『ゴールデンカムイ』はどのようにして差別と闘ったのか―アイヌ文化と生命の継承― ②
ゴールデンカムイ論、第2回です。ネタバレ中尉です。
前回はこちら。
生命の継承、人間の故郷
「相棒契約」―自律的で対等な関係性
ここまで、「ゴールデンカムイ」における差別描写と位置づけを見てきました。
物語のあらすじ的にも、主人公2人それぞれにとっても、差別との闘いが根本にあることは明らかです。それなのに、なぜ差別が描かれていないと誤読されたのでしょうか。
その一つの理由は、濃密に描かれている主人公周辺の関係性が、差別の対極にあるものだからかもしれません。
アシリパと杉元は、利害関係を共にした「相棒」です。杉元が汚れ仕事を引き受け、狩猟者として育てられたアシリパが知恵を貸します。杉元は、アシリパに対していつも「アシリパさん」と敬意をこめて語りかけます。アシリパは「杉元」と呼び捨てにしますが、誰よりも杉元のことを大切に思っています。
互いに誰よりも大切に思いながらも、相手を自律した個人として尊重する。民族・ジェンダー・年齢という社会属性の垣根を超えた、平等で自律的な関係。なのに、「親友」や「家族」や「恋人」でもなく、あくまで「契約」関係である。
こうした対等な関係性は、アシリパと杉元だけではなく、他の重要な登場人物の間でも描かれています。たとえば「不敗の牛山」とアシリパがそうです。白石吉竹も、共に旅を続ける中で、アシリパに一人の人間として対等に接するようになります。アシリパと杉元を中心とした濃密な人間関係は「差別のない聖域」が創られているかのようです。
この物語において、差別は、確かにこの中心的な関係性ではなく、いわゆる「世間」との接点において断続的に起きているのです。
ともあれ、ゴールデンカムイで描かれた、社会属性を超えた関係性は。ほとんど「ありえない」、奇跡的なことだったかもしれません。
しかし、社会からつまはじきにされた杉元たちと、「新しいアイヌの女」であるアシリパとの間には、そうした関係が成り立つ余地があったのではないか、そのようにも思えてくるのです。
彼らに共鳴するものがあるとすれば、根底にあるのが、「生命」に対する価値観です。
アシリパの「生命」についての教え
アシリパと杉元は、「相棒」契約において、人を殺さないことを条件としたのでした。
杉元は、先の日露戦争で「不死身の杉元」という異名を取るほどの鬼神のごとき闘いをしました。彼は、「自分が殺したくて殺したわけではない、しかし殺されるぐらいなら躊躇なく殺す」、そうアシリパに語ります。
アシリパが杉元を「和人にしては優秀な戦士だ」と評価し認めたのは、死の恐怖にとらわれず、死中に活を見出す闘いを目の当たりにしたからでした。それが、相棒契約の理由になります。
その一方で、杉元は自分が戦争の中で他人を殺してきたという罪を抱えて、生きながらに苦しみ続けていました。アシリパは杉元と寝食をともにする中で、生と死についてのアイヌの考え方を伝えていきます。
あるとき杉元は狩りの中で、鹿にとどめを刺すことに失敗しました。
大怪我を負いながらもそれでも必死に生きようとする鹿を目の当たりにして、「こいつは俺だ」と戦場での自分の姿を重ね合わせ、引き金を引くことをためらったのです。
それに対して、アシリパは鹿の体内に手を差し込むように杉元に良い、諭すのです。
鹿の体温によって「かじかんだ手」がほぐれていったことは、アシリパの教えによって、杉元の苦悩が解けていったことの比喩でもあるでしょう。
刺青囚人と生命の継承
この「生命の継承」というモチーフは、刺青の囚人として繰り返し語られる、いわば「ゴールデンカムイ」の隠れたテーマです。
「悪夢の熊撃ち」 二瓶鉄造
二瓶鉄造は、最初の本格的な刺青囚人エピソードです。
彼は伝説的な腕前を持つ猟師です。獲物を殺す時は、自分もまた殺される覚悟を持つべきだというのが彼の基本的な価値観で、そのため予備の弾薬を用意せず、単発式の村田銃を使用して狩りをしていました。
