設問が間違っている

その設問はあまりに理不尽で人権を無視しているし、不確定要素が多すぎるために答えられない。
例えば、仲間割れで殺された強盗犯の男と、病気で亡くなった少年、それに交通事故で不慮の死を遂げた婚約中のカップルが川の辺で出会う。深い霧が立ち込めるなかに射す光はあくまで薄く、朝といえば朝だがあるいは残照かもしれず、何もかもが朧で対岸は見えない。したがってそこが川だという確証は誰にもないのだが、渡守がそう言うのだから信じるしかない。所々羽目板の落ちた桟橋に舫ってある小舟で川を渡らなければならない、と。

それを聞いた強盗犯は俄かに激昂する。

「ふざけんよ、俺たちを殺す気か」

そうかもしれない。到底四人も乗れるような舟ではない。ふたり乗るのがやっとだろう。何度か往復しろということなのだ。四人全員が向こう岸に着いたらいいことがあると、渡守はだが、それが何かは教えてはくれない。

「もしも誰かが逃げちゃったら」と、少年が訊ねる。「僕、渡りたくないよ」

その時は連帯責任だ、と渡守は言うだろう。
ーー大変なことになる。

「分かりました。では、私がひとりずつ運んでいくよ。二往復半すればいいだけのことだ」

婚約中の男の言葉に即座に反応したのは彼女だった。

「嫌よ、あたし」

「嫌ってなんだよ」

「あなた、運転には自信があるから任せておけって言ったのに、おかげでこんなことに」

さめざめと涙さえ零す彼女は、二度と彼に命を預けたくはないのだという。

「あれはだって、仕方ないじゃないか。トラックが」などという彼の弁解にもまるで耳を貸さない。

「分かったよ。だったら俺がまずあんたを運んでやろう」と、強盗犯が言った。

「それは駄目だよ。こいつは君と二人きりになったら何をするか分かったもんじゃない。舟の上だってお構いなしだよ」

彼は猛烈に抗議するが、彼女は言う。

「それでもあなたよりマシかもね。あたし、一度もイったことないもの。ああもう」と、そこで大の大人が文字通り地団駄踏むのを少年は初めて目の当たりにする。「ドライブなんて、やっぱり止めておけばよかった」

「今更何言ってるんだ。いったいどれだけお前のために」

そんなふたりを制したのは意外に決まりに従順な強盗犯で、

「いい加減にしろ。さっさと渡っちまおうぜ。お前はそのぼうずをちゃんと見張っとけ。逃げちまったら『大変なこと』になるらしいからな」

「お前こそ、彼女に手を出すなよ」

「ねえ」と、女はそこではたと気づく。「でもそれだと、あたしあっちに渡ったらひとりぼっちよね。それは嫌だわ」

どんな場所かも分からないところでひとり待つのは心細いというのだった。

「先にこの子を渡してよ」

「ほんとに身勝手だな」と、元婚約者は呆れながらも少年を見る。

少年は身構え、それから断固とした口調で言った。

「僕は渡りたくない。だってまだ、まだ僕は十歳なんだ」

「それがどうした」

強盗犯に怒鳴られて怯える少年の肩に、元婚約者の男はそっと手を置く。

「君の気持ちは分かるよ。でももう手遅れなんだ、多分。私たちは何の因果か一緒にここを渡らなくてはならないんだ」

「何故」と、少年の目には分厚い涙のレンズが出来ている。

その質問に答えることは誰にもできなかった。

「とにかく、君が最初だ」

こうしてまず、強盗犯が舟を漕いで少年を運ぶことになった。対岸までどのくらいの距離があるのか、戻ってくるまでにどのくらいの時間がかかるのか、渡守に訊ねても答えてはくれなかった。ずっとこの場所にいるだけの渡守には、はっきりしたことは分からないのかもしれない。

「さっさと終わらせよう」

そう言って強盗犯が乗り込むと、舟は大きく左右に揺れ、喫水がぐっと深まった。婚約者の男が手伝おうとする手を振り払って、少年はもう観念したかのように勢いよく舟に飛び乗る。

「バカ、もっと静かに乗れよ」

船尾に座った強盗犯が不慣れな手つきで櫓を動かし、取り返しのつかないわだかまりを抱えた男と女がそれを見送っている。少年はといえば、舳先に小さくまとまって舟の行く先を見定めようとしているようだ。

「大丈夫かな」

男のひとりごとに、女は応えなかった。

小舟は程なく川霧に包まれて見えなくなり、しばらくの間、櫓が川面を切る水音とその支点となっている入子の軋みが聞こえていたが、やがてそれも絶えた。

川霧に包まれて、少年はけれど、実はまだ何ひとつ諦めてはいない。

「ねえおじさん」と、船尾を振り返って言う。「舟が曲がってるよ」
櫓の扱いにもようやく慣れてきた強盗犯は、口笛など吹きながら舟を進めていたが、
「そんなわけないだろ」
「いや、だってほら、葉っぱとおんなじ方に向かってるもの。流されてるんだよ」
「それはまずいな」
強盗犯は舳先を右に戻そうと、つまりは船尾を左に押し出し、櫓をそのまま舵をのように操った。
「これでいいか」
少年はどこからか流れてくる笹舟の動きを頼りに、
「まだだよ、もうちょっと右」
「どうだ」
「あと少し」
もう少しと、少年は言葉巧みに舟の向きを変えていく。

同じ頃、元の岸辺では女がこんなふうに切り出している。
「心配だわ。うちの母親、まさかあなたと同じお墓にあたしを入れようなんてこと、考えないでしょうね」

「どうかな。冥婚は地元ではよくあることだしね」
「困るわ。そんなことになったらあたし、もう生きていけない」
「だろうね」と、男は笑いをかみ殺す。
「別れましょう。お願い、別れて下さい」
「それはいいけど、いったいどうやってそれを君の家族やうちの両親に伝えたらいいのか」
すると女が、逃げましょう、と声を潜めるのだ。
「元来た道を引き返すのよ」

さて、途中で方向を見失いながらも、舟はなんとか岸に近づいている。そこは舟を出した場所とほとんど変わらない葦原だったが、桟橋は見当たらない。仕方なくぬかるんだ泥のなかに舳先から突っ込んだ。いさんで舟から飛びおりた少年の足は膝まで泥に埋まる。
「大人しくここで待ってろよ」と、強盗犯が言った。

すると少年は礼のつもりか、川底の泥に足を取られながら腰まで水につかって向きを変えてやった舟を、
「おじさん、今度はまっすぐ向こう岸まで行ってね」と、力一杯押し出した。

少し息の上がった強盗犯は、再び対岸を目指して舟を進める。少年はもちろん待ってなどいない。すぐに背の高い葦の草むらに消えた。もっと生きたかったから。

やがて小舟は、ついに対岸にたどり着く。するとひとりで川を渡ってきた強盗犯に、あちら側の渡守が言うだろう。
「他の三人はどうした」と。
これでは設問として成り立たない。
大変なことだ。

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