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人類学的地域/2.サハラ以南のアフリカ アフリカはしばしば《黒大陸》と呼ばれる。しかし、人類学的知見からすればこの語は不正解である。

  ⚪︎コイサン人種/脂肪臀症人種(ステアトピギー人種)/ブッシュマン・ホッテントット人種[アフリカ南西端には、滅亡に瀕した二つの人類集団が今も棲息している。現生人類の最も古い言語とされるコイサン諸語を話す。すなわちブッシュマンとホッテントットである。彼らは、互いに幾つかの相違を示すが、同一のコイサンという人種とみなすことができる。
  ⚪︎ホッテントット/コイコイ人(身長は1.60m。頭は長頭(示数72〜73)、頭蓋もいっそう高い。皮膚はおそらくもっと黒く、鼻は幅が狭い。それに反し、彼らもまた、軀幹は痩せ細り、毛髪はさらに球状で脂臀はいっそう発達し、目はしばしば蒙古人種の吊り上がった形を、している。現在、最も純粋な部族であるナマ族は、旧ドイツ領南西アフリカの南部草原に極限されている。
  ⚪︎ブッシュマン/サン人(ピグミーではないが、1.52m平均という低身長の人類で、身体は特別華奢である。黒人ととくに違うのは皮膚の色で、黄色から黄皮色にわたり、アジアの蒙古人を思わせる。彼らとの類似点は、さらに眼の形で強調され、眼瞼烈は狭く、軽く吊り上がっているが、蒙古皺襞という特性はまれである。しかるに、毛髪は、黒人よりも強いといえるほど、極度に球状で、身体にはまったく毛が生えていない。頭は小さく、弱い中頭型(示数75〜77)、額は膨隆している。顔は平らで、頬骨が突出し、頤は後退し、ほとんど突顎を示さない。鼻は幅広く、特徴的な性質は、鼻上半分が全く平らなことで、これがまた顔の平たいのを誇張している。唇は肉が厚いが外翻していない。耳は非常に小さく、耳垂を欠いている。その他身体にも特徴がある。最も目立つのは腰が凹んで、尻全体が後に突出していることである。この現象は、多くの女性においていっそう誇張され、この部位が、他のいかなる人種にも見られないほどの脂肪蓄積を示している。これが《脂臀》である。それとともに、生殖器の奇妙な一連の特殊性が挙げられる。

ブッシュマン


『 ⚪︎メラノ・アフリカ人種(典型的な黒色人種
でサハラ以南のアフリカの大部分が居住地。北方は、セネガルから発し、ニジェル河の彎曲部とチャド湖をよぎって、エチオピア高原に突当たり、南方は希望峰まで広がっている)
※この広大な地域で語られる言語は二つに分類される。北方のスーダン語(スーダン諸語)と南方のバンツー語(バンツー語群)でその分界線はごく近似的に赤道の森林の北緑に当たる。多くの人類学者が、この分類は人種的な価値を持つことを認めている。しかし、認めうる体型の数は、二つ以上あって、はっきりと決めることはできないが、亜種的に意味を持つところの五群を区別する事ができ以下の五亜人種に細分化される。
 「 ⚪︎スーダン亜人種(地理概念としての「スーダン」は、アラビア語で「黒い人」を意味する al-Sūdān に由来する。この場合の「スーダン」は、北アフリカのアラブ人たちからみて南に住む黒色人種の居住地域、つまり Bilād al-Sūdān「スーダン(黒い人)の住む地」と呼ばれてきた地域のことを指す。ギネア亜人種と同様に白色人種による奴隷制度によってアメリカに移住させられた人種である。セネガルからコルドファンまで、赤道の森林やサハラ地方に広がっている草地、大草原の地方に住んでる。地域的な変化はあるが、この黒人たちは1.70mあるいはそれ以上という高身長で、身体はすらりとし、鼻は広いが過度でなく、皮膚はきわめて黒い。頭は中等度の長頭(示数は75の周りに分布)で、突顎がはなはだしい。最も典型的なスーダン人はダカールの黒人であるウォロフである。さらに東には、マンディンゴ群に属するマリンケ・バンバラ、中央スーダンのハウサなどがある。これらすべての住人の中でチャリ上流のサラは、非常な高身長(1.80m)と、非常に丸い頭(示数80〜82)によって目立ち、黒アフリカの中頭型の中心をなしている。
   ⚪︎ギネア亜人種(ギネア湾に沿って、同名の地方からカメルンにいたる森林帯が居住地でスーダン亜人種と同様にスーダン語(スーダン語(スーダン諸語)とはC.マインホーフや D.ウェスターマンによるアフリカ諸語の古い分類法で,バンツー語以外のすべてのニグロイドの言語を総称していう。現在では,ニグロイドの言語はニジール=コルドファン語族とナイロ=サハラ語族に大別され,しかも,バンツー語はニジール=コルドファン語族に含められている。)を使う多数の小種族が住んでいる。スーダン亜人種と同様に白色人種による奴隷制度によってアメリカに移住させられた人種である。しかし、人類学的には彼らと相異なり、身長はそれほど高くなく(1.64〜1.68m)、皮膚はもっと明色で赤味を帯びた濃い栗色をしている。頭は常に中等度の長頭であるが、鼻はより幅広く、突顎の度はずっと少ない。身体の概形はずんぐりとして、胸はより発達し、下肢は短い。大西洋・コンゴ諸語(西ニグリティック)に属するヨルバ人・トマ・アッシニ・アシャンティ、モシは背が高い(1.72m)]

