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結婚してください

御朱印を集めるのは彼女の趣味で、これまでに二百を超える寺社を巡っている。持ち運んでいる御朱印帳はもう十一冊目に入った。御朱印帳というのは概ね四十から四十八頁くらいの蛇腹式になっているが、彼女は時々、その表面しか使わずにきたことを軽く後悔する。全ての御朱印帳を携えてこんな山道を歩く時には特に。裏面も使えば半分の冊数で済むのだ。それでも表面だけを使い続けるのは、いくら裏写りのしない奉書紙とはいっても透かしてみれば表と裏の御朱印が重なってしまい、授けてくださった寺社に失礼だと思われるから。もとより、すでにいっぱいになったものは自宅に置き、一冊だけ携行するなどということは考えない。今回の旅に先立って、御朱印帳専用に小ぶりのリュックサックを買い求めたくらいだ。そうしてそれを背負った彼女は、縁結びのパワースポットと評判のとある山寺を目指している。


冬季には途中の停留所で折り返し運行となるような山岳路線の終点でバスを降り、そこからさらに徒歩で一時間弱。ガイドブックによると、山の斜面を蛇行して上っていくコンクリート舗装の道と山中に切り開いた階段状の歩道があり、距離的には後者の方が近いがかかる時間はほぼ同じだという。その分かれ道まで来た時に彼女は少し迷い、一度山のなかへ入りかけてすぐに戻った。想像以上に暗く深い森に急峻な土の階段がどこまでも続いていたからだ。明るくて見晴らしのいい舗装路を、鶯の声でも聞きながらのんびり歩く方が彼女には似つかわしい。すぐに民家はなくなって、車もほとんど通らない。風が森を揺らす音、地虫の唸り、そして鶯、メジロ、カエルたちも騒々しい視界は、青と緑の油彩絵具を大雑把に塗りたくったようで光に溢れている。新緑香る山の空気を胸いっぱいに吸い込んで、彼女は歩き続けた。


やがていくつめかの緩やかなカーブを曲がり切った時、目指す山寺の山門が右手に現れる。門前には小さな売店があって、彼女は自動販売機でペットボトルの水を買い、その脇に置かれた飲料メーカーのロゴが本来なら赤かったはずのベンチに座って喉を潤しながら、改めて山門を眺めた。それは、彼女がこれまで巡ってきた寺社のなかでは特に大きくも小さくもない二層の門だが、漆黒の瓦をのせた柱や梁はくすんだ木目を晒してなかなかに趣きがある。正面には竜だろうか、細かな彫刻欄間が設けられているようだ。近づいて見てみようと腰をあげた時、背後の引き戸が音をたてて開き、五、六歳くらいの女の子が飛び出してきて言った。

「結婚してください」と、子供らしい、はきはきとした強い口調で。

彼女は思わず噴き出してしまう。いくら縁結びのパワースポットとはいっても、これではいかにも早急過ぎる。御朱印はおろか、まだ参拝もしていないのだ。彼女は女の子を傷つけてしまわないくらいにその笑いを引きずったまま、朗らかに答えた。

「いいよー」

すると女の子は、
「ほんと」と、嬉しさのあまり飛び上がってみせる。次の瞬間、開けっ放しだった扉のなかへ引き返し、奥に向かって大きな声で言った。
「おにいちゃんがおにねえちゃんと結婚してくれるってー」
しまった、と彼女が止めようとした時にはもう遅い。

「ちがった、おねえちゃんがおにいちゃんと結婚してくれるってー」

女の子が言い直すより前に驚いた声が上がり、
「ほんとかね」
サンダルのようなものを履いた足音が近づいてきて腰の曲がったおばあさんが顔を出した。

「あ、いえ、あの」と彼女は口ごもり、すみませんと詫びるしかない。
「まぁまぁ、とりあえずなかで休んでいかれたら」
「でもあたし、お参りに」
断りきれなかった。彼女には昔からそういうところがある。


促されるままに足を踏み入れた店内は、北向きだからかひんやりと薄暗く、棚に並んでいる商品もどことなく古びて見えた。賞味期限をいちいち確認したくなる感じ。正面には土地の名前を冠した饅頭やら漬物やらが並び、野菜のダンボールに袋詰めされたこんにゃくが山積みされている。あとはどこにでもある菓子、缶詰め、レトルトカレーに乾物類、調味料と壁に貼られた観光地のペナントが懐かしい。土間の先が玄関を兼ねているようで、下半分がガラスの障子戸を開けて彼女の手を引き、上がり框に座らせたのは女の子だ。
「おにいちゃんと結婚してくれるんでしょう」と、繰り返しながら。「嘘じゃないよね」

結婚が何を意味するのか未だ知らない無邪気さを、彼女がほんの少し羨ましく思いながら腰かけた、そこがもう居間だった。見る限り、いきなり「おにいちゃん」とご対面ということにはどうやらならずに済んだ。女の子の母親が、ごめんなさいね、とお茶をいれてくれる。二連の丸い蛍光灯は一つだけに明かりが点いていて、店よりもさらに暗く感じられた。

「おにいちゃんっていってもね、あたしの弟で、だからこの子にとっては叔父さんになるのだけど」  

女の子の母親には、土地の訛りがまったくない。この人は、どこか都会で暮らしていて帰省中かもしれない。おそらく、「おにいちゃん」も今、ここにはいないのだと少し安心をして、彼女はのんびりと相槌を打つ。

「そうですか」

それからしばらく、彼女がどこに住んでいるのか、ここに何をしに来たのか、そういった旅の雑談をした後で、再び「おにいちゃん」の話しになった時。

「生きてれば」と、女の子の母親の唐突な言葉に彼女は驚かされるのだ。

「生きてれば、そうね、今年三十になるのかしら」

「三十一じゃないかね」と、そこでおばあさんが口を挟み、

「あの、それはいったい」

彼女は訊かずにはおれなかった。

「いいの、気にしないで」

女の子の母親は口を濁し、

「そうはいっても檀家総代の家の長男が」

結婚もしないでふらふらしてるわけにもいかないと、おばあさんが興奮するのを窘める。

「お願いできんかね」と、それでもおばあさんはに言い募り、

「おねえちゃんいいって言った」と、女の子がまた責め立てる。

「よかったら、お名前だけでもここに」

女の子のお母さんがスーパーの広告を裏返し、ついにボールペンを差し出した時、彼女はもうどうしていいか分からなかった。混乱し、動揺していた彼女は、言われるがままに名前を記す。そうすることしかできなかった。どうせ広告の裏紙だ。問題はないはずだった。まさか自分の名前が、本当に死者との婚礼に使われるなどとは思いも寄らず。


冥婚の風習を彼女が知るのは、山寺への参拝を終え、御朱印を頂いて帰宅してからさらに数日経った後のこと。ふいの病に倒れ、病床で読んだ本のなかにその記述をみつける。縁は確かに、結ばれていたようだ。



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