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はじめまして。自己紹介です。

よく考えたら、自己紹介をしていないんじゃないか?

気が付いてハッとしました。このnoteは、2024年の3月から始まる酵素シロップのオンラインラボの補足資料を紹介するために始めました。ラボに入っている人が見るのが前提だったので、全員がわたしのことを知っている、と思って書いていましたが、いや、そんなことないよな、だって全世界に向けて発信してるし。と気がついたので改めて自己紹介です。よろしくお願いします。ある日手元に降りてきた「全一」という名の野草と果物の酵素シロップについても、おいおい、書いていきますね。

初めまして。知っている方は、こんにちは、井口和泉です。


お菓子と料理を人に教えることを仕事にしてきました。福岡県出身です。季節の旬を大切にする暮らしを母から自然と教わりました。絵を描くことと1人でいることが好きな子供でした。自然を見ることは色彩を楽しむことと同じ感覚でした。よもぎを摘んで草餅にしたり、葉っぱをつぶして絵の具にしようとしたり。いまでこそ開発で建物の立ち並ぶ場所になりましたが、当時は少し歩けば延々と広がる田んぼがあり、稲の実りの色の移ろいや風を感じて毎日を過ごしていました。子供の頃を思い出すと、なにかしらいつも植物があり、そしてずっといつでも犬たちがいました(多いときは4頭)。

14歳からプロに教わる


14歳から料理と製菓を柴田靖子氏に師事。料理上手だけど料理が好きではない母が「プロに習わせたほうが早い」と合理的な判断で、18歳くらいまで柴田先生に教わりました。その後成人してからもまた通いましたが、西洋料理の基本をフランスで学んだ柴田先生に教わったことで、西洋料理=フランス料理、という刷り込みを持ちました。短大を卒業した後、フラフラしていたところ、「お菓子でも習ったら」と代官山イル・プルー・シュル・ラ・セーヌの弓田亨氏に師事。当時は遠距離用のクラスがあり、北は北海道、南は九州、ときどきハワイや韓国からも生徒さんがいらしていました。毎月二泊三日で4台のアントルメを作り、飛行機で持ち帰るのを4年間。その後、新設される色んなクラスを受講することで合計8年くらい通いました。寄り道が苦手なので、羽田空港と代官山を往復する日々。今考えるともっと美術館とかみに行けばよかったなー。この、教わりたい人に教わりたいなら、見たいものがあれば、どんなに遠くても、どこでも行ってきたらいい、この感覚と体験をくれて、応援してくれた両親にとても感謝しています。

絵を描くのをやめたら、後に残らない創作(料理)がやってきた

18歳の頃、どうも絵で食べて行く勇気が出なくて、途中でやめてしまった。ぽっかり時間が空いて、なにしようかな、という時に東京に通ってお菓子を作ること、もう一度柴田先生の教室に行くことになりました。持て余していた創作への欲求が全部そこに向かいました。諦めたことで、絵を描くことが苦しくて続けれなかった。後に残るものを作ることが辛くなりました。でも料理もお菓子も、レシピ(設計図)はあるけど、作る楽しさ、食べる楽しさ、後に形は残らないけれど、食卓を囲んだ人たちとの「美味しかったね」という温かい思い出が残る。しかも設計図があるから誰でも作れる、それでいてて、個々の味があり、どれ一つとして同じ仕上がりにはならない。形はないけど、記憶が残って行く。繰り返し再現される。面白すぎる。夢中になりました。

情熱のまま、流れ流れて、作り続ける

その勢いと情熱のまま、福岡、東京だけでなく、家族が暮らしている縁で、ときどきフランスに行き、家庭料理を体験しながら学び、本場の空気、本格的な菓子と料理を通して、食卓と土地が地続きであることを学ぶ。 フランスでは特に、土地、気候、人の手が揃って、初めて作られる「テロワール(地味)」を体感しました。とはいえ自分から、あれやりたいこれやりたい、ということもなく、勧められてやってみよっかな、と進んでいたら、流れ流れて、ここまで来た、という感じで学んでいます。

