パーパス&パッションの人になろう! 『ISO通信』第93号
先月のことですが、ドイツに出張し、トランサーチ(私の所属会社)のグローバルカンファレンスに参加してきました。
トランサーチグループは世界の60都市に拠点があり、今回の会議には欧米各国の他、インド、ナイジェリア、ブラジルなどにあるトランサーチのオフィスから約80名が参加しました。
グループを統括するCEOは英国に住んでいる女性です。彼女は日本の文化や生活様式に対する理解が深く、ランチなどの席で一緒になると、周りの人に日本の良さを説明してくれることがあります。先日はフィンランド人やインド人に対して「ikigai(生きがい)と言う日本語を知っている?」と質問し、周りの人たちが「知らない」と答えると、彼女は「生きがいとはパーパス&パッションだ」と説明しました。
パーパスという言葉には巾があり「ビジョンや理念と同じようなものだ」と言う人もいれば「善なる方向を目指すための指針である」など、いろいろな意見があります。
パーパス+パッション=生きがい と考えたとき、ある人のことを思い出しました。その人をAさんと呼びます。Aさんはフライングディスクを使ったスポーツに生きがいを感じていて、自らプレーを楽しむだけでなく周りのみんなが楽しめる雰囲気や場を作ってくれます。大会の参加メンバーを集めたり、懇親会の調整をしたりするとことは大変で、メンバーはいつも大いに感謝しています。Aさんは特定のチームをサポートしているのではなく、フライングディスク関連で困っている人がいると自然と助けているような人です。Aさんのパーパスは、フライングディスクを通じて人生を楽しむ人を一人でも多くしたい、ということだと思いますが、本人に確認したことはありません。
サークル活動、同窓会、自治会、勉強会などの場面ではAさんのような人にときどき出会います。金銭的な報酬なしに動いてくれる人に対して、好きでやっているのだろうな、と思うこともありますが、覚悟や使命感がなければ継続できないことも理解しています。Aさんのような人は、自覚的でも無自覚でも、パーパス&パッションによって行動しているのだと思います。
ビジネスの世界でもAさんのような人にときどき出会います。しかし、そのパッションの源泉が究極的には個人の利益だと感じると「パーパス&パッションの人」ではなく「パッション フォー マネーの人」に見えてしまいます。お金を稼ぐことに情熱を傾けることが悪いことだとは思いません。お金をもらう代わりに提供した物やサービスは必ず誰かの役に立っているはずです。しかし物やサービスを提供する動機において、マネーに対する情熱が強すぎると不正や不都合な事実に対して鈍感になるリスクがあります。
自分の仕事のパーパスってなんだろう?もう一度、問い直してみたいと思います。
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