顔で人は殺せる
日常に支障をきたす程に健康状態が悪くなると人間、死を意識するようになるのかもしれない。
前述の通り私は現在結膜炎の治療中なのだが、摂食障害の気配もあるせいでしょっちゅう何か口に入れては吐いている。
カロリー制限を完全に無視したコンビニのチキン南蛮弁当をたいらげ、せめて油を分解しようと烏龍茶で流し込んだ結果、案の定全部吐いた。吐きすぎて苦しい…と思った途端治療中の眼球に痛みが走った。目の毛細血管が切れて内出血を起こした瞬間だった。
ただでさえ瞼が腫れて開かない上に白目の部分がほぼ全て血の色になった。こうなってはもう外は歩けない。片手で目を隠しながら薬局まで走り人生初の眼帯を買った。
外見を気にして外に出れない…
正直元々見た目に恵まれてる方ではなかったけど、こんな病気する前はなんて幸せだったんだろうと思う。
化粧して髪を巻けば繁華街だって歩けたのに。それが今じゃ家から半径200mのコンビニしか行けない。眼帯したからといって外見コンプレックスからは抜け出せない。
家に篭っても片目しか開かないせいで読書にも映画鑑賞にもストレスを感じた。
こんな生活全然楽しくない。
思えば目って寝てる間以外ずっと頼りにしなければ生きていけないものだ。聴覚と視覚、どっちを失うのがより不幸かと言えば大多数の人が視覚と答えるのではないだろうか。
たかが片目が結膜炎になっただけなのに、このまま視力を失ったらどうしようかとまで考えた。健康を損なったせいでネガティブスイッチが入ったのだ。
ヘレン・ケラーみたいに三重苦でハーバート大学まで目指す根性が私には理解出来なかっ
た。目が見えなくなったら…私死んじゃおっかな。
ちなみに数年前に白内障の手術をする為に入院した祖母は、不安のあまり絶望して飛び降り自殺未遂を起こしている。
こんな事を毎日考えてるせいで何をしても笑えなくなった。
残った片目で鏡を見るとムスッとした自分の顔が写っている。不細工。目だけに留まらず顔全体が病気になったみたいだ。
顔の事で悩んでる人の本を何冊か読んだ時期がある。自分の生まれ持った顔をひたすら呪う文章だったり美人への羨みだったり整形の何が悪いんだと訴えかけるものだったり色々話は聞いていたが、顔の問題は大きいんだなと改めて感じた。
過度なルッキズムである父親と車で出掛けた際、横断歩道を渡っている団体のオバチャン達を見下しながらこう言った。
「こんなババァら轢き殺したって構わねぇだろ」苛苛しながらそんな台詞を吐き捨てたのだ。
もし今横断歩道を渡っているのが若くて美人でスタイルのいい女性だったら、父も快く停車して待ってあげた事であろう。流石にオバチャン達を轢き殺したりはしなかったが不愉快そうに致し方なく横断歩道を渡り終えるのを待ってやってるんだ、という気配はした。
外見とは、なんの関係もない人の感情まで左右させてしまうものだ。
極端な例だが、いつかの時代のどっかの国で犯罪を犯した人間が美形だったら減刑、不細工だったら極刑になったという話を聞いた事がある。恐ろしい、恐ろし過ぎる。
ブスとババァになんの需要もないとしたら、これから歳を重ねていく見た目に恵まれない私はどうやって人権を手にしたらいいのだろう。整形してアンチエイジングやダイエットにでも励めばいいのか?
とにかく結膜炎になった事で治るまでの短い期間とはいえ私の人生観を変えてしまったし、前向きに考えるなら色々な事を考えるいいきっかけになったと思う。美容は健康が土台になってるのだと実感した。
今はヒアルロン酸安く入れられる美容クリニック検索なんかしちゃってる。
ヒアルロン酸入れた後のデメリットまで調べてしまい絶望もしている。
あーもう考えるのめんどくせーと思いウィンドウを閉じ、「AV サンプル レイプ」と検索して生理2日目の自慰行為に勤しんだ。
なんだ、不細工でもババァでも片目が不自由でもやれる事はあるじゃないか。
気持ちいいー
めでたしめでたし。