やっぱり“人間楽(にんげんがく)”だった黄前久美子・響け!ユーフォニアム大団円
※ネタバレあります。
ひゃぁああぁあ~!
やっと、落ち着きましたぁ……
私の予測(願望)はみごとに外れちゃいましたね~!
。・゚・(*ノД`*)・゚・。
まぁでもココ ↓ での予測は外れちゃったけど、
私の推察は、ある意味当たっていたのかな~
と思うんですよ。
高坂麗奈が
音楽(芸術)>人間関係
黄前久美子が
人間関係 > 音楽(芸術)
だという見立ては、ね。
これ、最終回をじっくり(何度か)見返しまして、確信しましたね。
麗奈は、音楽芸術の道を、
つまり「器楽」=演奏の実技と理論を追求して、高度な器楽演奏を修得する道を進んで行く人。
ユーフォニアム全編を通じてそれを貫いて行く。
もー、まったくブレない。
それならば久美子はどこに進んで行くのかと言うと……
それは、言うなれば「人間楽学」(にんげんがくがく)みたいな道だったんじゃないのかなぁ、と、思えたんです。私には。
そう、ブレているように見えて、久美子も実はブレてなかった。
人間関係 > 音楽(芸術)
だったからこそ、麗奈という人間の生き方に寄り添い、それを楽しむ(というか追究)ことを選んだ。
だからこそ、あんなにもひたむきになれた。
この前、私は「芸術道」を歩むには『原動力』(の持続)が必要だ、と、書きました。
なるほど麗奈は音楽芸術を追い求める大きな原動力を持っていた。
一方、久美子にも『人が好き』という大きな原動力、「人間楽道」を歩む原動力を持っていた。
だからこそ姉と同じことをやりたがり、麗奈が求める人間関係に応えようとした。
それを麗奈は同じ芸術道を歩んでくれる証拠だと勘違いしていた時期があったけれど、そうじゃなかったわけで。
久美子は麗奈との人間関係を大事にすることを追究したから、麗奈の求めに応じて(芸術の道に進みたいわけでもないのに)すさまじいパワーを注ぎ込み、練習した。
私はね……
久美子が麗奈に「音大に行かない」と言い、
麗奈が「それならここで終わりにする」と宣言してしまった時、
久美子が「特別なんだから」と答えたことで、麗奈もやっとそれ(=久美子は芸術道を進む人ではなく人間を大事にする人だということ。その中でも麗奈が特別だから麗奈の希望に応えて上達したという事実)に気づいたんじゃないかと思うんですよ。
だから……だから、ブラインドオーディションであの選択に至った……ということも、少なからずあったのではないかなと思います。
久美子との人間関係が麗奈ほど深くなかった鎧塚みぞれは、久美子がなぜ上達していったか、理解していたんでしょう。
芸術を追っているからではなく、麗奈や仲間たちとの人間関係を楽しんでいるから成し得た上達だったことを。
それが見えていたから、久美子が同じ音大生になるとは微塵も思えなかった。
黒江真由は……才能もあり、本来は芸術の道を行く人なのかもしれないけれど、久美子とは違う、彼女は転校という立場や過去のトラウマゆえに、
人間関係 > 音楽(芸術)
に、なっている。
いや、“なっちゃっている”、のかも。
けれども、
「みんなと楽しく演奏したい」という人間関係と、
「こんなにもみんな(というか麗奈の)の目標を目指す久美子に応えるべきではないか」という人間関係の板挟みになった結果、久美子に応えて自分を曲げた、という側面があったのではないかな。
実は一番つらい選択をしたのは、真由だったのかもしれません。
そのあたりをズバッと「黄前ちゃんのわがまま」と言い当てた田中あすかは、すごいなぁ。
うん。一番すごいのはやっぱり田中あすかかもしんない。
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