元教師・現在SaaS企業人事が、子どもから教えてもらった3つのこと (前半)
こんにちは!EventHub・人事の磯です。
これは、EventHubのアドベントカレンダー・4日目の記事です😀 前回は、小俣さんの「ちょっとかわった楽器のはなし」でした。こちらもぜひ!
この記事では、私の自己紹介もかねて、現在SaaS企業で人事の私が、ファーストキャリアとして「学校の先生」を選んだ背景と、「先生」という仕事を通して子どもたちから教えてもらった3つのことについて、前半・後半に分けてお伝えしたいと思います。
ちょっとかわった、先生のかたち
大学卒業後のファーストキャリアは「先生」だったのですが、一般的なルートでの「先生」ではありませんでした。
👆 サウジアラビアで行われたOECD主催のカンファレンスにて
認定NPO法人Teach For Japan という団体からの派遣で、2015年〜2017年に、大阪府・南部の、ある公立中学校にて英語の先生をしていました。 Teach For Japanについて簡単にまとめるとこんな感じ 👇
▶︎ Teach For Japan (TFJ) は、全世界に62カ国にネットワークをもつTeach For Allという団体の加盟団体
▶︎ Teach For All は、1990年にアメリカで設立されたNPO団体・Teach For America (TFA) から始まった。教員免許の有無に関わらず2年間、アメリカ国内の一流大学の学部卒業生を、国内各地の教育困難地域にある学校に常勤講師として赴任させるプログラムを実施している
▶︎ TFAモデルにならい、TFJでは独自に選考した人材に研修を行った上で、教師として2年間、学校に配置する取り組みをしている
私は教職免許状 (中高英語)を取得しており、教員採用試験にも合格をしていたのですが、
・ 先生になるならば、特に困難や課題がある地域で教えたい
・教育業界のチェンジメーカーになりたい
・ よりグローバルな機会が得られる環境に身を置きたい
という思いから、Teach For Japanを選択しました。
よく、「え、なんで公務員になれる選択肢もあったのに、そっちを選ばなかったの?」と聞かれるのですが、シンプルに、Teach For Japanで掲げているミッション ( = すべての子どもたちに、素晴らしい教育を) こそ当時の私が「やりたいことそのもの」だったし、日本国内だけでなく世界中にいる同じ志を持った仲間たちと協働できる機会に魅力を感じたため、この選択をしました。
実際、私の同期となったのは、国境なき医師団で戦地を駆け巡っていた方や、スペインでプロのサッカー選手をしていた方、大手商社で活躍していた方など、多様なバックグランドが勢揃いで、とても刺激的な環境でした。
ちなみに、そのような私の同期たちを当時採用してくれたのが、当時マッキンゼーからの出向で、Teach For Japanのリクルーターをしていた、弊社CEOのりえさんでした。(なんというご縁でしょう・・・✨)
(もし、Teach For Japanの活動にご興味ある方は、こちらの記事もご一読ください😀)
第1日目で「机が飛んでくる」・・・
そうして新卒の私は、当時Teach For Japanからの派遣先として提携していた学校の中でも、最も教育的に困難であるとされていた、大阪府・南部の公立中学校に、赴任することとなりました。
関東生まれ・関東育ちの私は、大きなスーツケースと、「私が教育を変えてやる!!」という大きな志を持って、いざ大阪に到着。
そして先生としての第一日目。
期待に胸を膨らませ、担当することになった中学3年生のクラスで、「さあ、私の授業がはじまるよ!!」と意気揚々と授業への思いや、授業を受ける際のルールを話していたら、飛んできたのは温かい拍手ではなく、「机」でした。
「なんやねん、その関東弁」
「なんで授業中に寝たらあかんねん、教室おれば何でもええんちゃうんか!」
私もかっとなって怒り返し、そして次の瞬間には、胸ぐらを捕まれて、壁に押し付けられているという始末・・・
「もうお前の授業なんて、絶対受けへんからな」
そう言い残して、彼は教室から出て行きました。
一生忘れられない、第一目となりました・・・
先生は、ただの役割にすぎないということ
第一日目で色々とやらかしてしまった私。(休み時間にトイレで大泣き)
「これからどうしよう・・・・」という気持ちでいっぱいの中、ふと考えたのは、なんで机を飛ばしてきた子はそこまで怒ったのか、ということ。
周りの先生に聞くと、それまではその子は、そもそも学校に来ても、授業には入らずに廊下や体育館裏で過ごしてばかりの子だったとのこと。ただ、中学3年生になったから、がんばろうと思って、教室に入ってきたとのこと。そうしたら、いきなりヨソからきた私に、「授業で寝てたら授業受けてないのと同じやで、点数響くで」と言われた。その子の目線に立ったら、「なんでやねん」と思った、ということのようでした。
もちろん、暴力をする、ということは決して許されることではないけれども、「先生」という、どうしても子どもたちからすると「上」「従わざるを得ない存在」となる立場を利用して、私自身にとっての「当たり前」を子どもたちに押し付けるのは違う、ということを学びました。私も彼らも同じ人間で、たまたま私が役割として、「先生」をしているだけですから。
その気づきを得て、その日の夕方に、机を投げてきた子あてに簡単な手紙を書きました。
「暴力はあかんと思うけど、でも今日のことは、先生が間違えてたこともあったと思う」
「みんなのこと、なんも知らんのに、自分のルールをただ押し付けようとしてたもんな」
「そのことには謝るわ、ごめんな。よかったら、今度からまた授業おいでな」
そして、その次の授業の日。
大きなヘッドフォンで耳を塞ぎながら、彼は教室に現れてくれました。
「よう磯、お前が授業に来いっていうから、しゃあなしで来てやったで」
そう、こうやって、一歩ずつ。
元々、「私が教育を変えてやる!」という意気込みでやってきた大阪でしたが、むしろ私自身が、子どもたちから人間として大切なことを教えてもらっていきました。
▼ 後半に続く
次のアドベントカレンダー5日目の記事は、インサイドセールス担当の花崎さんに書いていただきます😀
▼ EventHub アドベントカレンダー:
https://adventar.org/calendars/6827
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?