二瓶は、その自分の価値観(「山の掟」)に従って、自分の獲物をかすめとろうとした山賊を殺したために網走監獄に収監されました。そして、山で死ぬために脱獄します。
脱獄後、二瓶はアシリパと幼少期一緒に過ごしたレタラ(エゾオオカミ)を元マタギの谷垣とともに狩ろうとします。しかし、エゾオオカミ唯一最後の生き残りと考えられていたレタラには、伴侶ができており、子どもが生まれていたのでした。「女房」狼に首を噛まれた二瓶は、満足の中で命を閉じるのでした。
このエピソードの中で、注目すべき点があります。ひとつは、二瓶が使用している村田銃は、息子が日露戦争で使っていたもので、そこには刻みつけた7本の傷があります。彼は、敵兵を一人殺すたびに、おそらくは贖罪のために、その傷をつけていったのです。
そしてその銃は二瓶から、彼を看取った谷垣源次郎に、そしてアイヌの孤児チカパシに受け継がれます。
それとともに受け継がれるものが他にもあります。アイヌ犬のリュウ、そして「勃起の精神」です。
二瓶には15人の子供(うち息子が1人)がいますが、谷垣も15人の子供を作る(うち娘が一人)ことが明かされています。勃起の精神とともに、繁殖能力も継承されているようで、チカパシとエノノカ(樺太で出逢い家族となったアイヌの少女)の間に将来的にはたくさんの子どもが産まれることが暗示されています。
「殺人鬼」 辺見和雄
二瓶の次の囚人エピソードが、辺見和雄です。幼少期に弟がイノシシに食われてしまったトラウマから、「死に抗う姿」を見たくて100人以上も殺してしまった殺人鬼です。
杉元と辺見が出会ったとき、日露戦争で殺人したときの話を杉元から懸命に聞き出そうとします。
上の「せめて忘れないでいてやるのが俺の償いさ」という台詞は、実は少し前の、アシリパの杉元・白石に対する「演説」と共鳴関係にあります。
ともあれ辺見は杉元に同じ殺人者としての匂いを感じ、「自分も杉元に、弟のように殺されたい」と思い、襲いかかるのでした。
「同物同治」家永カノ
若くて魅力的な女性の姿をしたホテルの支配人ですが、実は初老の男性医師で、刺青の囚人でした。彼は漢方の薬膳にある「同物同治」、すなわち「体の不調な部分を治すには食材となる動物の同じ部位を食べるのがいい」という思想の信奉者でした。宿泊客の身体のパーツで欲しいものがあると殺害・解体し、食べることで現在の魅力的な身体を創ってきたのでした。
そんな家永が、インカラマッと谷垣の子供の出産を手伝いたいと申し出たのです。「そのおなかの神秘的な曲線は、あなたを食べても私には作り出せない」と言い、自分が母を追い求めていたことを明かすのでした。
谷垣の裏切りを察知した月島軍曹が、彼を殺そうとやってきます。その前に家永は立ちはだかり、自らの死と引き換えに生まれてくる子の生命を繋ぐという選択をしたのです。
稲妻強盗・蝮のお銀
簡潔に紹介します。二人は凶悪な強盗犯として銀行強盗などを繰り返しました。そして刺青人皮を入手しようと賭場を荒らしたところを、鶴見中尉一味に殺されました。
彼らが革袋に入れて最期まで何よりも大切にしていたもの、それは刺青人皮ではなく、彼らの赤ん坊でした。鶴見中尉は、その子どもを近所のアイヌのコタン(村)に置きます。フチ(アシリパの祖母)がその子を拾い上げ、育てるのでした。
凶悪な夫婦が愛を育み、生まれた子がアイヌの中で育つという、「生命の故郷としてのアイヌ」のモチーフが描かれています。
海賊房太郎
個人的に一番好きなキャラです。物語上も、登場期間は短いですが、実は主要登場人物3人(アシリパ・杉元・白石)に「本当の夢」を気づかせ、その運命を根本から変える転機になったキャラクターです。
人類最強クラスの水泳・潜水能力を持ち、人を水中に引き込んでは溺死させ金品を奪い取るという強盗殺人に手を染めて、網走監獄に捕まっていました。
