みんユルクロニクル#7 『調子っぱずれのユルネバが』
※前回までのお話はこちら。みんユルクロニクル#6 『You can’t always get what you want』
いつか書いた物語みたいに
ぼくはこのころ、基本的に暇だった。そもそも最初の日、平日の真昼間にも関わらず、のんきに池までサイクリングしていることでわかるように。外出自粛の中で、受けていた仕事はかなりの数が中止、無制限の延期になっていて、毎日毎日暇を持て余していた。
これは人によって色々あると思うのだが、ぼくは基本的に頭を回し続けていないとダメなタイプだ。一度思考を止めてしまうと再起動にはとても時間がかかるので、泳ぎ続けるマグロのように、常になにかを作り続け、考え続けていないと効率が悪くなる。だからぽっかりと空いたスケジュールの真ん中でみんユルと出会えたことは、ぼくの脳味噌的にも本当にラッキーだったと思う。
ほかのみんユルスタッフや、多くの参加者の方々がそうだったように、ぼくにとっても、まさに巡り合わせと言うべきタイミングだったのだ。正直、もう一週間遅れていたら手を挙げていたかはわからなかった。実はみんユルを手伝うことになった直後に、1本PVの仕事を受けていたからである。それは完成するとこうなる仕事で、かなりボリューミーな内容だったのだが、結果的にはこれがとてもよかった。
性格的に、一本の仕事に集中するよりも、同時並行で別件を何本も転がしている時のほうがそれぞれのクオリティが上がるからだ。ひとつのジョブをこなしている間に、別のジョブのアイデアが浮かぶし、飽きたら元の件の作業に戻ればよい息抜きになる。平常運転時はだいたい6本並行ぐらいが適正で、さすがに12本とかになってくると気が狂いそうになるのだが、1本よりは確実に2本の方がいいサイクルになる。この2本の映像作品をほぼ並行して作業できたことは、本当に幸運だった。どちらの作品にも非常にいい効果をもたらせたと思う。ぼくの脳味噌的には。
基本的にここ20年近く、そういうスタンスでやってきたのだが、今回のように仕事がすべて止まってしまうという状況が、前にも一度だけあった。
2011年、東日本大震災の時だ。ぼくはこの時に「青赤短編」という、東京の試合ごとに小説を一篇書く、という謎の活動を始めた。最初はとにかく脳を止めないためだった。
まだ存在してた!ぼくはこの活動を誰に頼まれることなく地道に約3年間に渡り続け、最終的には148本も文章を書いたらしい。アホである。
この謎の行動をしていた時から今に到るまで、変わっていない考えがある。それは、Jリーグは文化だ、ということだ。当時、最後の文章には、こう書いた。
青赤短編/『Walk on, Walk on ~なんの終わりでもない、あとがき』より
FC東京というサッカーチームを中心にして、なんらかの文化が生まれたら面白いんじゃないか、ということ。もちろん、サッカーそのものとは別に、サッカーの本質とは離れた部分で、です。
恋愛や仕事のような日常が小説や映画に成りうるなら、サッカーそれ自体だけではなく、サッカーを巡るなにかだってそうなってもいいはずだと思いました。
だって、ぼくにとってFC東京の試合は日常なのですから。
お手本は、怒られてしまうかもしれませんが、MIDWEST VIKINGSです。
あんなに 愛に溢れた作品がジャンルを問わずFC東京の周囲にもっとたくさんあったら、どんなにか素敵だろうかと思うようになったのです。
良いもの、悪いもの含めて音楽、映像など、FC東京を巡る様々な分野の作品が生まれ、青赤短編もそのひとつになれたら、と。
中略
当然の事ながら、スタジアムの主人公は選手であり、チームです。
ただ、ピッチに物語があるように、選手に物語があるように、監督やチームそのものに物語があるように、ぼくらサポーターにも物語があると思うのです。
自分で自分の文章を引用するなんて、どんだけ自意識過剰だ、とは正味の話思う。このころ考えていたことはしばらくの間忘れていたのだが、どうやら心の奥底に眠っていたらしく、それがこのコロナ禍のなかで、最近何度も姿を現してくるのだ。