家庭の料理がわからない


料理、特にお菓子作りが面白い。そうなんだけど、この辺で、あれ?なまじプロに教わってきたことで、いわゆる普通の家庭料理がよくわからない?!というジレンマを抱えはじめます。家で母が料理をしてはいたけれど、ちょうどわたしが10歳前後から夕食が90%くらい外食でした(近所にいい小料理屋があった)、そして父に経済力があったことで、ほぼ外食がベース、かつ、いろいろ美味しいものを食べに出かけていました。よそのお家にお邪魔してもスーパー料理上手な方ばかりで、「残り物をリメイクする」「作り置きのお惣菜」というものにほぼ触れずに大人になりました。これは料理の仕事をする上で、ものすごいコンプレックスになりました。「わからない」ということが、最初わからなかった。「残り物をたべる」ということそのものが理解できなかった。これすごい言いにくい。「世の中から30cmは浮いている」と周りから浮世離れしているように見えたからか、この悩みを口にしても理解を得ることが難しく、だんだんと内にこもるようになりました。折り合いのつけかたがわからなかったんだな。

わからない、しかたない

家庭料理がわからない、それはしかたない、そうしたら、幼少期からの不思議な体験と感覚、独自の感性のままで、そのままで行く機会が訪れました。リクエストをいただいて、四季折々の旬を用いた料理教室を始めました。家でしていた教室から、いつの間にか、企業さんとのワークショップ、商品開発、生産者と共催しての料理会など多岐に渡り「おいしい」にかかわりはじめます。「家庭料理ってわかんないんですよね…」と話すと「それはそれでいい、感性でしたことをしていい、と言って頂けてました。どうしたらいいのかわからないけど「芯のところは、なんかわかる」という感覚なので、話が通じたり通じなかったりすることもありますが、幸い、周りの方の理解が深かったおかげで仕事になっていました。徐々に地方に行くことが増え、行った先での聞き書きをきっかけに、子供の頃以来の摘み草、野草文化への興味がわ来ました。思い出したというほうが近いかもしれません。

野草の酵素を作り始める


同時期に、家族の不調をきっかけに、母が作り始めた野草酵素作りを手伝い始めます。ちょうど2011年頃で、多くの人の意識が、自給自足やつみ草といった足元にある自然へと回帰する動きがありました。同じ時期に父の事業が倒産して、なんかもうこのへん、記憶がぐちゃぐちゃ。あんな状態でよく生きてたなと思うような出来事が続き、心の世界を学ぶ道へ繋がってゆきます。

野草と狩猟、いのちに触れる

料理を仕事にしていると、どうしても、「いのち」との関わりへ目を向けることになる。ならない人もいるかもしれないけど、わたしはそうでした。子供の頃から持っていたいのちをいただくことへの喜びと罪悪感。どこまでがいのちでどこからが食べものなのか。この問いが、いつもありました。食肉、魚介だけでなく、野菜ひとつ、野草ひとつとっても他者の命のきらめきを身のうちにとりこんでいく。これは一体なんなのか。 哲学的探究心から2013年、狩猟免許取得。 狩猟の現場で余すことなく食材としていただくことを、その意味を、光の粒のように、体感しました。これは2015年朝日新聞出版から『料理家ハンターガール奮戦記 ジビエの美味しさを知らないあなたへ』で書いているので、よろしければ読んでください。このころのわたし、めちゃくちゃ悩んで頑張っている。

いのちをいただくことは、魂の通り道を作ること


料理をすること、食べることは、、お皿の上に魂の通り道を作ること。つくる人は、なんの作用も我も持たず、調えて相手に渡すだけ。受け取った相手が、その人にとっての調和が起きるだけ。通り道であることを理解した頃、今度は母の病気が発覚します。またきっかけを得て発酵食品と腸内環境の関係に興味を持ち、研究を始めました。これまでの体験のすべてがつながる領域で、夢中になりました。