ヨルバ族



アシャンティ族 ガーナ



   ⚪︎南アフリカ亜人種/ザンベジ亜人種/南部および東部バントゥー人種[旧ベルギー領コンゴ南部、西はアンゴラと旧ドイツ領南西アフリカ、東はインド洋の間に住む黒人たちを統一することができる。遊牧生活を営み、侵略と戦争によって何度もひどく傷つけられた。彼らは、バントゥー語群に属するスアヒリ(スワヒリ人)、カフル、ズールー、バスート、ペチュアナなどの諸種族を形成する。皮膚は比較的明色で、チョコレート色が優勢である。身長は人類平均をやや越え(1.67〜1.69m)、頭は長頭で、鼻は広く、軽い突顎である。顔付はしばしば非常に華奢で、ヨーロッパ人を思わせる。身体はスーダン人ほどすんなりしていないし、骨盤の幅が比較的に広いために、胴体にもっとずんどうな形を与えている。

ズールー族


   ⚪︎コンゴ亜人種(赤道大森林に当たり、さらにコンゴ河支流に沿って、森林を越えて南に進む。容貌は他の黒人よりも粗野で、何よりも低身長(1.60〜1.65m)で区別される。皮膚は多かれ少なかれ濃い褐色、毛の発育はよい。頭は中頭に傾く(78〜80)が、この特徴は一般にいわれるほど一定したものではない。顔は低く広く、頬骨が突出している。鼻も非常に幅広で、鼻根が完全に圧し潰され、口は大きく唇がきわめて外翻している。顔面の下方に限るが、突顎の度がはなはだしい。軀幹はずんぐりし、比較的短い四肢は筋肉質である。大部分の黒人とは違って、こむらの筋肉が非常にはっきりしている。この亜人種はフランス領コンゴ、ガボンないし旧ベルベール領コンゴ、アンゴラにおいてはっきりした特色を表わす。これに含まれる大部分の住民、たとえば、バ・テケ、バ・ルバ(別名ルバ族又はバルバ)、バ・コンゴ、バ・コンガなどはバンツー語群に属する。
   ⚪︎ナイロチック亜人種(等質な集団を作り、ナイル河、バール・エル・ガザル河の支流の周りに発達する沼沢地と大草原の地帯に限られている。最北の代表者はカルトゥーム以南で留まり、最南のものはヴィクトリア湖にいたる。そこにはナイロ=サハラ語族に属する世界で最も平均身長が高い部族として知られるディンカ族、ヌエル、シルークなどのもっぱら遊牧する種族がいる。身体は非常に高く、1.78〜1.82mに及び、2mの個体も、まれでないといえる。相対的に身体はほっそりして、脚は長く、前腕も長い。ウォロフの黒人には及ばないが、皮膚はきわめて黒く、髪も非常に縮れている。極度の長頭で、この点では、黒人の中で極点に達している。鼻は広いが、潰れていない。顔も長く正顎で、黒人よりもずっとヨーロッパ人に似た容貌を持つ。目は半ば閉じて、特殊な表情を帯びる。