サポーターの人生とは、一方的ながら基本的にチームと共にあって、チームのスケジュールに合わせてすべてのプランが決まっていく。サポーターの物語はチームの動きと表裏一体だ。コロナ禍の真っ只中で試合のない日々、東京サポーターとしての物語は更新されずに停滞している。本来は試合ごとに一喜一憂しているはずの時間を根こそぎ奪われたのだから。しかもこの先がどうなるかなど、誰にもわからない。まあ、もちろん更新する必要のない人だっているし、それ以外の部分でも人生は続くのだけど。
しかし、この時期、ぼくは仕事の上でも、サポーターとしても、確実に停滞していたのだ。のんびり見過ごせる気分でもなかった。脳味噌の回転は止まりかけていて、他にやるべきこともない。サイクリングぐらいだ。
本来、Jリーグの試合の代替になるものなど存在しない。存在しないのだが、チームやクラブ発の物語を享受できないのなら、せめて、それが帰ってくるまでの間、サポーター発の物語が作れないだろうか?ぼくはそんな思いでプロジェクトを進めていた。それは、あの東日本大震災の時に考えていたことと本質的には同じなんだと思う。違うのは、あの頃はたった一人だったけど、今はたくさんの人たちが一緒に作ってくれることだ。
Jリーグを単なるスポーツではなく、文化のひとつとして定義した時、その周辺に数多ある作品のうちのひとつとして、みんユルにも何らかの意味があった。そう後で思えるような作品になればいい。そう思っていた。
2020年5月17日 日曜日 11:00
すべてはALRIGHT
プロジェクト開始の時間までは、あと一時間に迫っていた。
昨日ティーザーで予告した通り、この日の正午にガイドムービーとマニュアルが公開され、いよいよ参加者の方々から応募受け入れが始まる。
ぼくは前夜、またもほぼ徹夜状態でマニュアルシートを完成させていた。色々な問題に目をつぶった妥協の産物ながら、9ページにおよぶ大作である。
相変わらずなかなか厳しいデザインだが、もうその部分は言うまい。とにかく、これさえ見ればすべて完結できるように、内容に漏れさえなければいい、という気持ちだった。
このシートにこだわっていたのは、ぼくが普段の仕事で感じている、撮影に関する懸念点を少しでも解消できれば、と思ったからだ。スマホ1台あれば撮影でも配信でも出来る現在、確かに映像の数は爆発的に増えた。しかし、その中には、もうちょっとだけ知識があったり、ほんの少しだけ気を使えたら格段に見易くなるのに!という映像がたくさん存在する。
多くの場合、それは専門的な知識や技術、機材の有無などではなく、もうちょっとカメラ高が上がれば、とか、照明に対しての立ち位置がよければ、とか、ヌケをもうちょっと整理出来れば、といった、非常に些細で簡単なことで解決できる。特に音に関しては、著名なYouTuberでも気を使えてないものがたくさんある。マイクちゃんと使ってバランス整えるだけなのに!
そこが本質ではない映像文化なのだ、とは百も承知なんだけど、やはり気になってしまう。だってめっちゃ簡単なんだもん!
勇気を出してせっかく参加してもらうのだから、どうせなら少しでもクオリティの高い映像として残って欲しい。そんな思いから、マニュアルシートを作っていた。
とりあえず、自分の作業は終え、すべての要素が整った。他のスタッフも、それぞれ自分の作業を進めている。DMグループ上では、獣さんが素材受け入れフローの最終確認をしていた。
獣:
●ファイルの送付先
以下のURL から、Googleドライブ又はDropboxにアップロードをお願いします。
(Googleアカウントをお持ちの方はGoogle ドライブにアップロードをお願い致します、お持ちで無い方はDropboxへアップロードをお願い致します。)
その際、投稿していただくファイルの名前は以下のように変更の上で投稿お願い致します!
ファイル名変更は↓
【映像】 (Twitterアカウント名)+(映像)
【歌音声のみ】 (Twitterアカウント名)+(歌音声)
参加人数が多いため、こちらからファイルの送り主を追いかけることは困難です。
ファイル名のみが特定の手段となりますので、わかりやすい表記をお願いします。
お送りいただいたファイルは編集終了後、速やかに消去致します。
2020年5月17日 午前11:20
isomix:
完璧です!あざす!
