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論考:マジックにおける「種明かしの是非」という友敵対立から離れて

なんで、種明かしは良いor悪いみたいな一方的な主張ばっかりなんだろ…。

そもそも種明かしって何さ?

ということで、拙誌『誰得奇術研究』11号に掲載した種明かしに関する論考をnoteに掲載します。かなりマニアックな話ですし、前提の話をしないと進めないのでちょびっと長いです。気がついたら15,000字越えてました。仕方ないのです。

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※note掲載にあたり、レイアウトを少し変更しました。


はじめに

私たちマジシャンは種仕掛けを公に明かす行為を良しとはしません。多くのマジシャンたちは種明かしを無法だと捉え、苛立ち、呆れ、長らく批判を繰り返してきました。

現行の著作権法では種明かしを法的に防いだり罰することができず、これは日本だけでなく世界中どこも同様で、後述する数少ない僅かな例外を除いて種明かし行為が法的に違反とされたケースはありません。マジシャンたちは、法的保護が望めない現状をわかった上で、種明かし行為を問題視し、議論してきました。

従来の議論は次のようにまとめることができます。最初に「種明かしとは何か」を定義し、「どこからが種明かしか」という線引きをし、何をもってアウトとみなすのかその尺度を議論してきました。

これは言い換えれば、種明かしを悪と決め、マジックの秘密を大事にする友(我々)と秘密を大事にしない敵(我々以外=悪)との間にどういった線を引くのかを意味します。

この前提で行われた議論は、まるで「俺たちの家に土足で上がり込むな」と「いやそもそもお前の家じゃないだろ」という主張と主張のぶつかり合いであり、もはや議論ですら無かったかもしれません。

本稿では、友と敵に線引きして主張をぶつけ合う従来の図式からはあえて距離を取り、そもそもマジシャンは自ら過剰な秘密主義を貫き、秘密を十分に活用してきた歴史的経緯に対して自己批判することを議論の出発点とします。

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