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【限界規制地帯ーKAGAWA】


 KAGAWA県某市の住宅街。古めかしい襤褸屋敷と新築のアパートが乱立する細々とした道を、トラックケースを転がしながら通行する人影が一つ。男はしきりに水筒を口に運んでいた。無理もない。蝉の大合唱をBGMに、頭上からは剥き出しの太陽が熱で人々を突き刺すような季節。ぬめりと湿った空気が頬を撫で、熱を蓄えたアスファルトが靴を焼く。

 暑さに耐え切れず、男は日陰に急ぐと、息を切らしながらポケットから携帯端末を取り出す。通知に目を通すと、つい数時間前に見送ってくれたハワイ人からのメッセージだった。その男――西山一喜はライター業をしており、仕事上1年間ハワイに滞在していた。つい二週間前、祖母の様態が悪化したという連絡を受け、溜まっていた仕事を片付け急遽帰国してきたのが事のはじまりであった。

「全く……大変な時だっていうのに……」通話履歴を見ながら独り言ちる。画面には真っ赤な通話履歴が並んでいた。最初に連絡を受けてから、西山は実家や地元の友人に連絡を試みていた。だが、不思議なことに一度たりとも繋がらなかったのだ。それだけではない。地元KAGAWAに関するニュースだけ、何故か悉く入ってこなかったのだ。国外にいた事もある。だが、入国後T空港からここまで移動する間にも、それらしいニュースを得る事が出来なかった。

 不安要素と言えば、先ほどから見回りの警察官を多く見かけることも西山の胸中を騒がせていた。駅近辺で見かける事はそれほど不思議な事でもないが、この住宅地近辺に複数人の見回りがなされたのは、彼が香川に住んでいた頃は一度もなかった。もしや、この近辺で何か凶悪な事件が起きたのでは?先のニュースが入手できない件とシナジーし、西山の胸中には名状しがたき不安が募っていた。

「おい、君」ふと、剣呑な声が背後から浴びせられた。思わず西山は振り返り、後ずさる。見やると、若い警官であった。「身分を証明できるものを見せなさい」高圧的な指示。職務質問の一環だろうか。西山は一瞬いらつきを感じたが、すぐに平静を取り戻した。邪推の通り、事件があったのだとしたら、彼らが真摯に取締を行うことは決して間違いではないと判断したからだ。西山はトラックケースから社証を取り出す。なんてことはない。ただの確認だ。何も問題は――「君、KAGAWA県民だな?」「は?」

 西山は、相手が何を咎めているのか理解しかねた。そもそもここはKAGAWA県であり、そこでKAGAWA県民が歩いている事は、例えるならば日本に日本人が住んでいる事を咎めるが如き暴挙であったからだ。警官は小さく舌打ちをし、続けた。「ここはフリーWifiスポットだ。KAGAWA県民がWifi地域に侵入することはネット・ゲーム依存症対策条例によって固く禁じられている。迂回しなさい」「は?ゲーム?エ?」

 西山の頭はパンク寸前だった。自分は何を犯し、何を咎められているのか。とりあえずWifi下である事を確かめようと、手元の携帯端末を開いた。確かに、端末は此処がWifi下である事を示していた。「あっ、君」警官がいきなり西山端末を奪い取った。とっさの事で、西山は完全に対応することが出来なかった。「KAGAWA県民の携帯端末所持は禁じられている。よってこの端末は本官が没収する」「没収……なんで……?」西山は途方に暮れるしかなかった。傍目から見れば窃盗、強盗の類だろうが、相手は訴えるべき警官なのだ。

「一体、どうなってるんですか?」西山の頭は、その言葉を絞り出すので精一杯だった。「つい昨日までハワイにいたんで、そのなんとか条例ってのも知らないんです」「ネット・ゲーム依存症対策条例はつい二週間前に行使された条例だ。インターネットは思考力や想像力の欠如を促す邪悪なものだ。特にKAGAWA県民は耐性が無いため、規制する運びとなった」「そんな勝手な!」「KAGAWA県議会が公的に定めたものだ。苦情の受付先は本官ではない」「……そこに文句を言えばいいんですね?」

 今や西山の胸中は、身内と連絡がつかない不安よりも、眼前に叩きつけられた無法への怒りが勝っていた。県議会、確か県庁まで行けばいい筈だ。憤る西山はもはや、夏の暑さすら感じる事はない。振り返り、悠然とした歩みを進める。「ちなみに、そこもWifiスポットだ。気を付けるように」背後から注意の声。携帯を没収された今、どう気を付ければよいのか。更に湧き上がる怒りをこらえながら、西山は歩き出した。


【続かない?】

某県の規制法案をダシに書いてみました。この小説はフィクションです。実在の人物、団体、県などとは関係ありません。多分ね。

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IS
スキル:浪費癖搭載につき、万年金欠です。 サポートいただいたお金は主に最低限度のタノシイ生活のために使います。