2020年5月17日 午前11:22
獣:
YouTubeの方はいま予約投稿で設定しています!
2020年5月17日 午前11:28
一方、みたけさんは、来週のおかずを作っていた。
みたけ:
すいませんでした、来週の弁当のおかず作りをしていました。
今から、マニュアルの内容の確認をします。
自分は、12時のガイド動画アップと同時に、まずそちらの紹介ツイートを。
そのまま、続けてマニュアルのツイートを行います。
2020年5月17日 午前11:30
isomix:
おかず大事です!すみません!
2020年5月17日 午前11:31
ちーかまさんもローンチに備えた音楽面での情報をくれる。
ちーかま:
みたけさん、ツイートの際に
・クリック音が3つ鳴ったら「when you~」の歌い出しだよ!
・この動画ではあくまでKIMIKAさんはガイドボーカルであり、後日「KIMIKA本気フルマックスver」を公開予定だよ!
ってことをツイートして頂けると嬉しいです!
超重要内容というわけではないので、ちょっと間を空けてで大丈夫です。2020年5月17日 午前11:38
この時、oomiさんがなにをしていたかに関しては記載がない。
紫陽花の開花待ちをしていたっぽい。
なんとなくのどかなスタッフの雰囲気からわかるように、この日はいよいよローンチだ!という高揚感はあったものの、バタバタだった昨夜に比べると、かなり淡々と、静かに推移していった。ここ数日間は、この瞬間のために努力してきたのだが、特に感動、というほどのことでもない。まあなにも始まってないのだから当然かもしれないが。
そしてついに、正午を迎える。
ちょっとだけ遅れはしたものの、無事、ガイドムービーが公開され、ついにプロジェクトローンチ!動画の応募受付をスタートすることができた。
14日の夕方にプロジェクトを開始してから、この日、17日正午の応募受付スタートまでは、本当に怒涛の勢いだった。寝てない自慢したくなるぐらい寝てなかったし、色々な紆余曲折や葛藤があった。このみんクロにしたって、もう7話目だ。いつ終わるんだこれ!とにかく、募集開始さえ乗り切ってしまえば、あとはしばらく参加者のターン。少しゆっくりできる。だいたい、そろそろ仕事しないとまずい。
参加者の皆さんがうんざりするほど何度も再生したであろうこのガイドムービーには、ユルネバの字幕をカタカナで付けることにした。東京サポーターなら、歌詞など見ずに歌える方が多数派かな、とは知りつつも、子供の参加者もいるかもしれない、と思ったからだ。
まったくの余談なのだが、ぼくは小学生のころ、カトリック教会に属する少年合唱団に入っていた。少年合唱団とは、文字通り男性だけで構成された合唱団だ。ソプラノ、アルトの女性パートを変声前の少年が担当し、変声後にテノール、バスに回ることで、男性のみで混声四部の曲を歌う。教会付きなので、基本的に歌うのはミサ曲か宗教曲。それもガチのゴッツいやつだ。
ぼくは小学校四年生ぐらいから、モーツァルトのレクイエム(ラテン語)だの、ヘンデルのメサイア(英語)だのバッハのマタイ受難曲(ドイツ語)だのを原文で歌っていた。歌わされていた、と言ってもいい。古くは小澤征爾の指揮で歌ったことや、ローマ法王に謁見したこともあって、今にして思えば、我が人生のハイライトはあの頃だったような…いや、そんな話はいい。
とにかくそこでは、平凡な日本人の小学生が無理矢理ラテン語の歌を歌うために、楽譜には常にカタカナで歌詞が書かれていた。
クレードーイヌーヌム デーウムイヌーヌム デーウム パートレ オムニーポーテーンテン ファクトーレム チェリエッテーレみたいな感じで(これはたぶん、モーツァルトの戴冠ミサだと思う。たぶん)
外国語の歌詞をカタカナで覚える、というやり方は語学学習的にはいかがなものかとは思われるものの、手っ取り早いことこの上ない。しかも、意味ではなく音だけをトレースするので、不思議とすぐ暗譜できるのだ。この方法で覚えた歌は体に刷り込まれ、染み付いていて、ぼくは30年経った今でも、このころ歌った歌を未だに暗譜している。ただし、覚えているパートはソプラノなので音域的に全然歌えない、というアンビバレンツな側面もあるのだが。だいたい、フォーレのラシーヌの雅歌やら、サリエリのテ・デウムやらを原語で暗譜できたからといって、カラオケで歌えるわけでもなく…いや、そんな話はいい。
