沖縄戦地跡を巡ってみた(海軍司令部壕~糸数壕~シュガーローフ~第32軍司令部壕)
沖縄戦地跡は幾つかあるかと思いますが、今回は
・海軍司令部壕
・糸数壕(アブチラガマ)
・シュガーローフ
・第32軍司令部壕
に行って来たので、順に紹介します!
この内容はYouTubeでも紹介しているので、ぜひそちらもご覧ください!
海軍司令部壕
海軍司令部壕は、沖縄戦において海軍の司令部として使用された防空壕です。
戦後は旧海軍司令部壕として、その一部が一般公開され、周辺は海軍壕公園となってます。
場所は豊見城市と那覇市の市境に位置し、那覇空港からのアクセスは下記のようになります。
入り口から出口まで壕内は独特の暗さ、匂い、閉塞感が漂っており、霊感が強い方は何かしらを感じてしまうというのも頷けました。
糸数壕(アブチラガマ)
糸数壕(アブチラガマ)とは沖縄県南城市にあるガマです。
残念ながらガマは案内人の方と1時間ほど回るプランになってしまうとのことで、この日は断念。
ガマの入り口の前には魚雷や大砲が展示されてました。
その代わりに展示品のある総合案内センターを覗いてみます。
武器や砲弾、遺品などが展示され、当時の戦闘の激しさを物語ってました。
シュガーローフ(安里52高地,慶良間チージ)
シュガーローフは沖縄戦の激戦地で、丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の1つです。
アクセスはゆいレールのおもろまち駅徒歩5分。
シュガーローフとは摺(すり)鉢山という意味で、この丘の形からそう名付けられました。
約1週間続いたこの戦いで米軍は2662人の死者、1289人の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出しました。
現在のシュガーローフは、知らない方にとってはかつてこの地で激戦が繰り広げられたことを想像できないほど市街地に溶け込んでいました。
シュガーローフに訪れる人は私しかおらず、この丘自体もかつての激戦を想起させる雰囲気が全くありませんでしたが、悲惨な戦争をこれからの日本を担う人々が忘れないように、この場所は残っていってほしいと思いました。
第32軍司令部壕
第32軍司令部壕はかつて首里にあった壕です。
なぜ首里に作られたかというと、首里城が立つ丘、硬い石灰岩でできており、激しい艦砲射撃や空襲にも耐えられると考えられました。
また、首里城が立つ丘は標高が高く、見晴らしの良い立地です。
ここに軍の基地を置くことで必然的に攻撃目標となり、首里城が破壊されるリスクがあるのではないか、ということは考慮されなかったようです。
日本軍はここから撤退する際、進行してくる軍によって使われることがないように爆発させました。
これによって一部は崩壊しましたが、その他は無傷のままでした。
現在まだ入ることができる部分には、崩壊を防ぐために鋼鉄の柱や梁が設置され、安全のために入り口は塞がれました。
最後に
最後までご拝読いただきありがとうございました!
この記事はタメになったという方はスキボタンを押していただけると泣いて喜びます!
それではまた!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?