脱獄後は、部下を引き連れてアイヌの金塊を追いかけていました。その目的は、自分のことを死後まで語り継がせるために、自分の国をつくって王様になるためでした。その背景には、房太郎が幼いころに14人いた家族を全員疱瘡で亡くし、村や集落の人々から迫害を受けて育ったことがあります(この点は杉元の境遇に共通するところがあります)。
ですが、彼は自分が語り継がれるためなら、他の道を選んでも良いことを示唆します。
戦争と家族の喪失、そして彷徨える魂
アシリパ・杉元の話に戻ります。
アシリパを捕えた偽アイヌたち全員を杉元が惨殺したあと、しばらく杉元の表情や言動が残忍さを帯びるようになります。そして一行は大雪山で吹雪に遭い、杉元とアシリパは猟銃で撃った鹿の体内で一夜を過ごします。
ふたたび自分が殺した鹿の体温と肉に生命を与えられながら、杉元は戦争によって元の自分に戻れない苦しみについて語りました。(「金カム」の中でも最重要エピソードの一つです)。
殺さなければ殺されるという状況において、自分が生き残るために、自分が戦って殺した相手は自分と同じ人間ではないのだと思い込む。自分が他人を殺したという原罪を直視することに精神が耐えられないから、差別者へと自分を作り替えるのです。
それでも杉元が言うように、故郷と家族がある人間は、ともに過ごす時間の中で、元の自分を取り戻せるのでしょう。
しかし、日本に帰ってきても元の自分に戻れず、心が戦場を彷徨い続けている人もいます。杉元佐一と、左ページの真ん中のコマにでてくる谷垣・鶴見・尾形・月島・二階堂。この6人の共通項は、みな家族を喪った(あるいは殺した)というところにあります。
アイヌ、人間性を回復する故郷
この6人の中で、結果として「救われた」のは、杉元の他には、谷垣源次郎と月島基の2人です。
谷垣は、仕掛け弓で殺されかけたところを、アシリパとその村に命を助けられ、自分を取り戻しました。
父を殺し、愛する人を亡くした月島の「憑き物」が落ちるのは、アイヌの村において、谷垣の子どもの出産に携わることによってでした。
ゴールデンカムイの物語構造において、「アイヌ」は、殺し合いの中で差別によって喪われた人間性を取り戻す、そんな特権的な場所としての役割を与えられています。その典型が、「人斬り用一郎」のエピソードです。
用一郎は明治維新の時に、勤皇主義によって身分差別のない社会が創られると信じ、多くの要人を暗殺してきたのでした。ところが結局、その責任を取る形で切腹を迫られることで、自分が勤皇派の道具でしかなかったことに気が付くのです。差別をなくすために戦っていたつもりが、自分を使ってきた人間たちから使い捨てにされるという、筆舌に尽くしがたい差別を経験したのでした。
その後、用一郎は流れ着いて、アイヌの村に住み、妻を娶ります。用一郎は死ぬ間際に、土方歳三に語ります。
「人間として生きた」という言葉には、誰かのための道具として他人を殺してきた用一郎の悔恨と贖罪がこめられているのです。
これは「ゴールデンカムイ」を理解する上で、重要なポイントです。アシリパの父ウイルクがなぜ殺されたのか、という問題とも関わってくるからです。
ロシア革命の闘士であり、皇帝暗殺の実行犯だったウイルクは、流れ着いた北海道でアイヌとして生き、自分の家族(妻とアシリパ)ができました。そうすることでウイルクの傷が癒やされ、北海道が故郷になったのです。
それは同時に、革命同志から見れば合理性を愛する人格が決定的に変わってしまったとなってしまった。それが彼が殺された原因だったからです。
ともあれ、家族を喪い、差別し差別され、戦場で生き残るためにたくさん人を殺し、元の自分に戻れなくて苦しんだ人たちが「人間」であることを取り戻す「故郷」。それが「アイヌ」なのです。
※これはあくまで「ゴールデンカムイ」という物語構造における「アイヌ」の位置づけであり、アイヌ文化に対する一般的解説ではありません。
次回は、「黄金のカムイ」の役目とは何かについて論じます。