とにかく、プロジェクトに参加してくれる子供たちにも、出来ることならユルネバがそんな感じで体に染み付いてくれたらいいな、という願望があった。
まあ、基本的に制作上はなにも難しいことはなく、単に発音した音をカタカナにするだけなのだが、一箇所だけ歌詞の一部を伝統的なネタにのっとったシャレにしたところ、ちょっとした物議を醸したと知り、反省している。
これのどこが面白いかというと、昔、FC東京に伊野波という選手がいまして…いや、そんな話はいい。
You'll never walk aloneが流れてる
公開してすぐ、タイムライン上はちょっとした祭りのような盛り上がりを見せていた。
(※無断引用、申し訳ありません。問題あればご連絡ください)
みなさんが思い思いの楽しみ方(苦労含む)をしてくれているのを見て、ぼくは今度こそほっこりしていた。自粛期間の試合のない日、本来ならなにもないはずの日曜日に、クラブのアンセムをみんなが歌っている状況を作ることができた。それだけでもやった甲斐があったというものなんじゃないだろうか。そんな事を考えていた。
仮歌を歌ってくれたKIMIKAさんも。
KIMIKAさん的には不本意なのではないか、と心配していたので、このツイートはとても嬉しかった。そして、何と言っても、ついにこの方から。
クラブのレジェンドからのリツイート。これには上がりまくった。ファンメイドのプロジェクトに対して、公式はリアクションしづらいだろうな、と想像していたので、色々事情を感じつつも反応してくれたことは本当にありがたかった。
いい加減仕事しなきゃまずかった。本当にまずかったのだが、みなさんの反応が気になって仕方がなく、ついTwitterを開いてしまう。
一方で、気になっていたのは参加人数だった。この時点では最終的な参加人数が何人になるか想像がつかなかったからだ。基本的に参加者には、まずクローズドのTwitter公式アカウントをフォローをしてもらうフローにしていたので、それより多くなることはなかったはずだが、ローンチの時点でフォロー者数は400人に迫ろうとしていた。ありがたい話ではあるのだが、このまま増え続けて1000人とか超えちゃったらどうしよう、とも思っていた。現状、約3分の尺でそれだけの人数を消化するには、ずっとマルチ画面(画面分割して1画面に複数の映像素材を配置すること)状態で、使用するのはほんの一瞬、みたいなことになってしまう。
またも少しだけぼくのかんがえたえいぞうりろんを語らせてもらうと、基本的に映像はリズムだと思っている。編集する際は物理的なカッティング、音楽や音のリズムだけでなく、見ている人の感情の変化にもリズムが生まれるように考えながら組み立てていく。映像編集でまず最初に意識するのは、細かい画のつなぎよりも、気持ちのいいリズムだ。ストーリーを追うだけで、緩急や抑揚、カタルシスを意識していない映像は退屈で見ていられない。
みんユルにおいて、しっかりと感情のリズムを作っていくには、参加者の表情や動きをきちんと見せる必要があると思っていた。では、参加人数が多くなりすぎた時、どうすればいいか。単純だ。尺を伸ばす他はない。歌の編集をするちーかまさんも、同じようなことを考えていた。
募集初期の段階では、参加申し込みの早期締め切りについてずっと話し合っていた。できることなら、参加表明した人は全員受け入れたかった。
これは、緊急事態宣言下で、誰かを励ましたいという気持ちで生まれたプロジェクトなのだ。特定の誰かに参加をお願いしたり強要することはせず、あくまで自らの意思で参加してもらうことが重要だと思っていた。ただし、そのかわりに手を挙げてくれた参加者には徹底的に尽くそう、絶対にその意思を無下にすることはやめよう、という共通認識があった。
このプロジェクトが参加者の方々に要求していることは決して簡単ではない。とにかく練習しなければならないし、撮影する機材だって必要だ。顔出しをするしないに関わらず、なにかしら晒すことにだってなる。
