕事に集中していた。すでに2日間作業をしていたため、時間に追われるという感じではなく、よりよくディテールアップするために、細かい編集を色々試みる一日だった。
夕方になって、唐突にちーかまさんかDMが届いた。本当に唐突で、一瞬なにが送られてきたか理解するまでに、少し時間がかかった。
ついに、最初の音楽ミックスが完成した瞬間だ。MVの編集も佳境に入りつつあったのだが、作業を一旦中断し、PCとイヤホンを持って部屋から出た。ドキドキしながら空いている隣の部屋に入り、ストレージから楽曲をダウンロードすると、まるで儀式のように厳かな気持ちでそれを聞いた。
みんなそこにいた。
誰かのために歌う、みんなの声が。今まで、KIMIKAさん一人の声だった歌に、ついに参加者の声が重なった。月並みな言葉で恥ずかしいが、とても感動的だった。普段味スタで当たり前のように歌っていたユルネバが、色んな人たちの苦労の上に、ようやくもう一度姿を現した。いや、それは味スタでのユルネバとも違う、また別のユルネバだった。
中断期間中の様々な人たちのそれぞれの思いが、歌となって結実している気がした。それは決してポジティブな思いだけではないかもしれない。不安や、恐怖、悲しみや怒りみたいなものもすべて含めて包み隠さずそこにあり、その上でそれを笑い飛ばそうとしているかのように思えた。なんて前向きな歌なんだろう。これこそ東京でしか成し得ないユルネバじゃないか、と思った。人によっては色んな感想があるかもしれないが、おれは強くそう思った。本当に素晴らしいプロジェクトに関われたんだな、と強く感じた瞬間だった。
oomiさんの言う通りだった。改めて、ちーかまさんの実力を思い知った。
いま読み返すと、感動をきちんと伝えきれておらず、申し訳ない思いでいっぱいだ。なにしろ急いで仕事に戻らなくてはならず、要点を伝えるだけに終始せざるを得なかったことが悔やまれる。
ここから先は、ちーかまさんとの連携が必要不可欠になる。と言いつつ、結局のところ直接会話することはなく、相変わらずDMでやりとりが進むことになる。この日はまだまだ仕事が残っていて、編集作業を進めることはできそうもなかったが、とりあえず材料は揃えておきたかったので、ちーかまさんにスコアだけはお願いした。
※無断転載を禁止します。プライバシーに配慮し、個人名の部分にはボカシを入れています。
このスコアは歌のみで参加された方は初めて見るものかも知れない。これは楽器参加者に配布するためにちーかまさんが制作したものだ。なぜスコアが必要だったかと言うと、音楽をおれの方で編集する必要がありそうだったからだ。ここから先のやりとりをわかりやすくするためにはスコアベースで話したほうがいいと思った。
これで、ちーかまさんのターンは一旦終了、さあ、次はおれの番だ、と思いつつ、PCを閉じるとPVの編集へと戻った。まずはこっちを仕上げなければ。焦らず、順番に。この日は誰かが編集室にチェックに来る訳ではなく、明日の朝までに送る、というステイホームタイプの試写となっていた。長い夜になりそうだった。
夜になったところで、oomiさんがまた楽しそうなことを始めようとしていた。
oomiさんがフォロワーの方に教わった、というコンビニシールプリントは素晴らしい発見だったと思う。実費のみでファンアイテムを作れるこのシステムは、絶対に利益を産んではいけないこのプロジェクトにぴったりだった。おれは常々「グッズを作る際、一番最初に作るべきはステッカー」と主張し続けてきた人間だ。どこでも貼れて、貼った場所がそのまま看板になるから。このロゴが出来たタイミングでステッカーのことが頭に浮かんだのだが、全然知らなかったローソンのこのシステムにより、実現された。
この週、主に稼働するのはおれとちーかまさんだけかと思いきや、このようにoomiさんも独自の動きを見せていた。
結局MVの編集作業終了はやはり深夜となった。正直、出来映えにはかなり満足していて、とてもいい気分だった。
明日からはいよいよみんユルの編集だ。ただし、手伝いを買って出てくれたエディターの睡眠時間を確保しなくてはならない。昼過ぎからゆるっと始めようとだけ決め、この日は帰宅した。
Action!!!
2020年5月28日 木曜日
ぼくは夢を見た。
夢の中ではみんユルが完成していて、スタッフ同士が労いの言葉を掛け合っている。そこに一通のリプライが届く。
「isomixさん、なんで私の映像使ってくれなかったんですか?」
ぼくは青ざめて、慌ててPCの中の素材を調べ始める。編集ソフトのシーケンスの中から使われていない素材を洗い出そうとするが、膨大なファイルを前にして絶望する。そこで目が覚めた。時刻は昼ぐらいになっていた。窓の外は晴れていて、眩しい光がカーテンの隙間からのぞいていた。ベッドの上で体を起こしたまま、恐怖の余韻に動けないでいたぼくを、2匹のねこが見つめていた。「ちゃんとチェックしろよ?」「夢じゃなくなるぞ?」そう言っているかのようだった。この日に見た恐ろしい悪夢を、ぼくはこのあとずっと引きずることになる。
起きると、前日までと同じように、自転車で家を出た。この日は少し遠回りをして、恵比寿の猿田彦でアイスコーヒーを買った。かなり面倒な作業を手伝ってもらうのだ。普段は厚かましいおれでも、さすがに多少の気は使う。
編集室に着くと、エディターは既に画を組み立て始めていた。歌詞に合わせて、ひたすらリップを合わせて並べて行く作業だ。どちらかと言うと機械的で、地道な物理的作業である。
isomix:大変?素材並べんの。
愚問である。なにしろこんなんである。そりゃ大変に決まっている。
Editor:「めっちゃ大変っす!」
isomix:「だよねー。申し訳ない」
Editor:「でも素材めっちゃ面白いっすね。すげーノリノリだし。サポーターって全員こんな感じなんすか?」
isomix:「いや、もっと全然色々。こういうの嫌いな人もいっぱいいるし。ここにいるのはかなりノリのいい部類の人たちだと思う」
Editor:「あーそうなんすね」
isomix:「東京って、結構個人主義的な感じなんだよね。人にあんまり干渉しないっていうか」
Editor:「確かに、めっちゃ自由っすね」
普段から業務上映像を死ぬほど見まくっているエディターをして、東京サポーターの自由さは印象に残ったらしい。
彼がタイムラインを組み立てている横で、時間の使い方について考えていた。まだ誰にも話していなかったが、この時点では、3日後、5月31日の日曜日に公開するのが一番美しいと思っていた。募集締め切りからちょうど1週間で、キリがいい。さらに、この部屋で作業できるのは今日、明日、明後日の3日間のみ。マシンスペックが必要な作業に関してはこの3日間でカタをつけ、自宅作業可能な状態まで持って行く必要があった。そこまで出来れば、日曜日の仕上げとアップロード作業はおれのPCでも対応出来る。
今日はおそらく、素材を並べるだけで終了になるだろう。時間がない、と言えばその通りなのだが、本来、すべてを自宅作業しなければならないところだ。彼の好意のおかげで、かなりのアドバンテージをもらったことになる。
さてさて、どう組み立てていきますかね。
おれは淡々と作業を続けるエディターの隣に座り、一緒に素材を見ていた。いつの間にか、エディターとの会話が始まった。長い長い対話が。みんユル公開まで、あと7日。ん?さっきと話が違わない?
【#11 おわり】
ようやく編集作業へと突入する、みんユルプロジェクト。ここからがぼくの本領発揮!のはずです。次回、#12『思索と構築II:演出家と編集者による対話』へと続きます。