ねこが口の癌になって、お別れをして、それで
うちのねこ、おーど・りーが10月23日になくなりました。
病名や病状の詳細については、ネットでは伏せたままにしていました。
もしも善意による「その病気ならこうした方がいいですよ」というアドバイスが誰かから飛んできたとき、俺は受け入れれば良いのか無視すれば良いのか、その判断が出来ないと思ったから。
この病気が発覚して以降は、ねこが少しでも平和に暮らせるようにするための判断以外は、生活から極力減らしたかった。
病気や不調にはアドバイスをしたい人達がいる。でもそれが正しいものなのかどうかは俺には判別がつかない。なので、事前にシャットアウトして、獣医さんと二人三脚で最後まで看取りました。
改めて病気のことを書いておきます。もしかすると、どこかの誰かのねこの役に立つかもしれないから。
うちのねこは、口腔内の扁平上皮癌という病気になりました。
兆候は、よだれでした。
2023年6月13日。毎年の三種ワクチン注射と健康診断を兼ねて、ねこを久しぶりに、かかりつけの動物病院に連れていきました。
最近の気になることとして、「たまに寝ている後なんかによだれで寝床が濡れてるんですよ」と獣医さんに報告。一応口の中などを見てもらって、「もう15歳だし年を取ってきたのかなあ」ということで帰宅。
ネットで軽く調べてみたところ、ねこは気持ちよく寝ているときに油断してよだれをたらすこともよくあるらしく、今は気に留めないことにしました。
同じ時期に転職活動。「ねこの残りの数年ぐらいの命を、そばで看取れるような仕事に就きたい」と、一年ほど仕事を探し続けていたのが、その月の終わりにようやく条件に合う仕事が見つかりました。
その日にもねこはよだれを出していて、ひどいときには首を振ってよだれを撒き散らすこともあり、俺の目に入ってしまうこともありました。これあんまりよくないな。ねこのことが気になって集中して働けない。
働く前にもう一度だけ、「この症状は本当にただのよだれなのか」を調べてみたくなり、かかりつけの動物病院がお休みだったので、セカンドオピニオンも兼ねて新規の動物病院を受診。
顔の下に小さなしこりがあることがわかり、レントゲンなどの長い検査を経て、「よだれ程度でこんな大事になって驚かれるかもしれませんが……」と、扁平上皮癌の可能性が高いことを教えてもらいました。
もう今年は越えられないぐらい、おそらくもっと早くなくなるだろうと。
「よくこの些細な変化に気づかれましたね」と言っていただいたが、いつも一緒にいて同じ時間を過ごし続けていても、変化に気づいても、どうにもならない。
ねこの残りの命をともに過ごすために仕事を探して、希望の仕事が見つかったその日に、ねこがもう長くないことを知る。まだその仕事も始めてないのに。
口腔内の扁平上皮癌とはどういう病気なのか。以下、ショッキングな話が続きます。覚悟して読んでください。
顎や舌などに出来る癌です。癌なのでまず当然、とても痛いです。
転移しにくい癌だそうで、その代わりに発生した場所で拡大しやすく、発生周辺部位を破壊していくため、痛みと腫れが更に進行します。
うちのねこの発生部位は顎の下です。これが大きくなって、口腔内や上顎にまで侵食し、痛みは当然のことながら食事の邪魔にもなる。なのでどんどん食べられなくなっていく。それで餓死・衰弱死する。痛み以外に体にほとんど問題はないまま、健康体を保ちつつ食べられなくなって、餓死する。
よだれは出っぱなしになります。口内が切れたり腫瘍がつぶれたりして、血の混じった赤いよだれをたらし始める。このよだれが臭い。