シルック族 スーダン



 ⚪︎ネグリロ人種(往古のギリシャ人たちは、アフリカに非常に小さな人の群が存在することを記して、彼らにピグミーという名を与えている(ピュグメー、つまりクーデは肘から指の端までの距離で、だいたい46cmに相当する)。高地エジプトに住むとされ、古代の著述家たちはしばしば言及している。1874年になってやっと、ドイツの探検家シュヴァインフルトが、中央アフリカにきわめて低身長の人類が存在することを認め、それによって古代伝説は、実際の根気があったことを明らかにした。現在では、赤道の大森林に、低い身長やその他多くの特性によって、本来の意味での黒人と相異なる特殊な人種が住んでいることがわかっている。これがネグリロ、つまり中央アフリカのピグミーであり、その特徴はよく知られている。最も典型的なのが身長であるのはいうまでもない。純粋なネグリロでは、ほとんど常に1.50以下である。イトゥリのエフェ族では、男の平均身長はわずか1.44m、女は1.33m、女の中には1.18mに過ぎなかった!これは人類の正常な個体に観察される最小値であると思われる。しかもこの特徴だけが特殊なのではない。ネグリロの皮膚は真の黒人ほど黒くはなく、黄褐色で、古くなった革を思わせる。頭髪は球状毛であるが、ひげがよく発達しているし、黒人はほとんど無毛であるのに対し、身体によく毛が生えている。頭は丸く、わずかに長頭、あるいは中頭である。額は膨らんで、左右の頬骨間の幅がきわめて広く、目は窪み、顔面の突顎の度はきわめて少ない。黒人と同様に、唇は厚いが、外翻することなく、上唇は正中面において、非常に典型的な凸
状形を作っている。鼻はおそろしく幅広で、長さよりも幅が広いものさえあり、人類学における例外をなしている。顔を見ると、二等辺三角形をしており、きわめて幅広な口とあいまって、奇妙な容貌を与える。頤がしばしば後退しているのは原始的な特徴である。身体比例もまたきわめて特殊で、頭は、正常な身長の人種と見たところ同じ大きさを持つから、ネグリロの身長が小さいことを考えればずいぶん大きい。身体はずんぐりしている。四肢は短く、とくに脚の短いところがまた、他のあらゆる人種よりも下肢がずっと発達している黒人と違う点である。

ピグミー


⚪︎エチオピア人種(アフリカの最も東の地方、とくにアビシニア高原とソマリー半島には、黒人と白人の中間の特徴を持った人類が住んでいる。弱い長頭(示数75〜78)、中等ないし中等より少し高い身長(1.65〜1.67m)のエチオピア人で、赤褐色から黒褐色に及ぶ濃色の皮膚を持っていて、その色はニグロを想起させる。黒人と同様、狭い骨盤、広い肩を持ち、身体はすんなりとし、前腕と脚は長く、こむらの筋はなく、毛が少ない。だが、その他の特徴はヨーロッパ人に似る。髪は球状ではなく、ただ縮れているか、時には波打っている程度である。顔形は白人に似て、きれいな卵形を描き、頬骨の突出はない。唇は薄く、外翻しない。鼻は突出して、直状または凸状、黒人のような潰れた形を持つという傾向がない。突顎も存在しない。エチオピア人種は、その中間的位置のために、当地の最初の居住者だったに相違ない黒人の群とアラビアあるいは低地エジプトから来た白人侵入者との混血種であると、普通考えられている。その混血から《変身人種》が生まれ、二つの祖先から遺伝された形質がついに、比較的等質な集団として定着したとみるのである。たが、むしろ、黒の方向も、白の方向にも分化しなかったところの、原始的な幹ではないかと、みずから問うてもよかろう。このことは、なぜエチオピア人の一般体型が、混血種のそれと、かくも異なっているかを説明すると思われる。幾多の地域で、原住民を変化して、あるいは黒人あるいは白人に近づけた雑交は、単に二次的に生じたことなのであろう。エチオピア人の典型的な代表者は、アビシニア山岳地帯ならびにその近辺に住まっている。すなわちガラと、狭義のアビシニア人、すなわちアムハラである。さらに東方ではソマリーランドの不毛の地、それから紅海に沿って北につづく半砂漠地帯に、ソマリー人、ダナキル人がある。前に述べたものほど純粋ではなく、幾世紀も前からアフリカのこの地に広がった、絶え間ないアラビア人の流れによって変えられて来た。彼らの皮膚の色はより明色で、長頭高身長の程度も前者にまさる。エチオピア人種はアビシニア高原の北で、ヌビア人という総称的な名を与えられている数個の集団ー彼らは第二瀑布にまで分布しているーとともに、ナイル渓谷を占める。そこで突然、黒色種あるいは類黒人種の領域が終わるのであるが、エジプトの古文書によれば、紀元前2000年ですら、同様であったことがわかる。人類学上の境界は、かくして40世紀も変わらなかったのである。アビシニア高地の南方で、エチオピア人は、東アフリカの黒人の群に侵入する。その代表者はルドフル湖からザンジバルの高地にわたって見ることができる。そこで、しばしばセム・ハム人という総称的な名で呼ばれる非常に混血した集団を作っている。たとえばマサイ、ナンディ、スークなどで、身長高く(1.70m)、明瞭な長頭を示し(示数73)、皮膚はチョコレート色で、髪は縮れているか、軽度に羊状毛をなしている。最期にスーダン北部全域にわたって
、セネガルからナイジェリアまで。サハラ砂漠の南方に位置する大草原地帯を遊牧する流浪民を挙げよう。これがプール人である。特徴は黒人よりもはるかにヨーロッパ人に近く、早くから注意を惹いていたものである。皮膚は銅褐色あるいはミルク・コーヒーの色、髪は波状、鷲鼻、程度の差はあるが直顎である。現在、彼らが東方から由来したこと、エチオピア人と、黒人ならびにアラブ人との混血種を代表することがわかっている。

