新たな取り組み
親子だから、同僚だから、○○するのが当たり前だろ。などと何かの括りに入れて相手を縛ろうとする価値観があります。
相手との心情的な関係によってケースバイケースであるはずなのに、そういうことはお構いなしに暗黙の了解で義務だと感じさせる空気があります。
わたしは、今そこと闘っているところです。
そんなわたしにとって強力な後押しとなる助言をAさんから得られました。
「テーマは義務が義務とは感じなくなることだ。」と言われました。
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大きな節目があり、長年感じていたけれどはっきりさせなかった気持ちに気づいてしまったのです。もう認めるしかない。自分の思いを否定できないところまできました。
それでも日常が落ち着くと、わたしのわがままなのではないかと不安になります。でも、Aさんとの対話でその思いは肯定され、実現することが課題となったのです。
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関係者も部外者も、誰もがわたしがその適任者だと思うでしょう。
でも、わたしは嫌なんです。それを引き受けません。
(譲歩するとすれば、条件が整うまでは、です。)
だって不公平なんですから。本質的にはわたしに責任はないはずです。
(わたしを便利に使おうと思ったんでしょ。)
Aさんは、人間関係の義務感には前提がいると言われました。
面倒を見てやりたいと思える相手なのかどうか。守り続けたい思い出のある相手かどうか。そういう気持ちがあるからこそ義務を守ろうとすることができるのだということです。
そもそも、相手との関係に良きものがあったならそのような問題は起きないと言われました。
おっしゃる通りだと思います。関係性が良ければ、人はその義務を負いたいとすら思うでしょう。
あまりにも都合よく考えている相手側にわたしは抵抗するのみです。Aさんは何があっても意志を通し、実力行使しなさいと言ってくださいました(笑)
決別しなさいというのではなく、自分の意志を尊重しなさいということです。
そのためには、血縁関係、HSP気質、古い価値観など、わたし自身がわたしを不自由にするものからの囚われを無くす必要があると思いました。
自分を尊重するという生き方をしてこなかったので、それらがあると、わたしが間違っているのではないかという迷いが生じてしまうからです。
きっと迷いがなくなったとき、義務感から解放されるのでしょう。
Aさんは、外側の物差しや古い価値観(世間的に義務だと思われていること)で個人の生き方を縛ってはいけないとおっしゃっています。
今回のわたしの状況を、それができるかどうかの実証実験だとおっしゃいました。
因みに、それは〇年に亘って続くと言われました(泣)
その間に大きな葛藤が2回ぐらいあり、その葛藤を通して自分の本心を知ると言われました。(まだ気づいていない本心があるの?!)
(Aさんが「自分の本心を知る」と言われた瞬間が妙に印象に残っています。Aさんは各人間に自分の本心を知ってほしいと思っているのではないかと感じたのです。)
「すごろくと一緒。進んでは戻って葛藤する。意識格式を上げればあっという間に片が付くけどね^^」
「そうなんですか…。」
当然ですが、わたしはそれほど上位意識者ではありません。でもAさんと対話できるということで、その小さなコミュニティの中では上位なのです。なので、本当ならわたしの意見が通ることがそのコミュニティにとっては一番いいこと(調和)なのですが、わたしを立場的に下だと見ている彼らが気づくはずもありません。
なので、彼らとしては不可解でしょうが、わたしが突っぱねて変化を起こすしかないのです。
(別の事柄で意識格式を上げることができれば、この問題もそうこじらさずに調和のうちに解決されるかもしれません。)
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今回わたしに起きたことは、今後も根気強く取り組まなければならないようです。しんどいけれど、それは古い価値観による縛りを解いていく流れに貢献することなのだと思っています。
「本心に沿って生きていくのは難しいですね。」
「そうだね、難しいよ。」
難しいけれど、それはAさんが起こしている流れだとも思っているので、そこから目を背けず、それに従う方が調和になるのだと思ってがんばります。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。