次第に口や顔が壊死してしまい、飼い主が近づけないような異臭を発しはじめます。獣医さんには、「おーど・りーがおーど・りーじゃなくなってしまうような状態になってしまいます……」と、切なくも正しく、これからのことを伝えられました。
同じ病気に苦しんだ飼い主さんの闘病記には、膨らんだ患部で眼球がつぶれてしまったり、壊死した箇所にウジが湧いてしまい狂ったように取り除いたり、壮絶な話がいくつもありました。
対応策としては、患部の切除があります。ねこの下顎がまるまるなくなり、舌などの口の中が露出したままになるらしい。見た目の不憫さもさることながら、以後はチューブを直接差し込んでの摂食になります。外科手術後の中央生存期間は、1~3ヶ月。1年生存率は10%とのこと。
つまり、かかったらもう、助からない。治らない。時間が経てば経つほど苦しみが大きくなっていく。痛みやつらさを緩和してあげることしか出来ない。
調べたところ、ねこの口腔内扁平上皮癌の発生確率は、0.045%。10万匹に45匹の割合。珍しくてかかりにくい致死性の病気。
そんなつらい病気に、かかってしまったのか。
麻酔をして針で患部の一部を切り取り、組織検査も行いました。
十中八九で扁平上皮癌であり、患部を切り取ったとしてもこの進行は止められないであろうという診断結果が専門医から届きました。リンパ節や肺への転移の可能性もあると。
顎を切除してチューブで食事の介助をして、結果なんとか持ち直して、数年生き延びたケースもあるらしいのに。ここ何年かは手術によって2年ほど寿命が伸びることもあるらしいのに。それも……ダメか……。
この段階で、飼い主である俺には大きく分けてふたつの別れが提示されたことになります。
このまま苦しんで死んでいくのを最後まで看取るか、どこかのタイミングで安楽死をさせてあげるかです。
治る病気なら、一縷の望みにかけてズタボロになるまで、付き合うことも出来た。
でも、治らない。絶対に苦しんで死んでいくだけなのか。
数年前の尿疾患で何ヶ月も毎日介護し続けたあのとき。もうこのまま死んでいってしまうんだなと思いながら、やせ細っていくねこと過ごした日々。それが無事に治って、回復して、今は元気に一緒に過ごしている。
あのつきっきりの看護生活から、ねこは飼い主の分離不安が強くなってしまった。俺がそばにいていつもかまってやらないと、大騒ぎをするようになった。おかげで俺も出来ないことが増えた。
いいよ。お前が元気ならいいよ。仕事も減らした、人とも会わなくなった、最後までお前と一緒に過ごせるならもう、それで別にいいよ。
最後まで過ごすための新しい仕事もやっと見つかった。これからのお前の老後の数年間は、俺は横にいるよ。そういう気持ちで準備が整ったのに。
お前、これから、つらい思いをし続けて、病魔にやられながら死んでいくのか。
別れは来るんだよ。当たり前だよ知ってるよ。こんなにねこがつらい目にあう別れじゃなくたって、いいじゃないか。
毎日痛い? 顔が壊死してエサが食べられなくなる? 腹は減ってるのに……? 飼い主が近づけないような臭いを発する? なんだよそれ。こんなにかわいいのに、そんなつらい目にあうのかよ、これから毎日、ずっと。日を追うごとに、よりつらくなるのかよ。
俺は安楽死を選ぶことにしました。
この選択に非難の声を上げたい方もいるかと思います。好きに罵っていただいて構わないです。縁を切られようがそれは仕方のないことです。
俺自身もこの選択が正しかったとは思っていないです。ずっとこの罪を背負っていくつもりで選んだので、非難は当然だと考えています。
動物が生きていくのを諦める罪を、俺が背負う程度で。この子のつらい時間が少しでも減るのなら。