アムハラ エチオピア

エチオピア人種の以前の考え《エジプト》東部ハム人種[原生エジプト人は、大きな二つの群を含んでいる。その一つ、コプト人はキリスト教徒として留まり、使用する祭祀用語は、古代エジプト語から由来している。他の、フェラー人は完全にイスラム化されている。若干の学者は、彼らの間に、いわゆるアラビア人とベルベール人の間にあるのと同じ差異が存在すると考えた。人類学はこの見解を裏付けなかった。コプト人とフェラー人とはほとんど同じものなので、若干黒人の血がはいっているとはいえ、ともに地中海人種に属するのである。この混血は、ナイル河をさかのぼるにつれて明らかになる。皮膚の色はしだいに濃くり、鼻は広く、毛髪は縮れを増し、球状毛にすらなる。こうして、第一瀑布の奥に住むヌビア人のところに達するのであるが、彼らとともに、黒アフリカがはじまる。興味のある人類学上の問題は、エジプト体型が長年月のあいだ存続していることである。王朝時代以前(西暦前4000年〜3200年)の人は低身長長頭で、小アフリカの地中海人種と同一であったように思われる。この体型は、東方の砂漠にいる遊牧民の若干種族においては、完全に残存したけれども、ナイル河谷では、前三千年初頭、東方からやって来た高身長のアナトリア人の影響によって変化してしまった。身長は増加し、頭蓋もわずかに幅広くなり、顔はよりがっしりと、鼻は狭くなった。その時以来変化していない。前世紀に発掘されたピラミッド時代の小像は、フェラー人によって彼らの中の代表者であると考えられた。エジプトにおいては、ギリシャ、ローマ、アラビアの征服、ずっと下ってトルコの支配も、住民たちの身体の特徴を変化することなしに終わったわけである。

ソマリ族



 ⚪︎マガラシー人種※ヴァロワは疑問をていしても地理的な意味合いで、南アフリカ亜人種に含めていたが、黄色人種の要素が主体の為に独立した人種として考え追加した。[マライ人の要素に黒人の血が加わって、中身長(1.64m)、短頭ないし中頭(81)、黄銅色の皮膚の人々ができあがった。髪は黒くまっすぐで、頬骨が突出し、目の特徴とともに蒙古人種の特性も保存されている。マダガスカル島中央のイメリナ高原に居住地するメリナ族(アンティメリナ)はジャワ島から九・十世紀に到着した人々の子孫でホヴァ王国を築いていたオーストロネシア語族に属するマライ人と南アフリカ亜人種の混血人種]


※参考文献 
人種とは何か 著者寺田和夫 岩波新書 1967年
人種 (著者アンリ=ヴィクトル・ヴァロワ 訳者寺田和夫) 白水社 1971年
モンゴロイドの道 朝日新聞社 1995年
「民族」で読み解く世界史 著者宇山卓栄 日本実業出版社 2018年
世界民族辞典 弘文堂 平成12年
世界民族言語地図 東洋書林 2000年
世界の民族全20巻 平凡社 1979年
中国少数民族辞典 東京堂出版 平成13年

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