イキのいい水
こんな夏の日には、水道の蛇口を全開にしてしばらく水を出しっぱなしにするのが父は好きだった。今思えばもったいない話だが、そうしておいてから飲む水は確かに冷たく鮮烈で美味かった。水道管のなかで滞っていた生温い水が全て押し出され、町の北側に聳えるあの霊山から流れ出たばかりの新鮮な水に入れ替わる。水道水なので実際にはダムや浄水所などを経て届くわけだけれど、少なくとも父親はそう信じていたし、息子もまた、そんなイメージを共有していた。また、強い日差しに火照った家の前の道路に打ち水をするのは息子の仕事で、といってもそれは、桶の水を柄杓で撒くといった風流な光景ではない。ビニールのホースで勢いよく撒き散らすのだ。ホースの先をつまんで細め、放物線を描くように遠くまで飛ばした水流に小さな虹がかかることもあった。そのホースから流れ出す水を顔に浴びるようにして直に飲むのが至福だった頃。アスファルトの上で瞬時に蒸発する水の匂いが懐かしい。
水は流れてこそ水。動きのない水が、だからいまだに僕は苦手だ。様々な国を旅するようになって、水道水が美味しく安全に飲める国の方がむしろ少ないことを知り、ペットボトルのミネラル・ウォーターも仕方なく飲むようになったけれど、あれが初めて一般家庭向けに発売された(多分六甲のおいしい水だ)時にはいったい誰が買うのだろうと訝しんだものだ。そういうわけで、水筒には出来れば水以外の液体が入っていて欲しいし、水さしを見れば入院しているような気分になる。とにかく水は迸るイキのいいものを口にしたい。ところが昨今は、そんな水になかなか出会えなくなった。都会に暮らしていると特に。いつの間にか死んだようなペットボトルの水ばかり飲むようになった。
ある日、教会の前の坂道を下っている時に、僕は僕がずっと望んでいた、望んでいることさえ忘れてしまっていた水の音を聞く。それは幻聴だったのか。町境を流れる鈍重な川のものとも違う、喩えるなら山から引いたささやかな、けれども溢れんばかりに豊かな灌漑用水路の音で、どこかでひっそりと回っている水車の存在すら感じられるほどだった。ふいに父に会いたくなって、車を出した。もっとも、すぐに出発したわけではない。その日にやるべきことを全て片付けた後で、結局深夜になった。あの町まで、高速を使えば二時間とかからない。帰る気になればいつでも帰れたはずなのに、もう随分長い間拒み、逃げ続けてきた故郷。特に帰れない理由があるわけでもないのに。
途中で一度、サービスエリアで休憩をした。駐車場にはたくさんのトラックが並んでいて、真夜中だというのに、いや、だからこそか、レストランはドライバーたちで賑わっている。僕はカツカレーの食券を買い求め、駐車場が見渡せる窓際の席をとってそれを食べた。当たり障りのないカツカレー。水も、肝心の水も、ウォーター・サーバーから自分で注いだ冷たいだけの溜水。だからといってもう、そのくらいで落胆することもない。誰も反応はしなかったけれど、ごちそうさま、と一応言葉にしてから車に戻る。
ラジオの深夜番組の落ち着いた声を聴くともなく聴きながら、高速を下りて町に着いたのは午前二時を回った頃だった。流石にそんな時間に何ができるわけでもない。ファミリー・レストランも二十四時間営業などしていない田舎町だ。まっすぐに父のところへ向かい、駐車場に車を停めてそのまま夜が明けるのを待った。こんなことなら朝になってから出発しても同じことだったのだが、一晩眠って起きたら気持ちが変わってしまうかもしれなかった。これでよかったのだ。
ラジオは七十年代のロックを特集していた。この町で暮らしていた頃には、どちらかといえば騒々しい覚醒の音楽だったはずなのに、今となっては心を落ち着かせてくれる。その事実が面白くて、ひとりで少し笑った。実際、僕はその番組を聴きながら眠ってしまったようだ。目が覚めると、まだ仄暗い時間だったが、気の早い蝉が鳴き始めている。夏休みになると、僕はまさにこの場所で毎朝ラジオ体操をし、スタンプを貰い、裏山にクワガタを捕りにいった。菩提寺の境内というのはそんなふうに使われていた。寺のある小高い丘の斜面は墓地として造成されていて、その先にはたくさんの煙突が林立し、それぞれが絶えず白い煙を吐いている。何も変わっていなかった。僕は墓地の入り口にある水汲み場の蛇口にあらかじめ用意してきたホースを取り付け、父が眠る墓までそれを伸ばしていった。イキのいい水を父にかけてやるために。ただそれだけのためにここまで来たのだ。水道を出しっぱなしにして冷たい水を飲んだあの家はすでにないけれど、これもこの町の水であることに変わりはない。ホースの長さが少しばかり足りなかったが、水の飛ばし方なら心得ている。目いっぱいホースを伸ばしてから水汲み場まで戻り、蛇口を開けるとまたホースのなかを流れる水を追いかけて走った。我ながらなんとも馬鹿げたことをしている。そうしてあの頃のように、ホースの先端をつまんで水圧を強め、父の墓を狙う。放物線を描いて、喨々たる水流が墓石に当たって弾けた。
父が喜んだかどうか、そんなことは知らない。ただ、僕はその水を文字通り浴びるように飲んで満足する。喉を鳴らして飲み続ける。
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