もう俺に出来る最後のことは、この子をどこかで楽にしてあげることしかないのだろうと、考えて考えて、決めました。
ねこになるべくつらい思いをさせないというのが、今後の介護の第一方針として決まりました。
痛みや不快感はなるべく取り除いてあげる。呼ばれたら何をしていてもすぐに駆けつける。
「何も食べられないよ。おなかがすいたよ。顔が痛いよ」そんなつらい思いを積み重ねた末にお別れをすることになったら、安楽死の意味がない。ここから先は症状が悪化して、より一層つらい日々になるけれど、今はまだ元気でおなかいっぱい。そういうしあわせな時を見計らって、お別れをしよう。
楽しい思いをたくさんしてもらって、そこでさよならだ。生死の責任は、俺が取る。生き物を飼うものの当然の努めだ。
獣医さんにもお話して、同意を得て、方針は完全に決まりました。だけどこの後、「だとしてその最適なタイミングはいつなの?」に延々と悩まされることになります。当たり前の悩みだ。たくさん悩んだ。
獣医さんの選択にも悩みました。かたや長年お世話になっているが最初の病気の兆候で発見しそびれたお医者さん。かたや新規開業で通ったことがなかったけれど病気を見つけてくれたお医者さん。
両者と今後の方針を話した結果、昔からのかかりつけの獣医さんに診てもらうことに決めました。
ここから先は治癒のための通院ではなく、ねこと俺がどういうふうにお別れをするかの通院になっていく。数年前にねこが尿疾患を患って大変だったときからお世話になっている動物病院なので、俺のこともねこのこともよく知っている。そういうところで皆で見送るのがいいんじゃないかと、そう決めました。
別れの日までの介護生活をすることが決まったのと同時に、新しい仕事もスタートします。
当初からリモートワークと時短勤務が前提条件だったので、幸いにして働きながらねこの世話をし続けることができました。
そうは言っても板挟みで頭がおかしくなるんじゃないかという日もあり、大変なときは大変。
主な世話は、当初よくやっていたのは、よだれの掃除。
粘り気のある臭いよだれをしょっちゅうたらすので、これを拭いてあげる。この頃は透明なよだれでした。食後や飲水後には確実によだれがたれるので、それを拭く。
なぜか「水を飲んでよだれをたらして拭かれたらまた水を飲む」が一連の行動になっているらしく、水を飲み始めると3~4回これを繰り返していました。水自体もしょっちゅう飲むので、一日中ねこの顔を拭いている。
ウェットティッシュや普通のティッシュを使って拭いていたのですが、200枚組のティッシュが2日でなくなるぐらい拭いてた。日に百回ほど拭いていた計算になる。
ちょっと目を離すと、よだれをたらしたままトイレに行ってしまう。尿で固まるタイプの猫砂を使っているので、ほっとくと口から猫砂をたらしたまま帰ってくることになり、これを飲み込まないようにしないといけない。よだれを前足で拭いていたらここにも猫砂がつくし、同じく飲み込む危険がある。常によだれに気を配っていないといけない。
固まるタイプの猫砂をやめるほうが絶対よかったのだけど、うちのねこは尿疾患の時からこの鉱物系の猫砂を好んでいて、他の猫砂にするとトイレ自体を我慢したりその辺でしてしまうことが多かったため、今から切り替えるストレスと戦うよりは、俺がつきっきりで対処する方を選びました。
寝ている布団にもよだれをこぼして跡をつける。これも当然臭いので、消毒消臭のスプレーをかけて拭いていた。布に染み込んだよだれはそう簡単に取れないので、水気を染み込ませてから吸い取るようにして何度も拭く。それを一日に何度も何度もやる。
