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ねこが16歳になる日でした

 うちのねこ、おーど・りーを里親会でもらってきたときに、飼い主さんが言っていた「この辺の日に生まれたと思いますよ」の日付が、2月1日。
 なので毎年誕生日としてお祝いしたり、忘れちゃってて数日後にお祝いしたりなどしていた。
 去年の10月になくなってしまったので、16歳はお祝いできなかった。

 なくなって100日目の百箇日というやつが、1月30日でした。ねこの誕生日と2日違い。
 まとめて済ますような形を取ろうと、誕生日の2月1日である本日に、納骨堂に行ってお参りをしてきました。
 俺はそういう日取りや行事を大事にするタイプでもない。たった一匹飼ってるねこの誕生日を忘れちゃってて、数日後にお祝いしてるぐらいだし。
 なのに日付に合わせて行動しているのは、おそらくこの日はつらくなって何もしなくなるだろうと思ったから。仕事はお休みにしておいた。休んで、出かけて、お供えを買って、納骨堂でお線香を上げて、手を合わせて。日々のことを少し書いて今日を過ごす。
 命日から100日が過ぎての百箇日というのは、「残されたものが悲しみに区切りをつけて新たな日常を取り戻す日」なのだそうです。

 あれから、あまりない。
 四十九日の時にも納骨堂に行った。特にやることやりたいこともなかったから。そして泣いた。
 四十九日の時に気づいたこととして、納骨堂までの道のりを歩いていたら「やや遠いな」と思えるようになっていた。距離としてはそこそこの距離で、徒歩だとためらうような場所。それでいてその気になればいつでも歩いて行けるような場所に骨を納めてある。だから「やや遠いな」は正しい。
 それ以前、火葬した日や納骨した日や初七日においては、その感覚すらなかった。かなしみと自責で頭が埋まっていて感覚が十分に機能しておらず、つらさのなかに時間が溶け込んでいた。
 四十九日の帰り道はまたしても気づけば家についていて、「お供えをして考え事をしてまたつらくなっている間にこの距離を歩いたんだな」と、すぐさま検証が出来た。

 ねこのことで、なくなってから今までの間に思ったこと、いくつもある。
 元々俺は「人生楽しい」が基本の人間ではない。体調や財政状況や周囲の出来事などとは無関係に、常時「生きているのはつらいな」がつきまとっているほうだ。
 でもそこにねこがいると、毎日がただそれだけで少しずつ楽しくなる。仮に平常値が100だとして、俺一人ではそれが50なのに、ねこがいるなら100に引き上げてくれる。常に生活にバフをくれる。
 ねこがなくなると、そのバフがなくなった上に、かなしみのデバフが毎日かかる。ごまかしていたつらさが元に戻った上に、喪失による大きなつらさがのしかかるのだから、二重につらいんだな。とか。
 火葬場で焼いてお骨をしまったとき。そこで手伝ってくれた年配の男性もねこを飼っていて、俺を慰めながら話を聞いてくれたことは以前も書いた。
 あの人に「安楽死を選んだんです」と話したら、「そうなんですか……! そんな勇気のあることは私には出来ない」と驚きつつも気を使ってくれた。
 悩んで悩んで、お医者さんにも何度も確認され、「今日にしよう」と決めてお願いした、安楽死。病魔に冒されてはいてもまだ元気だったねこが、腕の中でぐにゃりとなって二度と動かなくなったあの感触。思い出せる。
 あれで良かったのかずっと今まで何度も苛む。
 勇気、か……。とか。

 生活はそこそこに荒れていて、立て直す理由がない。
 仕事でシナリオを書いて、「まだ書けるもんかな」と不安だったが書けてはいて、「話を書くのはまだ楽しいんだな」と認識した。
 自発的に「あれを作ろう」というものは、ほとんどない。ほとんど。
 この記録を書くために久しぶりにnoteを開いたら、ねこのつらい話にたくさんのスキがついていて、今更ながら皆さんありがとう。

 今日、驚く夢を見た。
 寝ている布団にねこがシュルンと入り込んできて、なでたらとても気持ちが良かった、そんな夢。
 ねこはおーど・りーじゃなかった。「そこはお前であれよ」と思った。
 それで「16歳の誕生日おめでとう、が言えなかったな」ってふたたび噛み締めつつ、誕生日だった日に納骨堂に行ってきた次第。
 たくさんのペットの骨と、お供えと、飼い主のメッセージに囲まれるいい場所だなと、改めて思った。次に来るのは一周忌だろうか。その頃には合祀の手配かな。いや、どうだろう。
 「じゃあまた」とお骨に告げて、今日買ったちゅーるの残り2本をバッグにしまう。帰り道は少し遠い。

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