誤解
俺はよく誤解されるんだ。
が口癖の人がいた。
けれど、付き合ってみたらその人自身が「人付き合い」のやり方を誤解してるだけだったみたい。
圧倒的に、独善的。
他者への想像力が足りない。
言葉と態度が悪い。
でも余計なことは言う。
でも大事なことは言わない。
言わないのに分かって欲しいは傲慢。
言葉の裏を読めとか無理な話。
他人に理解されることを怠る、面倒くさがりで臆病者。
そこが私と似ていてムカついた。
結局、どんなに他人に何か嫌なことをされたとしても、それは他人にされたことではなく。
多分自分自身が自分にそれをしているんだ。
自分の中の見たくないものを他人に見つけて意地悪をしたがるAさんと、
自分自身をいつも意地悪な冷たい目で見ているBさんは、実は価値観が似ていて磁石みたいに惹かれ合う。
惹かれあっている、価値観が似ているからBさんはAさんの意地悪に同調して反応して傷付く形で、Aさんの存在を受け止める。
BさんがAさんを、何を言ってるんだ、何してくれてんだ。コイツやばい、私の世界には要らない!と、存在に人権を与えなければ「継続的な関係性」は生まれない。通りすがりの石になるだけ。
BさんこそがAさんに「嫌な奴」という価値を与えている。
反応して貰って受け止めて貰って味をしめて
Bさんに攻撃することで、その間Aさんは嫌いな自分(Aさん)の一部を否定出来る。
BさんがAさんの存在を認めて自分自身を守ることを怠るのは、
BさんはAさんと一緒にBさん自身を虐めているようなもの。
Aさんはどんどん不幸せになる。
意地が悪い人間は幸せを感じる感度が鈍って、どんどん幸せや愛に対して不感症にはなる。
人はどんどん離れていく。
反省は出来ないので離れた人を恨む。
寂しさは募る。
さらに他人にナチュラルに意地悪になる。
罪を重ねる。
そのうち誰かに訴訟を起こされるかも。
多分ろくな死に方はしない。
Bさんもどんどん不幸せになる。
理不尽な仕打ちに対して自分が逃げない、拒絶しない、反撃しないを「選択」しているのに、自分は悪くないと思っている。
幸せは誰かが届けてくれるものだと思っている。
誰かの価値観とか、主導がないと心細くて生きられないから、BさんはAさんから逃げても「別のAさん」にやがて捕まる。
Bさんの根本が変わらない限りは、また別のAさんに見つかって捕まり続ける。
一対一じゃないイジメとかはまた違うメカニズムなんだろう。
実際の関係性は好意と敵意と愛憎が混ざってもっと複雑なんだろうと思う。
だけど、モラハラとかだめんずウォーカーって多分こんな感じじゃない?
大概こんな風に、互いに文句を言いながら案外両思いなんだろう。
根本的に自分を認めずに蔑んでいて、他人の存在に依存したい所が。
そこにあるのは、他罰か自罰かの違い。
よく人は、口先だけで変わりたいと言う。
私もずっと変わりたいと思っていた。
でも、変わるってどういうことだろう。
何十年も、個体によっては100年近く自我を保ちながら生きる、人という生き物。
子どから大人になるにつれて、環境や肩書きが変わるに連れて、若者から老人に向かうにつれて、外見は変わりたくなくても変わっていく。
若さを維持しようにも、時代は変化するから同じファッションや髪型をし続ける訳ではない。
何を持って変わったというのか。
何を持って変わっていないというのか。
そんなの、分からない。
成長してたり退化してたりしても。
積み上げたり劣化したりしていても。
素だろうと作っていようとも。
嘘や欺瞞があっても。
取り繕った仮面が破壊され荒廃して見えるときも。
ヨソイキの服を着てようがパジャマを着てようが、その人はその人。
その人を構成する基本的な意識は変わりはしない。
その人が今まで内側に隠し持っていた性質を外側に出すようになっただけのことを「変わった」というのならば、それはその人を見てた人が「見抜けて居なかった」「誤解してた」だけじゃないのかなんて思う。
そうそう変わんないよね、人なんて。
変われるとしたら、変えられるとしたら、
選択(何を選ぶか)と、
行動(何をするか)と、
態度(どう在るか)くらいだろう。
それさえ変えたら人は変わったってことになる?
だからきっと「変わりたい」は今の自分を否定している訳ではなくて。
自分の魅せ方を変えたいってだけのことなのかも知れない。
変わるってことは、自分という「素材」をどう外に魅せていくかってことなんだと思うし、それはきっと、自他に対する「誤解」を解いて行くことなんだと思う。
自分は…
本当はこういう面があるんだよ。
本当はこんなことも出来るんだよ。
本当はこんなことしたくないんだよ。
本当はこういう風に思っているんだよ。
誤解は、ちゃんと解いて行かなくちゃならない。
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