このよだれから菌を拾って俺が体調を崩してしまうわけにはいかないので、拭き取るたびに手を洗っていました。何度も水飲みをループするときは全部終わってから手を洗いたいけど、いつ終わるかはねこの気分次第なので、基本は一回ねこを拭く度に一回手を洗うのを毎回。一日中よだれを拭いて手を洗っている人になりました。
ねこが寝ているときだけは少し時間があくので、そうした時間に仕事をしたり飯を食ったりなどしていました。
でもこの辺の、常にねこを注視して掃除して手を洗っての作業は、尿疾患のときにもうやっていたので。やれる自信があった。やりました。
夜だけは掃除を諦めて、俺は眠剤で寝ていました。普通に寢るとねこが気になって眠れないし、毎日同じルーチンで暮らさないと翌日の看病に支障があるので、眠れない夜を過ごすのは危険と判断して薬で寝ました。寝てないと翌日のねこの相手が満足にできない。
寝ている間に深刻な事態が一度も起きなかったのは幸いでした。多少ショックなことはあれど、許容範囲。
あともうひとつ、病気の初期に主に俺がやっていたのは、病院にいつ連れて行くかの見極めです。
体調に変化はないか、痛そうにしていないかつらそうにしていないか、エサは食べているか水は飲んでいるか。気になることがあったらすぐに病院に行く。
うちのねこは尿疾患で病院に通い詰めだったときも病院が大嫌いだったので、連れて行くのも一苦労ですが、そんなことを言っていられないので連れて行く。
仕事の入りが遅くなったり早上がりをさせてもらったりを、繰り返してました。ろくに働けていないのに申し訳ないと、お詫びを言いながら。
ねこの顔の形が、毎日少しずつ変わっていきます。
顎の下が大きくなっていく。すごくしゃくれたみたいな顔に。
うちに迎えた当初すごくおどおどしていたのと、顔が三角形の美人さんでオードリー・ヘプバーンみたいだったので、「おーど・りー」と名付けられたうちのねこの顔が。変わっていく。そんな皮肉なことがあるものだな。
当時アップしていたかわいい写真たちは、なるべく顔の右側の歪みがわかりにくいものたちを選んでいました。かなしい顔を君もそんなに見られたくないだろうから。
病中のかなしい顔の写真は、ほとんど撮影していません。きれいな顔のおーど・りーばかりを記録に残してあります。
顔が変わっても全然かわいかったのは嬉しい誤算でした。情があるというのを横に置いておいても、「まだ普通に愛玩動物として充分かわいくてすごいなあ」と褒めながら暮らしていました。なくなる日まで、なくなったあとも、かわいかった。
こうして顔が変形してくると、いよいよ食事がうまくとれなくなっていきます。
うちのねこはドライフード、いわゆるカリカリしか食べない。
ここで何度も書いている尿疾患のときに、食欲がなくなってやせ細って、ちゅーるのような人気のおやつやら猫缶のようなウェットフードやらをあげてみたときも、食べなかった。おなかがすいても絶対に食べない。
病気のある段階から、食事中に「カリッカリッ」という音がしなくなっていることに気づきました。カリカリを噛めなくなって、飲んでいる。うまく食べられないから床にこぼしまくっている。
カリカリを別のものに変えてみたり、砕いて小さくしてみたり、ドライの大好きなおやつをあげたり、カリカリを水でふやかしたり。いろいろやったな。それで食べてくれたり、やっぱり食べなかったり。試行錯誤と一喜一憂をする毎日。
友人が以前送ってくれたちゅーるが家に残っていて、「うちのねこ食べないんだよな、ちゅーる」とそのままにしてあり、これの賞味期限がちょうど切れるタイミングだったのでダメ元であげてみる。
そしたら、ちゅーるは食べる!
ちゅーるをかけたカリカリも食べてくれる。今までこの手のおやつむしろ嫌がってたのに、ここにきて食べてくれる! えらい!