そもそも、同じ東京サポーターという共通項はあるものの、見ず知らずの人間の呼びかけに、やってみよう!と思い立ち、手を挙げることに必要なエネルギーはとんでもなく膨大なはずだ。
それなのに、サポーターがサポーターと一緒に作り上げるプロジェクトにおいて「参加人数が定員に達しました」とドライに切り捨てること自体がナンセンスではないか。
とは言え、物理的な限界は間違いなくある。ぼくのPCのスペックでは、1000人もの編集にはとても対処できない。このころは、本当に1時間単位で参加者の推移を見守っていた。
最終的にはほどよい参加人数に終わり、結局それらは杞憂で終わったのだが、そのあたりの見極めは、本当に難しかった。
反応をついつい横目で見てしまい効率はすこぶる悪かったが、それなりにみっちりと仕事をしていた。今夜中に演出プランを上げなければいけなかったのだが、週末まったく働かなかったせいでしわ寄せが来ていた。
DMでは獣さんとみたけさんが素材受け取りに関して試行錯誤を続けているようだった。この時点での応募方法は、GoogleDriveかDropboxにファイルをアップロードしてもらう、という方式だったが、この方法だと参加者のプライバシーが保てないことに気づいたのだ。すぐにgoogleメールでの受付をアナウンスするなど、この日はお二人にかなり負担をかけてしまっていた。
しかも、獣さんにはこのあと、毎日送られ続けてくる大容量データとの戦いが待っているのに。
とはいえ、この時間は仕事で追い詰められていたので、お二人にお任せさせてもらった。
夕方ぐらいに、oomiさんからDMが来た。
oomi:
あの、、取り込み中恐縮なのですが、サマリーシートについて思い付きがありまして。お世辞でも「ポスターにしたい!」と言って頂いた事が嬉しく、セブンプリントに登録すれば、カラーA4サイズを60円でプリント出来ます。(白フチはつきますが)熱を追加するどこかのタイミングで流しても良いでしょうか?
2020年5月17日 午後5:40
なるほど!そんな方法が!oomiさんが素晴らしいのは、こうやって前のめりに面白そうなことを見つけてきてくれるところだった。
神様に、なにか一つ力をやろうと言われたら、なにを望むだろう。ぼくは間違いなく「集中力」と答える。集中力の絶対量が低く、すぐに限界が来てしまう。この悪癖さえなければ、もっと大きなことを成す人間になれただろう。きっと。
ねこをモフり倒したあと、ぼくは息抜きに、コンビニまでプリントアウトしに行くことにした。靴を履くと、おれは夜の街へと出た。歩くおれの(あ、家を出たので、一人称が「おれ」に変わります。初日に公園から帰宅してからここまではずっと「ぼく」でした。つまり一回も外出てなかった)足取りは軽かった。
コンビニまでの道すがら、マンションの明かりのついた部屋や、近所の住宅からユルネバが聞こえてこないかと耳を澄ましながら。もちろん、そんなことはなかったのだけど、もしかしたら都内のいろんな場所にそんな光景が点在していたら、と思うと、なんだか笑えてくる。
おれはマスクの下にニヤニヤを隠しながら、近所のセブンイレブンに行き、oomiさんのグラフィックをプリントアウトした。家に帰って来たぼくは(あ、「ぼく」に戻ります)適当な額にそれを入れて、部屋の壁に飾った。
ふと、すぐに仕事に戻る気になれず、なんとなくガイドムービーを立ち上げて歌ってみた。ここまで何度も何度も編集作業中に聞いていたのだが、不思議なことにちゃんと歌うのはこの時が初めてだった。ぼくは歌ってみて愕然としてしまった。予想以上に難しい。合唱団に入っていただけあって、歌には少し自身があったのだけど。改めて、すごいことを参加者の皆さんに要求しちゃってるな、と思い、反省した。みんユル公開まで、あと18日。
調子っぱずれのユルネバを聞いて、ねこが何事かと覗きに来た。
【#7 おわり】
いよいよ募集が始まりました!参加者のみなさんは、ここからが一苦労だったと思います。さて、製作陣は休む暇もなく、KIMIKAさんの本気バージョンの制作に入ります。次回、みんユルクロニクル#8 『DIVA』にて。