自転車にのって
自転車にのって
自転車にのって
ちょいとそこまで歩きたいから
(『自転車にのって』高田渡)
セミドロップハンドル、ギアシフトレバー、フラッシャー付と聞いて思い当たる人はおそらく僕と同時代を生きてきた人に違いない。セミドロップハンドルはその名の通りドロップハンドルを中途半端にしたもの、五段変速のシフトレバーがトップフレームに取り付けられ、フラッシャーとは荷台後方に取り付けられた方向指示器。どれひとつとっても実用的とは言い難く、今ではほとんど見かけない。ドロップハンドルが小学校で禁止されていたから、セミドロップはもしかしたら折衷案として考案されたのかもしれず、ブームだったスーパーカーのものをイメージした大袈裟なシフトレバーは邪魔なだけ、フラッシャーにいたっては大量の乾電池が必要でとにかく重かった。もとより二、三度転べば壊れてしまうようなおもちゃのフラッシャーだから、友達のそれは大抵使えなくなっていて、内部で乾電池が錆びついている始末。それでも、そんな自転車が当時の少年たちの憧れだったことは間違いない。僕は買ってもらえなかったけれど。父が、その手の見掛け倒しのまがい物を嫌っていたせいだ。「安物買いの銭失い」というのが彼の口癖で、中学に入ったらちゃんとしたやつを買ってやる、と息子をなだめた。そうして約束通り、入学祝に与えられたのがロードマンだ。ブリヂストンが70年代に発売したサイクリング用自転車で、低価格のエントリーモデルながらロードレーサーやランドナーといったフレームのタイプも選べる本格的なものだった。99年に生産が中止されるまでに累計で150万台も売れた、というのは改めて調べてみて分かったことだが、とにかく僕はこの自転車を大変気に入り、どこに行くにも乗ってでかけたし、どこまででも走っていけるとさえ思った。
あれは夏休みに入ったばかりの頃だった。ある朝早く、僕はリュックサックに着替えといくばくかの現金、それにトランジスタ・ラジオを詰め込んで家を出た。両親や姉はもちろん、町中がまだ眠りのなかにいる。空気は青く透明で、Tシャツ一枚では少し肌寒いくらいだったが、やがて日が昇ればすぐに汗が噴き出すのは目に見えていた。玄関の脇に停めてあった自転車を静かに門の外まで引いていき、そこでサドルに跨ってペダルをぐっとひと踏みすると、ついに僕は出発した。隣の家の枇杷の木から寝ぼけたミンミンゼミが慌てふためいて飛び去った。家の前の長い下り坂を、とりあえずはペダルを漕ぐ必要さえなかった。僕は走る。ひたすら前へ。目的地もないまま、ただ漠然と遠くへ、遠くへとただそれだけを考えていた。
最初のうち、僕と自転車はすこぶる快調で、両方の手をハンドルから放しても操れるくらいに相性も良かった。一時停止も無視して踏切を渡り、国道に出たら左折。東へ向かったのは気まぐれだったが、あるいは、自転車がその道を選んだのかもしれなかった。その頃にはもう行く手に強暴な太陽が顔を出し、熱と光が国道を走る大型トラックやバス、乗用車の排気ガスと混ざり合って息苦しいほど。未明の爽快さはすっかり失われてしまった。おまけに、幾重にも折り重なったエンジン音で、耳に突っ込んだイヤホンから聞こえているはずのラジオの音もかき消されてしまう。緩やかな上り坂が続き、ペダルを漕ぐ足も次第に重くなった。ついにはサドルから尻を上げ、立ち上がるようにしてペダルを漕ぎ続けた僕は、やがてその街道沿いに青く錆びたプレハブ小屋を見つける。なかには自動販売機が何台か並んでいて、そこで少し休憩することにした。ちょうど腹も減っていたのだ。自転車を止めながら傍らの電柱を見ると、その住所表示には見飽きた町の名前が記されている。まだ町を出ることさえできていないことに落胆した。まるで釈迦の掌で右往左往している孫悟空みたいだ、と。
小屋の奥の壁際に飲み物と煙草、エロ本とカップ麺とハンバーガーの自動販売機、反対側には手作りの木製ベンチがいくつか置かれている。前面に大きく開いた入り口だけで窓はなく、タバコの臭いがこもっていて、商品を照らす自動販売機の明かりがぼんやりと滲んでいた。僕はポケットのなかの小銭を数え、カップ麺を買った。蓋を開けたカップ麺を給湯口にセットしてお湯を入れ、三分待つ間に別の販売機が見せびらかすエロ本の表紙を眺めていると、次第に近づいてきたバイクの音が小屋の外で止まり、一組の若い男女が下品な笑いを絡ませながら入ってくる。あるいは酔っぱらっているのかもしれなかった。僕は慌ててエロ本の販売機から離れたが、ふたりは缶コーヒーか何かを買ってそれに口をつけるまで、僕の存在に気づかなかった。そのままずっと気づかずにいたらキスのひとつも交わしたかもしれないが、丈の短い花柄のワンピースを着た女と目が合ってしまう。きれいな人だった。暑さのせいか少し上気した頬に、塗ったばかりと思しき赤い口紅。僕は、さっきまで誰憚ることなく凝視していた淫らな写真のモデルに似ているような気がして、すぐに目をそらす。
「あら、ボク、こんなとこでなにしてるの」
それでようやく思い出して、ベンチに置きっぱなしだったカップ麺を手に取った。三分はとっくに経っている。
「朝飯か」と、男が言い、女を見た。「いいね、俺たちも喰う」
「あたしは嫌よ、カップ麺なんか。どっかでモーニングでも食べましょうよ」
すると男は、どういう意味なのか僕にウィンクをして、
「だってよ」と、笑うのだ。
じゃあな、と飲み干したコーヒーの缶を男はゴミ箱に投げ入れ、女はコーヒーではなくジュースのようだったが、それを手にしたまま出ていく。あんなに短いワンピースでどうやってバイクに跨るのだろう、と僕はそれが気になってふたりのことを目で追ってしまうのだが、すると彼女はなんの抵抗もなくシートに跨るとふわりと広がったその裾を股の間で押え、振り返って言った。
「じゃあね、ボク」
けたたましいエンジン音と路肩の土煙を残してバイクが行ってしまってから、僕は最後まで一言も口を利かなかったことに気づいた。怖かったわけではない。むしろ彼らはとても優しそうだったけれど、要するに、僕はボクでしかなくまだどうしようもなく子供だったというわけだ。
すっかり伸びてしまったカップ麺をそれでも全て平らげてまた自転車に乗った時、どこまででも走って行けるとさえ感じた僕の自由はもう萎んでしまっていた。そこから東に向かってしばらく行くと大きな川に橋がかかっていて、それを渡ると隣町だったはずだが、僕はその橋の手前で引き返した。少し遠回りをして家に帰りついた時、家を出てからまだ半日と経っていなかった。思えばあれが、僕の初めての挫折だったと、自転車が欲しいという息子のためにネットで調べていたらそんなことを色々と思い出した。例のセミドロップハンドル、ギアシフトレバー、フラッシャー付という昭和の懐かしい画像を目にしたせいだ。
あの夏の朝から、ずっと旅を続けているのかもしれないな。随分遠くまで来てしまった気がしているけれど、実際にはまだほんのちょっとそこまで。