絶望的なところに光明が差して、本当に嬉しかった。友人にも感謝、ちゅーるを作ってくれた人にも感謝。おかげで食生活がだいぶ良くなった。
そんなある日に、ねこが血の混じったよだれをたらしました。口を拭くとたまに赤みが見つかることはあれど、「エサの一部かもしれない」と思っていたのが、明確に赤いよだれ。2023年9月2日のことです。
獣医さんと決めていたお別れのタイミングのひとつが、「口から血を出し始めたら」でした。それは口が壊死していくきっかけだし、本格的に食事が取れなくなっていくわけだし。
この日から、仕事を休みました。今までもあまり働けていなかったんですが、別れに向けて完全休業。
血の混じったよだれを出したその日は、ギリギリ動物病院がまだやっている時間だったので、連れて行って止血剤と痛み止めを注射。
「お別れが近いだろうから、ここからは毎日来ます」とお伝えして帰宅。この段階で既に通院は、週に一度→週に数回→2日おきといったように頻度が推移していたのが、ここからは毎日。
動物病院がお休みの日も、もちろんあります。「だけど病気には休みがないですからね」と休日も対応していただけたので、本当に毎日通いました。ねこももう、通院時に抵抗することが一切なくなった。毎日当たり前に病院に行くから、なれてしまったのが悲喜こもごもでした。
するとなんと、もうダメかと思っていたねこが回復していく。口から血も出ないし、エサもなんとか食べるし、スヤスヤ寝てくれてる。こういう表現を自分に向けてするのはあまり好きではないんだけど、結果的には「献身的な介護のおかげで持ち直した」の状態になっていました。
生活に余裕が生まれたので、仕事にも復帰。合間にゲームなんかもやれるゆとりある日々。まだお別れには早い。よかった。まだ一緒にいられる。
この病気での介護生活のときに意外と困ったことがいくつかありました。
まず、コバエが湧く。よだれを拭いたティッシュを蓋付きのゴミ箱に捨てているのに、どうしても湧く。
湧いたコバエが、ちゅーるをかけたエサに寄ってくる。ドライフードしかあげていなかったのであまり起きたことのない現象。生のエサには虫が寄ってくる。
ねこのほうもねこのほうで、エサを食べてくれるようになったとはいえ、少しずつ食べては残すのが常になっていたので、ちゅーるをかけたエサが毎回余る。ちょっとずつ食べては捨てて皿を洗うのを一日20回ぐらいやっていた。わからない、もっとかも。これを捨てたところからもコバエが湧く。
ねこにコバエがたかるのだけは絶対に避けたかったので、コバエ取りやら殺虫剤やらで対処しながらなんとかした。それでもしょっちゅうその辺を飛んでいて、こちらもストレスMAXで暮らしてるのに上乗せでストレス被せてくるものだから、日々憂鬱でした。
それともうひとつ、ねこが一日中前足を舐めて、顔を洗うようになりました。
病気が進行してからはよだれがたれっぱなしになり、先述したように俺が一日中それを拭いているわけですが、それでも追いつかない。夜中俺が寝ている間は対応できないし。
なのでねこは終始、顎の下が濡れっぱなしになりました。よだれがついて乾燥したものなので、毛が変な感じによれて固まっている。
これが不快なんだろう、延々舐める。顔を洗っている。起きている間は常に舐めている。
よだれで固まった毛がこれで舐め取られて、患部のある右側を中心に、腕の毛がなくなってしまいました。顔も右側が常によだれで濡れていてびちゃびちゃだったところに、前足や後ろ足でひっかき続けて傷が出来てしまう。同じくそこだけ毛が抜けている。
代わりに拭いてやっても、止めようと咎めてもダメ。ずっとやる。「もうじゅうぶんだよやめなよ」と泣きながら止めてもダメ。毛が抜けて痛々しい部分を舐めたり後ろ足でかいたりして、濡れた臭い毛を撒き散らす。これは相当かなしかったです。
すがる思いで購入した布製のエリザベスカラーをつけてみたら、物理的に顔に足が届かなくなって解決しました。足も舐められないのでまとめてなんとかなった。やった!
