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伊豆国進士氏 北海道開拓進士氏工事中🏗️

『静岡県の名字』
進士(しんじ) 下田市特有の姓。昔式部省の試験に合格した者の第三位を進士と定めたが、後に称号化し姓となった。藤原清兼が進大夫と称したのが始まりといい、清和源氏流では源義光の孫に進士十郎行義、桓武平氏流では平維基の子孫の進士三郎基度などがある。室町幕府の時、将軍の食膳の調理を司る供御職は進士氏が世襲した。源義光の末裔、進士判官代左衛門尉源義高は承歴(一〇七七-八一)の頃、賀茂郡吉佐美(下田市)に来たといい、平安末期の久安年間(一一四五-五一)、吉佐美多々度浜(下田市)に押し寄せてきた八丈島の海賊を追い払った伊豆の豪族の中に進士氏があり、延元(一三三六-四〇)の頃、見作村(下田市)の堤坂城主に足利氏に属した進士美濃守がある。城東郡大渕村(大須賀町)の進士氏の祖先は陸奥国出身の進士清蔵といい、陸奥国塩釜六所六名神を大渕村に勧請して長寛年中(一一六三-六五)、高室神社を創祀し、庄左衛門は寛永年間、昌雲寺堂宇を建立する。

《進士氏世帯数 静岡県下田市吉佐美100軒》
進士藤右衛門 静岡県賀茂郡朝日村長/国会図書館デジタルコレクション 官報 1897年12月15日//静岡縣家歴鑑 壹//大日本篤農家名鑑
進士清 朝日村収入役/静岡縣紳士録 全
進士安重 下田町議会議員/静岡年鑑 昭和45年度版
進士兵馬 下田町収入役/静岡年鑑 昭和51年
進士哲夫 下田町議会議員/静岡年鑑 昭和60年度版 本冊/静岡県人名鑑 昭和60年
進士常也 下田町議会議員/静岡年鑑 昭和60年度版 本冊/静岡県人名鑑 昭和60年
進士濱美 下田市議会議員/政治山ホームページ
進士為雄 下田市議会議員/政治山ホームページ

『静岡県賀茂郡南豆風土誌』
八幡神社 村社 朝日村吉佐美(下田市吉佐美1722-1)
進士武雄 社司社掌  

『朝日鄕月吉村 下田市吉佐美||伝承と民俗』曹洞宗 佛谷山宝徳院 下田市 吉佐美1667
梅観和尚は、曹洞宗として創建された。
梵鐘 宝永三年(一七〇六)三月鋳造、寄進・進士権左衛門

『大日本篤農家名鑑 明治四十三年八月』
静岡縣篤農家人名
加茂郡 下田町
進士彦太郎
進士熊太郎
加茂郡 朝日村
進士藤右衛門
加茂郡 白濱村
進士熊太郎

『南豆風土誌 静岡県賀茂郡/源基氏傳帳 土肥神社所蔵文書』

見作堤坂城主 進士美濃守 今稲梓村


『史話と伝説 伊豆・箱根』

八丈島の悪鬼と戦った多々度浜 進士

『吉佐美古記録』

進士判官代義高


『吉佐美古記録/伊豆と源三位』

進士判官代義高

『朝日鄕月吉村 下田市吉佐美||伝承と民族』
吉佐美集落のむかし
吉佐美は源氏の時代(一一〇〇)を迎えると源頼政を中心にした伝聞が多くなってきます。頼政が伊豆国を知行に贈ったことは正史にありますが、伊豆に住んだということは多分に疑問視されております。ただ『豆州志稿』によると、頼政のころ、次の六氏が他の数名と共にここ吉佐美に住んでいたといわれますが、何のためであったかは明らかでありません。
進士判官源義高(新羅三郎義光の玄孫)
石井正包(石井冠者丸の子孫)
加藤正治(藤原鎌足七世の孫)
山田正純(同)
山本玄通(山本遠江守の子孫)
外岡信利(清和源氏石川修理介の子)
この中の進士判官源義高は統領として住み、土地の長者らに同名の姓を与えて近臣に手なずけ地域の安定に役立てようと計ったことが想像されます。その他は家臣として仕え、そのままここに住みついたとすると現在の村人の姓のはじまりになり、遠祖ということにもなります。

『佐竹氏系図』

義業(進士判官)

『佐竹氏系図』

行義(進士判官)

『國史大系 尊卑分脉 第三篇/第三頼義次男賀茂二郎義綱三郎義光流』

義業(進士判官)

『國史大系 尊卑分脉 第三篇/第三頼義次男賀茂二郎義綱三郎義光流』

義高(号錦織冠者)

『房総文庫2  伊能忠敬測量日誌』

進士藤右衛門
進士權左衛門

『房総文庫2  伊能忠敬測量日誌』

進士藤右衛門
進士權左衛門

『帯広市史 移民団の入地』

進士五郎右衛門 
静岡県伊豆国加茂郡青野村六十番地 農業
父 文介
母 チト
《進士氏世帯数 北海道25軒》

参考文献
静岡県の名字
南豆風土誌 静岡県賀茂郡
豆州志稿
史話と伝説 伊豆・箱根
吉佐美古記録朝日鄕月吉村 下田市吉佐美||伝承と民族新編 
佐竹氏系図國史大系 尊卑分脉 第三篇大日本篤農家名鑑
静岡縣家歴鑑
房総文庫2
帯広市史
十勝開発史

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