流されて生きているわりに、するとなると、のめり込む。


腸内環境が変わると、心と体はどうなるの?とあれこれ試しながら、結果を出すうちに、ちょっとハードな断食に傾倒し始めたのもこの頃です。やりすぎて体調を崩し、回復に数年かかったのも「ははーん、こうなるのか」と自分の体で実験をしていました。自分のからだで試すのが一番早いけど、腎疲労や貯蔵鉄を失う貧血になったり、一時的な断食をするにもちゃんと栄養をとりながら(これはまた別の機会に)。栄養も、食べ物だけでなく他者との交流や温かみを感じることでからだの反応が変わることを再認識していきます。

「発酵の3.5.7日間」全国で発酵ワークショップを開催


発酵食品を仕込み、醸し、発酵した順から 調理していただく発酵ワークショップ 「発酵の3.5.7日間」を開催。九州を始め、 山陰、近畿、関⻄、東京、東北と日本全国で行う。腸内環境の変化で感覚的に研ぎ澄まされて、 幼少期から持っていた見える世界と見えない世界の統合と分離の体験を繰り返しました。わかるんだけど、もうちょっと普通の人間でいたいんだよ〜!という抵抗が大きいけど、その度にお知らせもやってくる。ときどきスピリチュアルな仕事もしました。

どこでどんなことをしていても、いつも同じことを言っている


流れ流され、行きつ戻りつしながらの人生ですが、
気がつけばいつもなにか作っています。

そして口を開けば人へ伝えることは、
腸内環境の多様性を持つことは、多幸感につながること、
からだの方がずっとかしこい、身体の感覚を大切に、
おなかほかほか、おはだつやつや、こころほがらか、
どんな自分でも一番好き、大丈夫、いつでも大事大事、
講座やワークショップを通じて、その体験を人へ伝えてきました。

扉はそれぞれ、でも、必ず同じ場所で出会う


自分で選んだわけじゃない料理もお菓子も「やってみたら」とお膳立てされて、「まあ、いいよ」と始めたことばかりで、ずっと、自分で熱意を持って始めたわけじゃないことにコンプレックスがありました。しかし振り返ってみると、いつもいつでも興味のある分野に触れる扉として、料理をすること、広く言えば「創ること」がわたしの前にありました。ドアを開けると、道が続いている。この道はひとりで行くけど、ときどき、他の人が歩いている道と交差する。料理でなくても、きっと他のことでも、違う扉をあけても、みんな同じ丘にたどり着く。たどり着いた場所で持ち寄ったことを話し合い、また別々の道をゆき、いつか違う広場で再会する。そういうものだと、今は理解しています。

最近は何をしているのか

今はオンラインのワークショップを中心に、発酵と体験をガイドしています。たまに人の相談に乗ったり(こころのこと、からだのこと)、1年に数組だけ、コンサルもしています(こちらはご興味をお持ちの方はお問い合わせください)。

あちこち飛び回っていた時期もありますが、基本的に福岡の自宅と庭にいます。たくさんいた犬たちも見送って、もう動物とは暮らさないのかな、とのびのび暮らしていた頃、強い意志で「ここに住む!」とやってきた猫と暮らしています。猫との出会いは逆指名制度と聞いていたけど、本当でした。

ときどき父に猫のお世話を任せて、淡路島に住むパートナーの家と福岡を行き来しいて、淡路島でも植物を育てたり、野山で採取したり、昼寝をして、星空を眺めて過ごしています。2020年から再開して、ちょっと休んでいた絵も描き始めました。ストレッチも再開したので、今年は、からだともっと仲良くなりたいと思っています。

こんな感じで仕事をしています。
植物を通して、他者を通して、自分を知る鮮やかさをご一緒しましょう。


季節の植物でつくるセルフケアのためのレメディ/全一の酵素シロップ2024春夏ラボ(6ヶ月)


2024/3/22−24発酵リトリートもあります


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izumiiguchi
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