ねこのほうも強迫神経症のように舐め続けていたのが物理的に封じられたことで、逆に穏やかになって、またスヤスヤ寝てくれるように。カラー自体も嫌がってない。顔をかこうとしてよく蹴っ飛ばしてくるくる回していたが、一切外そうとはしない。
首輪もつけられなかったねこだし、過去にカラーつけた時も嫌がってたから無理だと思ってたのが、布製カラーでこんなにうまくいくなんて。
ただ、どうしてもカラーの方はよだれでびちょびちょになってしまい、拭いても臭いので、二枚買いました。毎日交代で洗って付け替えることに。晩年このカラーにかなり助けられた。
病気の途中から舌がしまえなくなり、舌が出っぱなしでよだれたれっぱなしでこのカラーをつけていると、病状はかなしいのに見た目はかわいい。「かわいそうなのにかわいいね」と褒めることしか出来なかった。
病気が発覚して4ヶ月、10月に入った。
獣医さんと「いやまさか9月を越えられるとは思いませんでしたよね」「出血したときはついに来たかと思いました」「この子は本当にがんばってる」なんて話をしていました。
朝、口から血を出しながら枕元に起こしに来た日もありました。なんだか寂しげな「にゃー」という声で目が覚めたら、血をたらして横に。枕についた血のシミがその後、追い打ちのようにつらくて。寢る時間と朝起きる瞬間がしばらく恐ろしかった。
ねこが顔を洗いすぎて怪我してしまったのもあって、この時点でねこは、そこそこ臭かったです。獣医さんにも「顔の壊死はとっくに始まっていると思います」と言われていました。
その前にお別れするつもりだったのにな。お前も自分自身が常に臭くて、嫌だろう。ごめんな。
うちのねこは、パソコンで書き物なんかをしている俺の左の腕によく、顔と前足を乗せていました。
この状態は、ちょうど目と鼻の先に患部である顔の右側が向くので、なかなか臭い。カラーで花びらみたいになった顔が臭いに指向性を持たせているのかもしれない、目の前でずっと臭い。
乗っている間は我慢していたし、まだまだ我慢できたけど、ねこの臭いで気持ち悪くなってしまった初めての日は、ずいぶんとかなしかったな。
「飼い主の愛情を試すんじゃないよ」と笑いながら、そのままにしていました。背中やおなかを吸うと、ねこのいい匂いがして、「他の場所はこんなにいい匂いのままなのにね」と。
15年飼っていて初めてのケースだったように思うことが、そのころ起きて、ねこは俺の左腕に乗ったまま、ぺたんとうなだれて寝てしまった。
膝の上でスヤスヤ寝ているようなことはあれど、こんなに力なく子猫のように突然、寝てしまうことはなかった。神経質そうで引き取り手が少なさそうなねこを譲渡会でもらってきたら、飼ってみると本当に神経質なねこだったので。俺も信頼する他人に体を預けて寝たりは出来ない。似たような性分だよな。
だんだん、エサを欲しがるよりも俺の腕の上に乗る方を要求するようになってきた。それでそこで寝ちゃう。
「わかったよ。そこがいいならそこで寝なよ」と、起こさないように小声で言って、「くさいなあ」と思いながら、そばで見ていた。
いつもように午前中に通院して、帰宅して即、ねこが口から鮮血を出したのが10月11日。
それまでも赤いよだれはちょくちょく出していたし、口の周りに血の跡がついていたこともあったが、ここまでの大量の血を出したことはなかった。急いで拭いたテイッシュが何枚も、真っ赤に染まった。とんぼ返りで病院に行く。
止血剤を打ち続けていることもあって、すぐに血は止まった。こういう出血がいずれ起きることは俺も獣医さんも知ってはいた。「また血が出たら我々が何かしてやれることはないんですよね」「ないです」。確認をして、その日の二度目の通院から帰宅した。
10月もトラブルはたくさんあった。体重が減って、脱水で水分点滴をすることがよくあった。
体重が減ってふらついているときなんかは特に、トイレを粗相することが増えた。ねこは嫌なことがあるとトイレじゃない場所で尿などをしてしまうことがあるので、ストレスでしてしまったのかなと思っていたけど、どうやら体調が悪いとトイレの中にまで入れないらしい。
