現在あるオタク・4 イッテイーヨ
お名残り惜しくイベントのタイムアップ宣言がされ、満場の拍手の中、稲葉君はにこにこと手を振りながら、螺旋階段を昇って行った。
昇りきる直前、見上げる会場の「行かないで」目線に応えるように、腰をかがめ、しゃがみこんで手を振ってくれ、全身で感謝を表す推し。
仮面ライダードライブのトークショーやスピンオフ作品、映画のキャスト挨拶、また舞台でのカーテンコールの、腰を90度に曲げての深々としたお辞儀を思い出す人も多かったと思う。私もそうだ。
デパートのお迎えやお見送りよりさらに深い、ぎっくり腰にならないか心配になる程の深い角度である。
そして、イベント終了まで彼のお肌はテカらないのである。
かなり強めのスポットを終始浴びているにもかかわらず。24歳の新陳代謝盛んな男子であるにもかかわらず。お粉をはたきたてのような、ふわーっとした質感の脂取り紙ノーサンキューだ、というようなお肌。貴方は舞妓さんですか。
さてさて、イベントの終わりはチケットを購入したお客様と稲葉君との、ツーショットチェキである。
いつもの私なら
「いえいえ滅相もない。チェキなんて恐れ多くて、推しの近くによるなんて、そんなご本尊を穢すような行為は私なんぞには許されない事でございます。選ばれし方々とのチェキタイムにお当て下さいまし。わたくしめのようなオニカサゴのメスにはもったいなさ過ぎて死んでしまいます」
と、一瞬の間にこれだけの長さの文章を呟いて、出口から立ち去って帰る道々余韻を抱きしめるという不気味さを醸し出すものだが、今日は違う。
明日次の日入院して手術に挑む旦那と一緒なんである。
一人じゃできない事も二人なら平気さ。
仮面ライダー555と仮面ライダーカイザみたいなもんである。あれ?
まずはチェキ受付番号の若い順から、20人単位で呼ばれていく。 呼ばれた方々はセンターの螺旋階段下で番号順に列になって待機し、二階で準備している稲葉君側からOKのキューが出たら、司会の方の指示に従って上っていく。
そう。さっきまで座っていた席をすぐそばに見ながら、下りてきて上って行った階段を上がるのである。
プチ聖地巡礼。「ここが推しが歩いた階段を昇れる世界か…」
二十人ずつ、粛々と階段を昇って行く女性達。99%の女性たち。
旦那のアウェー感半端なかっただろうが、それは棚に上げる。
番号が呼ばれるのを席で待ちながら、私と旦那は『どういうポーズで写真に納まるか』をずっと喋っていた。
普通にしれっと並んで写真を撮ってもらうなんて、素材と年齢に圧倒的ハンデのある初老夫婦には厳しすぎる。
何か、何かポージングを。こういう時ネタと笑いに走りたがるのは、悪いオタクのサガである。
「バルパンサーのポーズがいいんじゃない?」
私は『究極超人R』のとさか先輩を思い出していた。
「ちがうちがーう。バルパンサーのポーズはこうだ」というシーンがあるのだ。
「バルシャークは難易度高いし、ジェットマンは最終回以外全員別の方向向いてるし」
「一度戦隊から離れないか? 我々は新堀さんでもおっしーでもキャンデリラでもないんだよ」
旦那は冷静だ。旦那氏、実は広告代理店である。
女優さんや俳優さんのスチール撮影には何度も立ち会っているので落ち着いているのだ。
ちっ 役得マンめ。
「じゃ仮面ライダーカブトの天道総司のポーズとか」
「いやそれフォーゼの弦ちゃんと被るし」
「音叉持って来れば響鬼さんできたのに」
「だから特撮から離れようよ」
なんとかウケるポーズをとらなくては。←そんな必要はない
全く根拠なく追い詰められた婆の私はひらめいた。
プロレスだ。プロレスラーの入場ポーズがあるではないか。
「旦那、ハンセンだ。スタン・ハンセンのウィーのポーズがあるじゃないか」
「あれ? あれ天道総司と似てるんだけど」
「いいの。ハンセンで行く。決まった」
何の根拠もなく、二人で稲葉君を挟んで全日本プロレスの外人レスラートップに君臨した、テキサスロングホーン、スタン・ハンセンの決めポーズ。『ウィー』をすることにした。
グワシのような手の形のまま思い切り天井まで突き上げる。
『北斗の拳』のラオウの最後のポーズにも似た究極の男前ポーズである。
これなら稲葉君のパワーも頂けるし、彼に老人パワーも送れる。
そんなもん要らんだろうが。
粛々と順番が進んで階段下で待機している間も
「鉄の爪フリッツ・フォン・エリックはこうだよね。こっちもいいな」
「力道山は腰に手を当てたファイティングポーズだし」
「ブッチャーは?」
「フリーダム」
「タイガー・ジェットシンは」
「サーベル持ってたら稲葉君危ないでしょ。叩きだされるでしょ」←その前に持っていない
という感じでプロレスラーポーズについて延々しゃべっている、デブとスキンヘッズの初老夫婦。はっきり言ってうるさい。
断言できる。こんな爺婆になってはいけないよ、会場の女性(と少数の男性)たち。
「はい80番から100番までのお客様、上がってくださーい」
来た。
チェキ組が上る階段を、女性達に交じって膝痛持ちの妻と、股関節の神経痛持ち(ついでに癌細胞持ち)の旦那が上る。
しかも順番待ちのお客様の
「いーなー、早く自分の順番来ないかなー」
の目線を浴びながら。なんという羞恥プレイ。
ただし推しの前以外での羞恥心などとっくに枯渇している婆と、元来物おじしないノー天気な旦那である。
るんらるんらと急いで登って行った……