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隙を見せる勇気

人前に立つとき、意見を述べるとき、いじられたとき、照れなんて見せるべきじゃない。そう教えられて育ってきた。その場でうまく返せなければ、それで終わり。堂々としていることこそが、正義だった。インターナショナルスクールに通っていた頃、その風潮は特に強く、発表だろうが、歌や踊りだろうが、ディベートだろうが、とにかく自己表現が当たり前だった。恥じらいや躊躇などはすべて置いてきて、前に出ていかなくちゃいけなかった。習い事にもたくさん通わせてもらっていたこともあるけれど、小さい頃からそういった機会がとにかく多かった。その後、足を踏み入れた芸能界でも、振り切れないことが逆に恥ずかしいという文化が根付いていて、結局そこで自分も鍛えられていったわけだ。

でも今は、「照れ」がモテる秘訣だと言われたり、振り切ると「ぶっ飛んだ女」と白い目で見られることもある。「恥じらい」というものは、本当は人間の美徳だったみたいだ。そう考えると覚悟を決めて生きてきた意味って、一体何だったんだろう、とふと虚しさがこみ上げてくることもある。

羞恥心は、人の心をくすぐるらしい。その人の本音が隙間からちらりと漏れる瞬間に、相手の心がときめくのだとか。隙がない人間は、時に損をするらしい。私はまだ、自分の「在り方」がよくわからない。本当は隙だらけなのに、それを隠すように振る舞ってきた。沈黙が怖くて、いつも言葉や行動で間を埋めてきた。照れたら負け。そうやって心に言い聞かせてきた。自分の「自然体」と向き合えるようになるのは、一体いつなのだろう。いや、これはただ時間が解決してくれるようなことじゃない。今こそ、自分自身と正面から向き合うべき時なのかもしれない。ニュートラルな自分を知るために、静かに内省する瞬間が必要なのだ。

みんなはどんなときに「自分らしさ」を感じるのだろうか。それがわかれば、今よりも少しだけ生きやすくなるのかもしれないね。

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