ここで役に立ったのが、尿疾患の頃から5年にわたって毎日記録している、ねこのトイレの時間メモ。どれぐらいのタイミングでトイレに行くかをメモを見ながら予測して、トイレに行きたがったら俺が直接砂の上に載せてやることにした。
仕事中なんかは大変。一瞬ねこから気を逸らすとトイレの外にジョバーだから。おおむねトイレの近くにしてくれるので、掃除は楽だしペットシーツ敷いておけば被害は少ない。一回だけ普通に床にされてびっくりした。向こうもびっくりしていたと思う、弱っていつも通りに動けない自分に。
トイレもそうだし、それ以外の普段の生活での動きでも、カラーによる視界の悪さもかわいそうだった。トイレの敷居をまたぎにくいのは、カラーのせいもあった。段差の上り下りもしにくい。エサや水もひっくり返す。なるべく見ておき、不便そうなことは手伝ってやる。
それから、痛み止めで注射しているステロイド。食欲増進と多飲の副作用が強く出すぎてしまい、四六時中エサを要求して水を飲んでいる。
それに振り回されるこちらも大変。要求に応えてエサと水を用意してよだれを拭いての繰り返し。過剰表現ではなく本当に四六時中これが続いていたので、「もしかしてこいつ寝ないでエサと水を要求し続けてないか?」と気付き、ステロイドを打つ回数を減らしたら、ようやく落ち着いて寝ている姿が見れた。
薬は必要。とはいえそのタイミングと回数は、そばにいる飼い主が見計らわないといけない。
俺が決めないといけないんだ。
看病を続けていればいずれ治るということは、ない。
ある日急になくなっているということも、ない。
徐々に弱っていっている。顔も崩れている。臭くなっている。血を出している。
俺の左腕に乗りながら、肩に対し執拗に頭突きをしてくるようになった。ねこの頭突きは愛情表現だと聞くし、ゴロゴロ鳴っていてかわいい。カラーで顔がかけなくなっているので、俺を使って顔をかいている部分もあるんだろう。
ねこの顔のラインにある、出っ張っているもの。エサのビンとか、ゴミ箱とか、ダンボールとか、敷居とかまで。それらに顔をぶつけて顔をかこうとして、慌てて止めることが増えた。
あれで崩れている顔や顎なんかをゴリゴリやったら、大変なことになる。俺が寝ている間にやられたら止められない。朝起きて取り返しのつかないことになっていたら、いけない。なるべく隠す。布で覆う。敷居みたいなものは、どうしよう。俺が寝ている間はペットケージに入れて……いやケージの枠で同じことをされるか……。
そんなねこに執拗に頭突きをされた俺の肩が、よだれと抜け毛でまみれている。臭くて、汚い。
かわいそうだな。つらいんだろう。少しずつ確実に、ねこのつらさが増している。
決めないと。
職場に連絡をして、仕事をまた休むことにした。三日間休んで遊んでねこと過ごして、考えて、答えを出した。正解なんてないのに。
いつものように動物病院に行き、「以前からお伝えしていたように、そろそろもう。今日でお別れにしようかなと思うんです」と伝える。「仮にこれが一ヶ月前だったとしても、早すぎるとは全く言えません。むしろここまでこの子もあなたも、よくがんばったと思います」と言われる。夜にもう一度来る予約をして、帰宅した。
病気じゃなくたって、絶対にどこかで来る別れだ。それが周りに助けられて、4ヶ月もじゅうぶんに別れの時間を過ごせて、よかったじゃないか。心の準備は常にしてきた。今日にも明日にもお別れしても、悔いが残らないように、この日々を過ごしてきたつもりだ。
その日はおいしいものをたくさん食べてもらった。ちゅーるもそうだし、お気に入りのカリカリもそう。今まで見向きもしなかったウェットフードをあげてみたら、具の部分は病気のせいで食べにくいみたい。ゼリーと水分のところだけおいしそうになめていた。その後カリカリに戻したら、やっぱりこっちのほうが好きみたいだ。がつがつ行く。それでも食べている量は健康なときに比べたら全然だ。
病気が発覚するまでは大好物だった、おやつのカリカリも砕いてあげた。晩年はこれだけ食べて過ごせばいいと思って大袋で買ったのに、粒のサイズが大きすぎて食べられなかった。想定外にちゅーるを食べてくれたので、そちらに移行した形。
手でひとつずつ砕いてあげてみたら、よく食べる。こんなに喜んで食べるのか。「じゃあもっとあげればよかったね」と謝った。
