誰かの悪意を受け取ってしまったら
誰かの悪意を不意に受け取ってしまったら。
何がなんでも、自分で「手放す」しかない。そう思う出来事があった。
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昨日のことだ。街を歩いていると、ちょうど向こうから歩いてきたおじ様(知らない人)と道をふさぎ合う形になってしまった。人とすれ違うとき、なぜか同じ方向に同じタイミングで避けてしまい、お互い通せんぼされたようになってしまうアレだ。こういうのはよくあると思う。
あ~よくあるアレだなあとぼんやり思いながらおじ様を避けようとしたら、すれ違った瞬間爺、もとい、おじ様に「チッ」と大きな舌打ちをされた。一瞬、「は??????」とすれ違った舌打ちおじ様の後ろ姿を目で追いかけた。
「は?舌打ち?こういうのはお互い様なんですけど?人生の『あるある』をご存知ない?生まれてきて1年未満の方なんかな?????」と思いながら、私は目の前のドラッグストアへ入る。
心の中だけで悪態をついてみたものの、気持ちは落ち着かなかった。どう考えても、私があの舌打ちおじ様に舌打ちされる筋合いは一切ないのだから(でも悲しいかな、こういう「通せんぼ」状態になった瞬間、舌打ちする人は一定数いるのだとも思う)。
私は腹が立った。なぜなら、今日の私はとてもいい気分だったからだ。さっきまで私は、いつもより空いているお気に入りのカフェでコーヒーとケーキを食べていた。外はいい天気だし、これから家に帰ってゆっくり読書でもしようかな、などとワクワクしながら考えていたのだ。未来で起こるであろう楽しい時間に思いを馳せ、とてもいい気分だったのに!! なんで赤の他人からデカい舌打ちをされないといけないんだ!! 許せん、許すまじ。そんな気持ちがふつふつと湧いてきた。
だがここで爺、もとい、舌打ちおじ様がこちらに投げてきた「悪意」を抱えたままにしておくもの癪だ。イライラしたまま、私まで周りに悪態をついてしまったら最悪すぎる。あの舌打ちおじ様と同レベルに成り下がってしまう。それは嫌だ。私は落ち着こうとした。しかし心のトゲトゲした気持ちはそう簡単には抜けそうにない。
そこでふと思いつき、ゴミが付いたときのように肩を払ってみた。不意に向けられた舌打ちの邪念が、今私の肩に取り憑いている。それを取り払うイメージで。
パッ、パッ。ササッ。
肩をはらった瞬間、なんだか気持ちが少し落ち着いた。イメージって偉大だ。
ここで、一つの実験をしてみようと思いついた。
私が思い出したのは、前にお笑い芸人・カベポスターのラジオで聴いた「雨乞い」の方法だった。
(8分40秒あたりから雨乞いの方法が聴けます)
「この雨乞いの方法を応用すればいいのでは?」
気づけば私は、胸のあたりに手を当て、「モヤモヤしたもの」を球体にして取り出すイメージをしていた。ぐぐぐ、と胸のあたりを手のひらで押してみる。怒りで熱くなっているのが、胸あたりの体温が高い気がした。
ざわざわした気持ちを胸の中から、球体にして取り出すイメージを続ける。ぐぐぐ~、と胸から何かを取り出すように手を動かす。
すると、胸の中からハンドボールくらいの球が出てきた(イメージね。別に酔ってるとかじゃなくてね。あくまでイメージね)。
うわー、この球どうしよう。
ふと周りを見ると、ドラッグストアの商品棚の間に狭い通路があった。その通路の突き当りには、外に繋がる自動ドア。私がさっき舌打ちおじ様とちょうどすれ違ったあたりが、自動ドアのガラス越しに見える。
私は(イメージで)手に持ったハンドボールくらいの大きさの球体をぐっと掴んだ。そしてその球を、自動ドアの方に向かって思いっきり転がした。ボウリングの球を下から転がすように、勢いをつけて(もちろん周りに誰もいないのを確認して)。イメージの中で転がった球体は、自動ドアの方向へまっすぐ進んでいく。
あの球体がそのままドアを通り抜けて、舌打ちおじ様を追いかけていったりしないかしら。そんなことを思いながら自動ドアの先を2秒くらい見つめる。
すると、ガーっと音を立てて、自動ドアが開いた。まるで、私が投げた球体を外へ通したかのように。
「えっ」
驚いて声が出た。そのとき自動ドアの付近には誰もおらず、センサーが反応してドアが開いたようには見えなかったからだ。もしかしたら私から見えなかっただけで、店の前を高速で通り過ぎた人がいたのかもしれないが。とにかく私がイメージの中で転がしたモヤモヤの球体が、タイミングよく自動ドアが開いたことで、どこかへ行ってしまったみたいだった。その後自動ドアは閉まり、何事もなかったかのような静寂が店に戻ってきた。ふと気づくと、私の心の中もいつの間にか落ち着いていた。
「あ、私は今モヤモヤを手放したんだな」
驚きながらも、そう直感した。
その後ドラッグストアを出た私は、近所の和菓子屋へ入った。その和菓子屋のおじいさんがとても愛想がよくて、「はい、430円ね~」とニコニコしながら水ようかんを売ってくれた。今はそんな些細なことにも感謝できてしまって、私は笑顔になった。和菓子屋の外は相変わらずいい天気だ。帰宅してから食べた水ようかんも美味しかった。
私は、他人からの悪意をわりと簡単に受け取ってしまう。自分の性格や感受性は直すのが難しいから、それは仕方ない。大事なのは、受け取ってしまった悪意を素早く「手放す」ことなのかもしれない。
ただ今回、ボールを投げた先の自動ドアが開いたのは、果たして偶然だったのだろうか。もしかしたら私は、何かとんでもない力を秘めているのかもしれない。手のひらを見つめながら私は、さっきお気に入りのカフェで食べたケーキのことを思い出していた。
日々の思うことを綴ります。エッセイ大好き&多めです!