その後も遊んだり、じゃれあったり。昨日までもたくさん過ごしたのに、その一日は特にずっと、念入りに。臭いところもいい匂いのところも、よく嗅いだ。
うちのねこはしょっちゅう噛むねこで、どれだけしつけても治らないのでもう諦めていた。さすがにこんな病気になったのでもう噛まれないと思っていたのに、今日はよく噛む。
俺を噛む余力があるならエサを食べなよ。だけど、がっつり噛みつかれた手が、全然痛くないんだ。よだれでびちょびちょになるだけなんだ。
今日お別れするのをやめることにした。おやつカリカリをこんなに食べるなら、もう少し食べさせよう。別に今日じゃなくたっていいんだ。仕事は休んでしまえばいい。明日だっていい。一日伸びればもう一日一緒にこうして過ごせる。それが一週間に伸びたって一ヶ月に伸びたってなんとでもなる。ずっと一緒にいればいいんだ。
そうしたら、砕いたおやつのカリカリを食べながら、ねこが口からポタポタと血を流した。この日はずっと泣いてばかりだった。血を拭いてやった。ねこがいないところで、この病気に対して「ちくしょうふざけんな」と叫んだ。
今日で終わりじゃなくてもいい。この子がしあわせな時間がまだあるのなら一緒にいればいい。でもそのしあわせな時間はいつまでなんだ。取り返しがつかなくなったときにつらいのは、この子なんだ。今もつらそうだ。そしてしあわせそうだ。考え続けて、答えが何度も変わった一日だった。
それで夜、動物病院に連れて行った。病院嫌いだったうちのねこは、すっかり通院がなれっこになっていて、抵抗もしないし騒ぎもしない。病院から帰るときだけは、家に近づく度にキャリーバッグから飛び出ようとしていた。「毎日この道を散歩したね」と、ねこに声をかけた。
「もうつらくならないよ。おやすみなさい。今までありがとう」抱きながら伝えて、別れた。
10月23日18時10分、永眠。
一番愛した命をひとつ、終わりにした。
うちのねこは口の中を見られるのを極端に嫌がった。この病気になる前からだ。患部をつぶしたら良くないので、病気になってからの口の中は、生前ほとんど見ることが出来なかった。なくなったその日に口の中をお医者さんが確認したところ、歯がもう取れかかっていたそうだ。
よだれのせいで舐めすぎて、毛が抜けて皮膚が丸見えになっていた前足。カラーを付けて舐めるのを辞めさせてからなくなるまでの間に、多少の毛が生えてきていた。もうここは、ふさふさのかわいい足じゃなくなっちゃったのかなと凹んでいたのに、生きていたので、生えてきた。
遺体はきれいだった。焼いたお骨も立派だった。そういう別れを選んだんだから。まだまだ生きることは出来た。今だってまだ、お互いがつらいままで寄り添っていることは出来た。
「別れなければよかった」と、「答えは誰にもわからない」の、ふたつに挟まれて暮らしている。
以前飼っていたねこがもう一匹いた。当時同棲していた人と、何年も疑似家族のように暮らして、我が子のようにかわいがっていた。
その人との別れによって、そのねことは会えなくなった。しばらくして、そのねこがなくなったらしいと、人づてに聞いた。
愛したねこを俺は看取れなかった。
その後悔がいつまでもあって、「この子だけは最後まで看取りたい」そう思って、うちのねこと、おーど・りーと過ごした。
自らの意志でその子の命を断つことになるとは思わなかった。お前がくれた15年のしあわせに、あまり俺から返してやれることがなかったな。
今日は初七日だったので、納骨したところにお供えをしに行った。好きだった食べ物や思い出の品なんかは一緒に焼いてしまったので、お供えをまだしていなかった。ちゅーるを持って行った。
ちゅーるを入れた胸ポケットに、何か紙が入っていることに、その時気づいた。診療費の明細書だ。毎日打っていた注射の他に、二週間持続効果のある抗生物質を打った日。なくなる三日前の明細書。
その注射をしてから二週間は一緒にいるつもりで、これを打ったんだったな。それから三日間しか一緒にいられなかったよ。まだ一緒にいればよかったな。いや、あの日で良かったのかな。わからないんだよ。たぶん誰にも、いつまでもわからないんだよ。お骨の前で泣いた。